米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


日本国憲法9条2項を世界に「推し活」して「戦争のない恒久平和」を目指す護憲運動の物語
2026年08月29日

(1)そもそも現代の戦争は総力戦で敵対する軍隊・兵士が戦闘で殺し合うだけでなく、インフラ(産業インフラや生活インフラ)を破壊し合い、民間人を巻込み犠牲にする。国々は互いに戦力として軍隊と殺傷・破壊兵器など軍備を保持し、それを用いて戦争をする。それを持たなければ戦争しようにもやれない。ならば互いにそれ(殺傷破壊兵器)を持ち合わないようにすれば、戦争はしなくても済み、戦争は無くなる。戦争(殺傷破壊行為)を無くすには、殺傷破壊兵器を無くせばいいわけで、それが不可欠で、それが保持されているうちは戦争は無くなるまい
(我が国では一般市民・個人では銃刀法で銃器や刀剣など凶器の所持は禁止され、集団でそれらを所持すれば凶器準備集合罪、殺傷行為は殺人罪・傷害罪など犯罪となる。それ故わが国では市民が銃刀など凶器を所持し持ち歩く者が滅多にいないため殺傷事件は他国に比して極めて少ない。)
 殺傷破壊兵器を無くすには各国憲法か国連憲章か、法でその保持を禁止し、それに反する兵器を(密かに、或いは公然と)保持しようとする国や勢力の違法行為に対しては、それを審判する国際刑事裁判所と取り締まり(警備)・捜査・物件押収・逮捕など強制執行とそれへの反抗妨害制圧に必要な実力(装備)を保持する国連警察軍(常設つまり常備軍)(が各国国内の警察とともに必要不可欠となる。
(2) 日本国憲法9条2項―「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。
 軍隊の廃止、軍備全廃といえばカント(18世紀ドイツの哲学者)の「永遠平和のために」常備軍の全廃、国際連合の創設案があり、第2次大戦後の米ソ冷戦期の1960年国連総会でのソ連首相フルシチョフの軍備全廃提案がある。ソ連がアメリカに次いで原爆・水爆の実験に成功・保有、核ミサイルの開発・配備競争が活発化して核時代に入ったその当時、核兵器のみならず通常兵器も全面的完全軍縮(厳重な査察・監視など国際管理を伴いながら世界各国の軍備を4年間で段階的に全廃)を提案、アメリカも交渉に応じて対案(修正案)を提出。米ソを中心に軍縮委員会で審議。しかし、各国とも軍備撤廃措置の実施中・実施後における自国の安全保障の確保に不安を感じ、撤廃の実施期間・順序・程度などについて互いに自国側に有利な主張に終始して対立し、合意には至らないまま、ほとんど進展せずに立ち消えになった。
 (その後まもなく1962年にキュ―バ危機(キューバの革命政権を潰そうとするアメリカに対して、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設することで牽制、アメリカがソ連船の侵入を防ぐため海上封鎖して一触即発・核戦争の危機)—米国大統領ケネディとソ連首相フルシチョフが首脳会談・直接交渉—ソ連はキューバから核ミサイル基地を撤去、アメリカもソ連の隣国トルコから核ミサイル基地を撤去し、キューバには侵攻しないと約束して、どうにか危機を回避。)
(3)日本国民の我々は「平和憲法を守れ!改憲反対!」を叫ぶだけではなく、9条(2項「戦力不保持」)を文字通り遵守、率先垂範・実行(日米同盟解消・殺傷兵器など軍備を廃棄)したうえで、その9条2項を世界に広げ、核兵器だけでなく殺傷兵器は全て廃絶して、侵略戦争であろうと防衛戦争・自衛戦争であろうと一切の戦争のない世界恒久平和の実現を目指して、(改憲するなら)国連憲章(各国の不戦と武力不行使を原則としながら自衛のための武力行使と戦力の保持は容認)の方を改正して同様な条項を定めるよう提案するなど、国連改革を主導するよう我が国政府に求める護憲運動の「物語」(「物語」ではあっても、実現不可能な、現実にはあり得ない夢物語ではなく、国民の大方がその気になれば実現可能で現実にあり得る実話の「物語」)を構想し掲げてみては如何なものか。
(4)そもそもこの憲法は連合国との大戦終結に際して制定されたもので、前文と9条などそこに定められた事柄は自国政府に対する国民の約束に止まらず、戦争を交えた各国と国際社会に対して表明した宣言でもあり約束ともいうべきもの。
