米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


ガザの悲劇
2025年06月04日

 パレスチナ人医師イゼルディン・アブラエーシュ氏の「私は憎まない」という映画を見た。
 2009年、ガザで医師の自宅がイスラエル軍の戦車の砲撃を受けて娘ら4人が殺され、イスラエル政府の責任を追及して裁判に訴えるも退けられ、それでも復讐心や憎しみは持たないという話だが、あたかもイエス・キリストの「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」という言葉にも通じる。
 イスラエル人のユダヤ教では「目には目を」で同害報復までは正当防衛として合法の範囲だとされているが、今ガザの実態はそれを遥かに超える「百倍返し」の如きジェノサイド行為。同害報復であれ、倍返しであれ報復を戒めるキリストの言葉が意味するところは、柄谷行人・思想家(岩波新書の「憲法の無意識」)によれば「神に願い事をかなえてくれるよう、お返しを迫るような贈与ではなく、唯ひたすら祈る『純粋贈与』で無償の『愛の力』ともいうべきもの」(そういえば、当方の父が家に飾っていた短冊に「垂乳根はおおき愛もて子を育て行うのみに何も言わずき」というのがあったが)。それで柄谷氏は日本の憲法9条について次のように説いている。9条(戦争放棄・戦力不保持)は(敗戦国が強制的に武力を放棄させられたというようなものではなく)国際社会に向けられた、まさにその『贈与』なのであって、贈与によって無力になるわけではなく、その逆で、国際世論の圧力のかたちで、軍事力や経済力(金の力)などを超えた力が得られるのだというわけ。
(日本が9条の「戦力不保持」規定で軍備を保持していないからといって、他国がこれ幸いと攻め込んだり領土を奪ったりすれば、国際社会から糾弾される。日本が9条を実行することを国連で宣言するだけで状況は決定的に変わり、それに同意する国々が出てくる。そしてそのような諸国の連合が拡大する。それは、旧連合軍が常任理事国として支配してきたような体制を変えることになる。日本が憲法9条を文字通り実行に移すことは単なる自衛権の放棄ではなく、「贈与の力」となるのだと。)


ホームへ戻る