軍備について基本的な考え方―軍備(戦闘員と殺傷破壊兵器・武器弾薬など戦争の準備)は防衛・自衛のためとか、侵略攻撃抑止のためという目的の手段としてそれらを国々が互いに持ち合って、侵略や攻撃を予防するための先制攻撃を仕掛けたり、或いは仕掛けられて抗戦・報復攻撃を行ったりで戦争(殺し合い)が繰り返されてきた歴史があり、それが今も行われている。つまり軍備という手段があるから戦争が行われてきた(軍備は戦争の火種なのだ)。だとすれば戦争を無くすためには、軍備を無くす以外にないのでは。
自衛は正当防衛だからといって人を殺傷し施設・財産を破壊する権利などあり得ず、ただ罪には問われず免れるだけのこと(法的には違法性の阻却、処罰や責任の阻却、不起訴処分の如き扱いで済まされる)。
(1)軍事的抑止力―そもそも主観的な心理作用で、客観的な論証(実効性の証明)は不可能であり算定も不可能で、軍備を持ち合って対峙しているお互いが相手に対して必要以上に警戒感・脅威・猜疑心を持ち合い、軍事的緊張を深め互いに心が軍拡へ向かい脅威がさし迫っていると感じて何らかの切っ掛けで軍事衝突(先制・奇襲攻撃に対して反撃・報復攻撃)から戦争になってしまうという、戦争を抑止するはずが、返って誘発してしまう矛盾(「安全保障のジレンマ」)が付きまとう。
軍拡競争は武力紛争のリスクを高める。(1979年カナダの大学マイケル・D・ウォレス教授の研究によれば)1816~1965年の150年間で軍拡競争をやっていた大国同士では(28例中23例)82%が戦争になっており、軍拡競争をしていなかった国同士で戦争になったのは(71例中3例)4%しかなかったという(軍拡が戦争を招くということの証例)。
そもそも軍事力(軍隊であれ自衛隊であれ武装組織で武器・殺傷破壊兵器その他戦闘に必要な装備を保持―軍備)は外敵の侵略・攻撃・戦争を抑止するための「抑止力」であり、かつ又「対処力」で自衛・防戦のための備え。「自衛権」は国際法上認められているが、定義が曖昧で拡大解釈が行われるようになって、自衛でも「予防的自衛」とか「先制的自衛」(「やられないうちに、やってしまう」「先にやらなければ、やられるから」と)「大量報復戦略」などと称して、侵攻(ロシアのウクライナ侵攻、アメリカのイラク侵攻など)・先制攻撃(アメリカとイスラエルのイラン攻撃)・ジェノサイド(ハマスの奇襲攻撃を受けたイスラエルがガザに侵攻して住民を集団殺害)も行われている。
軍備(防衛力・自衛力など武力)は外敵の侵略・攻撃を抑止するためのものだといっても、それらを(一切使わずに)ただ持っているだけではなく使って見せつける。そうして(「こんな目にあうんだ」と見せつけて)外敵を抑止する。つまり軍事的抑止力というのは単なる「抑止力」だけでなく時によって武力行使するのとセットなのだということ。
「核抑止」の場合は、核保有大国同士なら相互均衡抑止で互いに核戦争を避けようとして双方とも攻撃を控えるが、その代わり、それ以外の相手に対しては通常兵器で戦争を仕掛けるか誘いこみがちとなる(ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻、アメリカとイスラエルのイラン攻撃はイランが核開発をやっていると見なしてそれが未完成のうちにやってしまえとばかりに先制攻撃、インドとパキスタンは核保有国同士だが通常兵器で撃ち合うも、間もなく停戦)。
防衛力(軍備)は保持していても、紛争はあくまで外交交渉(話し合い)で解決することを目指すとはいっても、それを保持する限り、陰に陽にそれ(軍事力)が外交目的の(自国に有利な結果を導く)手段(最後の切り札)として役立てられる(だから手放さない、それは「ピストルを懐に忍ばさせ、握手してにこやかに対話する」が如きもの)。いずれにしても「力の外交」には変わりなく、フェアな外交とはいえない(「強制外交」「棍棒外交」の類)。
それに要する費用(防衛費)―2026年度防衛予算は9兆円超で、教育予算の2倍、農林水産予算の4倍。トランプ政権が求めるGDP比5%に応じるとすれば35兆円(国民一人当たり税負担額にすれば28万円)にもなる―「国の安全保障」のためならば仕方ない(出し惜しみできない)お金なのか、それとも「大いなる無駄」なのかだ。
高市政権の方針―GNP成長投資として防衛産業(三菱重工や川崎重工など兵器製造メーカー)への――装備移転・武器輸出拡大、殺傷兵器も解禁。こんなことも「戦争抑止、平和・安全のためだ」というのだろうか。このような9条改憲(軍事化)は他国に対して「平和国家」ならぬ「軍事国家」として脅威・不安を与え、他国・隣国の軍事にも脅威・不安にさらされなければならないことにもなり、安全保障にはなるまい。
それに軍事には諜報・防諜活動や国家機密の管理厳格化が必要とされ、官憲による監視・盗聴・取り締まりなどで国民の自由・人権・プライバシー・知る権利などに対する侵害・抑圧が付きまとう―現に今「CIAの日本版「国家情報局」の創設とか「スパイ防止法」などの法案が出ている。高市首相いわく「我が国を取り巻く安全保障環境は戦後最も厳しく複雑なものになっている」この時にあって「あらゆる選択肢を排除せずに、防衛力の抜本的強化に取り組んでいく」と。しかし、それと同様の考えで各国が互いに防衛力を持ち合い強化し合って軍備競争に邁進する。それこそが安全保障環境を悪化させる最大の原因にほかならないのでは。
(2)それに対して非軍事抑止力―安全保障