 その憲法は、前文に「(日本国民は)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」、「恒久の平和を念願し」、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意」、「全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ、平和の裡に生存する権利を有することを確認」、「いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳は普遍的なものであり、この法則に従うことは自国の主権を維持し他国と対等関係に立とうとする各国の責務である」、「日本国民は国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」として、9条に「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄し」、そのために「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない、国の交戦権はこれを認めない」と定めたのである。
 その憲法が制定(施行)されたのは1947年で、同年間もなく中学校1年生用の教材として『新しい憲法のはなし』文部省によって発行され、約5年間(内3年間は教科書として、その前後2年間は副読本として)使用された(しかし1952年に発行は停止された)。それには次のようなことが書かれていた。
 「こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争しないように二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦争の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかし、みなさんには、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、自分のいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また戦争とまではゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国はさかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。」
 (この頃はこのような平和憲法の話を「お花畑」とか「お伽話」と揶揄する向きもあり、改憲論者の中には、この憲法は先に大戦で米英中ソなど連合国に降伏して押し付けられ、やむなく受け入れるしかなくて制定した憲法であり、その前文も条項も日本国民の本意ではないかのように論じる卑屈な考え方もあるが、そこには自国民・諸国民を欺いて大戦争を推進して歴史上未曾有の犠牲を強いた軍国主義とそれに同調した者たちの非を認めようとしない卑劣な無反省・無責任な下心があるということに気が付かなければなるまい。それに、そもそもアメリカ軍の単独占領が解除され、主権は回復したものの講和条約は、交戦した全連合国との全面講和ではなく、ソ連や中国などを除いたアメリカ・イギリスなど西側諸国とだけの単独講和であり、その条約締結直後に日米安保条約が結ばれ、アメリカに軍事基地を提供して引き続き米軍駐留を認め、日本はアメリカの「反共の砦」とされ、米軍占領中に朝鮮戦争1950~53年に日本から出撃中、日本国内の治安が手薄になるのをカバーするためにマッカーサ—米軍司令官の指示で設けられた「警察予備隊」が前身となって自衛隊が発足再軍備が行われて、それが米軍との同盟軍に仕立てられていったという、日本国憲法の本来の理念とはそぐわない方向—所謂「逆コース」―を辿ることになった。日本はアメリカの従属国として甘んじ、新憲法に「戦争放棄・戦力不保持」を定めていながら米軍駐留基地と自衛隊の名の下に再軍備を押し付けられてきたのだが、政権党(自民党など)はずうっとそれに甘んじてきたばかりか、進んで受け入れ、9条の解釈改憲を重ねて軍備を拡充強化し、今や明文改憲まで強行し、憲法9条2項の「戦力不保持」を改廃して無きものにしようと企図し加速している。)
 前文には「我らは平和を維持し専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」ともあって、文末の結びに「日本国民は国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」という誓いの言葉がある。それは謂わば「敗者の矜持」とも云うべき(強がりでもなく、潔さとともに戦争のない世界平和への使命感と奮起を示す)言葉であり、9条に定める戦争放棄の条項を自国・日本だけにとどめず、それを率先垂範実行して(1項の戦争放棄のみならず2項の戦力不保持すなわち軍備不保持をも)そっくり国連憲章と各国憲法にも採り入れ、軍備全廃を世界各国に促す。そうすれば、世界に戦争(殺傷・破壊の応酬=殺し合い)は無くなり、そうしてこそ恒久平和が実現でき、全人類の悲願を果たすことができる、それを我々日本国民がその先鞭をつけ先駆けとなるのだ、という「崇高な理想」の高みにまで「物語」(とはいっても「お花畑」の夢物語ではなく、その気になれば将来実現可能な「実話」となり得る物語)として描き上げることができるのでは。
1999年オランダのハーグで世界市民平和会議(1899年から始まったハーグ万国平和会議の100周年記念として開催、世界中のNGOや市民団体が1万人参集)で、「公正な世界秩序のための10の基本原則」の第1項目に「日本国憲法第9条が定めているように、世界各国の議会は日本国憲法にならって、政府の行為によって戦争が起ることを禁止する決議を採択するように呼びかけていく」という趣旨が書きこまれた。
 この会議にアメリカから参加したチャールズ・オーバビー博士(第2次大戦~朝鮮戦争に空軍パイロットとして従軍、退役後、科学者となり日本に客員教授として来日して広島・長崎の惨状を知るとともに日本国憲法の素晴らしさに触れ、その後も度々来日して講演活動、日本の「9条の会」発会に影響、「合衆国憲法に日本国憲法9条の理念を取り入れる修正を」との活動に生涯をかける。晩年には「日本の憲法9条は原爆の炎の中で、無念にも犠牲になった無数の魂が不死鳥となって甦った賜物であって、けっして
死なせてはならない
」と。又91歳で亡くなる死の直前、日本国民向けのビデオメッセージで「日本の皆様、全力で憲法9条を活かし続けて下さい。9条の理念こそ地球上の全人類にとって最も重要な宝物ですから」という言葉を残した(花岡しげる氏の著書から)。
9条2項の「戦力不保持」「交戦権否認」を堅持して(アメリカとの安保条約⁻=軍事同盟を解消し、自衛隊は軍隊化を避けて警察力にとどめつつ)国連と加盟各国がその条項と同様な規定を国連憲章と各国憲法に盛り込むよう提唱
③それに対する各国の反応はといえば、コスタリカなど同調する国も無くはないが、大多数は「とんでもない」といって拒否するか難色を示すだろうが、軍備全廃を拒否し保持し続ける国に対しては、軍備を撤廃し保持しない国に対しては武力攻撃(殺傷破壊兵器の使用)を控えることだけは約束してもらう-その確約を求めるのは軍備不保持国の権利なのだ。
④それに現行の国連憲章には、国連軍の条項はあるが、その対処が必要な事態が発生したその都度、安保理が合意して決議が成立すれば、特別協定を結んだ加盟国から兵力の提供を得て国連軍を組織することになっているのだが、常任理事国(5大国)のいずれかの拒否権で未だかつて実現したためしがなく有名無実。そのような国連憲章を改正して新たな方法で常設の国連警察軍を設けることにする。(かつて宮沢元首相が首相になる前の湾岸戦争当時、アメリカをはじめとする多国籍軍に協力を求められて、それに自衛隊を参加させるのは9条が許さないとして、それにどう応えるか腐心した海部首相の下で閣外から宮沢氏が、自衛隊とは別の人的派遣として「国際公務員」の身分で要員を派遣できるように国連常設軍創設を提唱。しかし海部首相は結局、多国籍軍には巨額の資金協力で応じて国際社会からは「金だけだして汗を流さない」といった批判にあい、湾岸戦争終結後にペルシャ湾にバラまかれた機雷の除去作業に海上自衛隊の掃海部隊が派遣。その後、宮沢首相の下でPKO協力法が成立して「国連平和維持活動」―紛争後の国や地域で停戦監視や選挙監視、警察などの治安機関支援や道路・橋など復興支援、難民などへの人道支援活動-に当たり、隊員は身を護るための銃器は携行しても戦闘は行わない、というもの―に自衛隊が派遣されるようになったのだが。)それら特定の国々から派遣された軍隊から成る多国籍軍やPKOとも異なって、不特定の国々から「国際公務員」として公募した要員から成る常設の国連警察軍が、軍備を持たない国の安全を保障する役割を(国際刑事裁判所とともに「法の番人」として)担うようにする。
日本国憲法の9条2項の「戦力(軍備)不保持」は、他国に対して戦争放棄とともに「安心供与」という謂わば贈与。だとすれば、それに対してその恩恵を被る他国の返礼(見返り)があって然るべきだが、それには一つには、軍備(武力)を保持する国が、それを撤廃し保持しないことにしたその国に保護を与える、つまり「守ってやる」という見返り(日本に対するアメリカのように、とはいっても、アメリカは日本に再軍備させて自衛隊を同盟軍に仕立てているのだが。)しかし、最良の見返りは同様の「軍備撤廃・不保持」であり、軍備を保持し続けるならば、軍備を撤廃し「安心を供与」してくれているその国に対しては、武力攻撃は控え避けるようにしてもらうことだろう。さもなければ軍備保持国は軍備不保持国にとって脅威となる。