(軍備・戦力を持つということは、何か―防衛も、予防・先制自衛も―必要があれば武力攻撃・交戦する意志がある、ということで、他国や関係する相手国から見れば、交戦・武力行使する意志があるということなのだが)非軍事抑止力という場合は、(憲法9条で軍備(軍事力)不保持、交戦権否認(戦わない)を定め、戦う意志なしということだから、それは、どんなことがあっても、侵略はもとより予防・先制自衛攻撃もあり得ないということ。また他国あるいは関係する相手国から見れば、武力攻撃される心配は全くないということで安心供与。そんな国に対して、侵攻して抗戦も応戦もされる心配がないからといって侵攻すれば、或いは武力を以て威嚇を加えても国際法違反・国連から必ず制裁を被る、だから侵略・侵攻は出来ないし、武力威嚇も通用しない、という抑止力になる。
そのような非軍事抑止力は軍事的抑止力と比べてどちらが効き目があるか、確実性があるか、どちらが危うい(危険)かだ。
尚、テロリスト・武装集団による侵犯・威嚇に対しては(国境・国土警備隊など)警察力による警備・阻止・排除活動はあって無防備と云うわけではない。その警察力の(必要な装備など)拡充が必要。
それ(軍事力不保持)を国連加盟各国とも行って軍備全廃すれば、そのどの国も侵略国とは見なされず、武力威嚇も侵攻も予防・先制攻撃されることもない。(逆にその軍備廃棄を拒否或いは国連や国際裁判所条約から脱退して保持し続ける国は、侵略・武力行使を仕掛ける可能性・危険性のある侵略・テロ国家として見なされることになり、国際法違反国家として国連による制裁対象となる。)
この場合も、それに必要不可欠な前提条件は、(国際法たる法の支配と国際刑事裁判所や国際司法裁判所の強制権限を担保するためには国際警察力が必要で)侵略・武力行使・威嚇の禁止に対する違反国またはテロ・武装集団による武力攻撃・侵攻に対処する国連警察軍の常設(国連職員と同様に各国から隊員を公募、世界の各地域にその基地を置く)が必要。(今までのような国連の安保理で常任理事国が一国でも拒否権を行使して全会一致で決定できず組織されたことのない有名無実な国連軍ではなく)。
各国とも軍備・軍事力は廃しても、テロリストや非合法の武装集団に対処する各国の警察力は保持するとともに新たな常設の国連警察軍を創設して、ある国が再軍備しようとしたなら、それに対処、実力で阻止できるようにするのである。
今の国連にも「国連警察」はあって、国連加盟各国から派遣された警察官で構成され(日本からも派遣されていたこともあり)、世界のあちこちの紛争地で治安維持に当たってきている、それを軍事部門と合体させて拡充した常設機関としての国連警察軍があって然るべき。
国連全加盟国とも一斉に軍備全廃とは、一気にはいかない(実行が難しい)とすれば、いずれかの国或いは幾つかの国が独自に軍備を撤廃すると決めた(それを実行したのを国連の然るべき機関が査察・検証して確認した)その場合は、その非軍備国(軍備を撤廃して保持していない国)に対しては他のいかなる国も武力攻撃・威嚇も行ってはならず、その禁を犯して武力攻撃・威嚇を行った国は国連から制裁を免れないものとされる(国連憲章の法制上厳格化が必要)。
仮にアメリカ・ロシア・中国など軍事大国あるいはイスラエル・北朝鮮その他が核兵器のみならず軍備にすがりついて手放そうとせず、核兵器禁止条約に加わらないのと同様に軍備全廃条約(国連で軍備全廃を決議し国連憲章を改正してそれを定めても)それに加わらずに国連を脱退したとしても、それらの国を除いた国連加盟国だけでも軍備全廃。仮にそれら軍備を保持し脱退した国から軍備全廃した国連加盟国が侵攻・武力攻撃・威嚇をしかけられとしても、それには屈することなく他の国連加盟国(軍備全廃国)と連帯し非軍事(非暴力)・非協力・不服従抵抗を頑強に貫き、その(軍事作戦を仕掛けた)軍備保持国は国連加盟国の経済その他の非協力制裁或いは国連警察軍(それに対応できるだけの実力-装備を保持)の軍事制裁も被り、かえって不利益を被るか無益な結果を被ることになる。
(3)この軍事的抑止力と非軍事的抑止力のどちらが合理的で得策かを判断したうえで、いずれかを選ぶ決断をするのは時の為政者(政権与党政治家)とそれを支持する国民の意志である。
地震や津波など天変地異や野生動物の弱肉強食の生存競争(自然界の営為)は止められないが、戦争は人間の意志による人為であり、(9条に従って)戦争をやめるも軍備をやめるも「為せば成る、成らぬは人の為さぬなりけり」で、人々(国の為政者とそれを支持する国民)の意志に懸かっている。
今はトランプやレタニヤフやプーチンなど好戦的な国家指導者の強烈な意志が、国連事務総長や国々を代表する政治家たちの反対意志より優っているために戦争を止めることも無くすることもできないでいる。国際政治の政治家・指導者たちの信念・意志の強さが問われている。
要するにトランプなどのように核も軍備も保持し「力による平和」を目指すやり方と、9条のように軍備を撤廃し「非軍事・友好による平和」を目指すやり方とで、どちらを選んだ方がいいのか、皆さんはどうお考えでしょうか。(こういったことまで改憲派の方々と議論したらいいのでは。)
いずれにしろ殺傷兵器を使って殺し合いをする戦争を無くして諸国民の平和的生存権の保障と恒久平和の実現のためには軍備全廃が必要であり、それは一に懸かって国際政治指導者たちと平和を愛する諸国民の意志に懸かっている。