 諸国にとっては、軍備を放棄して保持しない国(国連の然るべき機関が検証・査察して確認)があれば、その国からは攻撃される心配がないという安心が得られる、という「安心供与」になるわけであり、「軍備を保持している国」は、「軍備を保持しない国」に対しては武力攻撃・威嚇を控えるというのは、その「安心供与」に対する「見返り」というか代償としてあって然るべきであって、「軍備を放棄した国」が「軍備を保持する国」に対して、それを求めるのは「軍備を持たない国」の「権利」といってもいいだろう。武力攻撃を受けて、それに対して軍備を保持して武力で防衛・抗戦するのが「自衛権」として「権利」と認められるのであれば、「軍備を放棄した国」が「軍備を保持する国」に対して自国への武力攻撃は絶対に控えるよう求めることができるというのも「権利」といっていいのでは。
 自衛権が認められているからといって軍備を保持し、「自分の国は自分で守る(個別的自衛権)」或いは「(集団的自衛権も認められているから)同盟国・同志国と共に武力で守り合える」とはいっても、戦争になれば「殺し殺され、壊し壊される」悲惨な結果を招くことになる。だからこそ、そのような殺傷破壊戦争は避けて軍備(戦力)は持たず、他国・隣国に対してはいささかたりとも脅威とはならずに安心を供与し、万一自国が他国から安全が脅かされ武力攻撃を受ける事態があれば集団安全保障機構たる国連の常設警察軍(常備軍)から護ってもらう。「軍備を保持しない国」が「軍備を保持する国」から侵略・攻撃されるなど「もしものこと」があった場合には、国連加盟国の集団安全保障を担保する役割を担う国連常設警察軍が対処して(侵略・攻撃を阻止・排除して)くれるよう国連に求める権利も保障されて然るべきなのでは。その国連に各国は分担金(国民総所得など支払い能力に応じた金額—現在、日本の分担率は6.9%で加盟国中3位、2位が中国で、1位のアメリカは22.0%だが未納・滞納を続けている)や任意拠出金(金額は各国の自由)を負担し、国連常設警察軍が創設されれば、そこから資金が当てられるが、要員(兵員・隊員)は各国の軍隊や自衛隊からの派遣軍ではなく、どの国かを問わず世界中の不特定個人から公募される「国際公務員」として採用して訓練
⑥9条で「戦力(軍備)を保持しない」我が国・日本が他国(アメリカにも韓国・中国・北朝鮮・ロシアなど)に「安心を供与」。そこで、「戦力を保持しない」ことになっている我が国が安全保障を得るには、今まで通り自衛隊を「戦力」にはならない程度(「自衛のための必要最小限度」内)の実力だとして保持するとともに、安保条約でアメリカと同盟を結んで米軍に駐留基地(130か所)を提供して米軍から守ってもらう(但しそれはアメリカが我が国に安全を提供するだけでなく、アメリカが自国の世界戦略のため、米軍が朝鮮半島や台湾海峡など極東或いは中東など世界各地の戦争に関与するその際の出撃基地として在日米軍基地が利用でき、日本の自衛隊を後方支援や共同作戦に利用することもできるということで、アメリカにとっても有益だからに他ならない)。その日米同盟と在日米軍基地は中国・北朝鮮・ロシアなどに対して「安心供与」どころか恐ろしい脅威となっている(それを「抑止力」と称し、それがアメリカの「核の傘」とともに日本の安全保障になっているのだというわけだ)。それにアメリカが日本を守ってくれる「防衛義務」があるとはいっても、日本が中国・北朝鮮・ロシアなどから侵攻・武力攻撃を受けたからといって日本防衛のために米軍が「矛」になって自衛隊を「盾」に戦ってくれるというわけではなく、(それとは逆で)日本を防衛するのは一義的にはあくまで自衛隊なのであって、戦闘で血を流すのは自衛隊員、米軍は戦闘以外の軍事情報の提供や兵器・砲弾・燃料の補給・作戦指導などの支援活動にとどまる。
 そのような安全保障をアメリカとの安保条約(自衛隊と米軍の軍事同盟)に依存するやり方に対して、それをやめて9条の非軍事・非同盟に徹し、万一の不正な侵害に対しては国連の集団安全保障として国連警察軍に対処(制止・排除)を求め(基地も提供)、自衛隊を海上保安庁とともに警察力として統合し、国境警備隊或いは国土警備隊として改編して国連常設警察軍と共に対処するようにする。
 9条の下での安全保障を日米安保条約(自衛隊と米軍との軍事同盟)に頼るのと国連加盟各国の支援の下に国際刑事裁判所及び国連警察軍に頼るのとでどちらが賢明かだ。
 国連常設警察軍は国々の軍隊と違って国連加盟国全体の集団安全保障のための警察軍であって、加盟国の平和・安全を脅かし、侵害・危害を加えた国や勢力(謂わば「ならず者国家」や「無法者集団」)に対処する実力強制機関で、その最高指揮官・幹部をはじめ要員は各国から公募されて国際社会・「世界の市民」全体に奉仕する「国際公務員」で、自国ファースト・自国エゴでは動かず、世界人として公正と信義で動くものとされる。そこが普通の国々の軍隊とは違う国連警察軍なのだ。
(5)現在の国連は国連憲章で不戦・武力不行使の原則を定めていながら、各国に個別的自衛権・集団的自衛権とも認めて(「自分の国は自分で守る」)軍備保持を容認しており、いずれの国家も自衛・防衛のためとか、抑止力のためと称してそれを保持し拡充強化(軍縮よりも軍拡へ)そして自衛権行使の名の下に(予防・先制攻撃や相手国領域に侵攻してまで反撃を加える戦争になって)戦争が絶えない状況
 そもそも国連は先の大戦で戦勝した米ソ中英仏など5大国を主とする連合国によって5大国主導(大国中心主義)の下に結成されたもので、国連の実質的な最高機関たる安保理の常任理事国は、81年も経って未だに、これら5大国によって占められ、その大国にそれぞれ拒否権という特権が認められ大国一致が原則でその常任理事国の大国が一国でも反対すれば決議は不成立となり、ウクライナ戦争はロシアが、イラン戦争はアメリカが強行して、国連はそれらの戦争を止めようにも止められずにいて、安保理は機能不全に陥っている。
 国連憲章には旧敵国条項(53条・77条・107条)があって、大戦中、連合国の敵国であった(枢軸国)日本・ドイツ・イタリア3国とそれに組した国々が(再び戦争を起こすことを警戒して)それらの国が侵略を始めたら直ぐに対応できるようにしておかなければならないとの理由で、(侵略攻撃に対する自衛権行使には安保理の許可が必要とされているが)旧敵国の侵略攻撃に限って許可なしに自衛権行使(軍事行動)できる。日本は国連が発足してしばらくの間、連合国アメリカの占領下に置かれ、解除されて主権回復が認められ、国連加盟も認められたが、旧敵国条項はそのままで、もっと後なって(1995年)国連総会の決議で無効(死文化)とされるようにはなったが条文は未だに削除されてはいない(削除—条文改正には加盟国の3分の2以上賛成の批准が必要で、それが得られていない)。(高市首相の「台湾有事」発言に反発した中国は自国の不可分の領土である台湾の問題に日本が武力介入するのは侵略行為と見なされ、その際は旧敵国条項に基づいて中国は日本を攻撃できる権利があると主張している。)
 このような状態をいつまでも、そのままにしておくわけにはいくまい国連改革・国連憲章の改正は避けて通れない今さし迫っている国際社会の最重要課題しかし、軍備全廃なんて、今現在193ヵ国ある中で、軍備を持たない国なんてコスタリカやアイスランドなど27ヵ国の小国があるだけで、大多数の国はそれぞれ国力に応じて軍備保有。それを全部一斉に全廃させるなんて到底不可能と考えられるが?(否、不可能ではないが、容易なことではないということだ。何故なら理屈・理論上は、軍備全廃は可能なはずで、その意志さえあれば、為せば成り、実現できるはず。なのに、人々の行動や言動を決定づけるのは、理屈で判断する理性だけでなく、快・不快、好き嫌いで判断する感情や利害損得で判断する欲望<財欲・名誉欲・権力欲>或いは本能的欲求・衝動など色々あって、理性・理屈では適切・不適切と解っても、或いは「殺傷兵器など禁止すれば殺し合いする戦争なんて無くなるはずだ」と解りきったことであっても理由を付けて、人によっては感情・欲望・衝動など他の動因・動機から意思決定することになるわけである。だから「良いも悪いも、分かっちゃいるけどやめられない」ということで、戦争はやめられないし、軍備も武器も手放せない、ということにもなるのだ。)
 中でもずうっと戦争を繰り返しやってきて、今もやっているアメリカ(イラン戦争)やロシア(ウクライナ戦争)、イスラエル(ガザ戦争)、アメリカとイスラエル両軍に対抗するイラン、米ロに対抗して覇権を争っている中国、朝鮮半島では日本の植民地支配から米ソ冷戦下に南北分離・独立している朝鮮民族の統一を巡って米中それぞれの支援の下に南北両軍が戦争(朝鮮戦争)、休戦協定は結んでいるものの未だに敵対している韓国と北朝鮮。中国は旧日本軍の侵略に抗した日中戦争に勝利した後の内戦で中国大陸を制覇した中国新政府(中華人民共和国)軍と台湾に逃れた旧政府(中華民国)軍との間で政府が分かれて中台両政府が未だに対立、統一回復か台湾の分離独立かで中台戦争の危険(台湾有事)があって、アメリカがそれに介入して米軍が日本の基地から出撃し自衛隊がそれを支援して日本が巻き込まれる事態が想定されるなど、目下戦争中か、今後とも戦争は避けられないといった国があって、そんな国は軍備にかじりついて、到底手放しそうにない有様
 それにデジタル技術の高度化(「第4の産業革命」)もあってドローン無人機やAIによる自律型ロボット致死兵器(いずれも殺傷破壊兵器であることには変わりない)などによる「新しい戦争のやり方」で戦争が激化しつつある(核兵器の抑止力が効いて核戦争は広島・長崎の原爆投下以来起きてはいないからといって核抑止は効いているというわけではあるまいが、いずれにしても兵器は安上がりになって、或いはゲーム感覚で戦争はやり易くなって、かえって激化)。
(それらの背景には、それぞれ為政者の野望とそれに同調する自国第一主義・自国民ファスト・愛国主義など国民感情・大衆迎合主義があり)このような国々は軍備にかじりついて軍拡を競いはしても手放そうとはすまい?
 しかし、このような「法(国際法)の支配」を無視した「力の支配」覇権争いと戦争をいつまでも許してはならないし、その手段たる軍備は、核兵器はもとよりあらゆる殺傷兵器も放棄させなければなるまい
 少なくとも軍備を放棄せずに保持し続ける国は、軍備を放棄して保持しない国に攻撃を加えてはならないという条件でしか軍備保持は認められないというようにしなければならない(軍備放棄を原則とする)。
 軍備を放棄して保持しない国に対する安全保障は国連が責任を負う―国連警察軍を常設してその役割を果たせるように(軍備を保持しない国の安全を脅かす国や勢力に対して、それを制止・制圧できる)実力組織を国連が保持、その集団安全保障体制を整えるべく国連改革は喫緊の課題
(6)護憲派は自民党と維新の会との連立政権それに同調する諸政党の改憲に反対し、9条堅持・徹底を期して日米軍事同盟解消、米軍基地撤去、自衛隊の装備から殺傷兵器など廃棄と軍隊化阻止を日米両政府に求めるとともに、アメリカ・イスラエル・ロシア等に対して戦争やめよと叫ぶだけでなく、国連加盟各国に対して「戦争のない世界恒久平和」のために軍備全廃を訴え1999年のハーグ世界市民平和会議に結集したNGOや市民団体に再結集を呼びかけ国連憲章改正を提案し国連改革にイニシャチブを発揮して然るべきなのでは。
 しかし、国連憲章の改正には加盟国の3分の2以上の賛成を必要とする。それを可能としなければならない。容易なことではないことは確かだ。だからといって「そんなのできっこない」と希望と努力を放棄してはなるまい。「日本国民は、国家の名誉にかけ全力をあげて、この崇高な理想と目的を達成することを誓」った憲法を放棄してしまうなんてあり得まい。
(7)世界の国々ではアメリカ(独立宣言・憲法制定後18世紀末の修正以来、「民兵の組織のため」として個人の武装権・銃所持が憲法で認められている)をはじめ、個人に銃所持を認めている国が大多数で、それらの国では国内で乱射・殺人事件が多いが、我が国では銃刀法で刀剣とともに個人の銃所持は(猟銃免許など以外は)禁止されており、銃犯罪は(元首相の手製銃による暗殺事件など)稀にしかない。その意味でも我が国は「平和・安全な国」とされている。しかし、自衛隊の装備に供する兵器産業企業による製造とアメリカからの輸入以外に、最近になって「殺傷兵器」の輸出さえも解禁されるようになってきているのは、改憲の動きとともに忌々しき一大事
(8)日本国憲法9条2項を世界に「推し活」して「戦争のない恒久平和」を目指すこの「物語」(構想)は、改憲されて9条2項が削除されるか空文化されてしまったら一切無に帰してしまい夢も希望も無くなってしまう。だからこそ9条改憲だけは是が非でもくい止めなければならないのだ。
(9)「気候崩壊」ともいうべき気候変動とテクノロジーの急速な進歩・発展カネ次第で想いのままに欲望を満たすことができるようになった資本主義は極限に達し、食料・資源の偏在と格差・欠乏が益々ひどくなるばかりで、奪い合いの戦争は益々多発・激化し、人類社会はこのままでは立ち行かなくなり、ポスト資本主義へ社会体制の変革は必至となるだろう。・・・・・(斎藤幸平氏の著書「人新世の黙示録」が近未来の社会進展と変革の有り様を論じている)。


ホームへ戻る