米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


世代間対立と憲法観・左右イデオロギー対立
2025年01月10日

 昨秋の衆院選の結果は「左右間対立ではなく、世代間対立という構図」で「『手取りを増やす』というフレーズで現役世代優先を掲げた国民民主党が躍進」と(伊藤昌亮教授の指摘)。
若い人たちは手取り20万円に満たないのに高齢者は年金でもらえている。そんな社会保障は削って彼らの税金や保険料の負担を減らせばいいのだ、という意識。(そして高齢者の終末期医療見直しと「尊厳死の法制化」が必要、とまでほのめかした国民民主党の党首。)
 そもそも若年世代の貧困は非正規雇用(全雇用者の4割)や学生の高額費(アルバイトで稼がざるを得ず)等にあり、高齢者の貧困も深刻で、年金・医療・介護は切り下げられており、優遇されているのは(所得が一億円を超えると税負担率を下がるなど)極一部の富裕層だけ。(唐鎌・佐久大教授によれば、そもそも社会保障は、世代間で支え合うものではなく、税の社会的再配分によって貧困・格差を是正するものであって、その基礎は税の応能負担の原則で、税は大企業や富裕層が能力に応じて払うべきなのに、現役世代と高齢者の対立が意図的につくられ、すり替えられている。)
 それに防衛費確保・増額のため全世代とも社会保障及び教育への公費負担が抑制・削減。
それが実態なのに、「社会保障で高齢者が優遇され、現役世代に負担が偏っている」と世代間対立を煽り、貧富の格差を覆い隠す論調が横行。(米欧では人種間・宗教間・流入移民との間の対立・分断なのに対して日本では不満のはけ口が世代間対立に向けられている。)
 若年世代が高齢世代に対して(社会保障が「既得権益」でその受益者でもあるかのように見なして)反感を抱くのと、それに乗じた国民民主党と政権与党の対応それに維新などには自由主義イデオロギーがある。若年世代の「今だけ、金だけ、自分だけ」という考え方とそれを新自由主義で理論づけるイデオローグたる政党や論者。その自由とは、資本家が投資や企業経営・市場取引の自由を求め、それに対する政府や公権力の規制や介入を拒むブルジョア的自由で、「公助・公共サービス・社会保障に頼らない自己責任主義、公共事業の民営化・市場原理(自由競争)主義、規制緩和、公費削減、法人税などの減税」等を良しとする。
 それに対して現行憲法には基本的人権として、そのような国家など公権力から強制・干渉を受けない自由権(「権力からの自由」)だけでなく、逆に国民が人間らしい生活を保障すべく国に介入を求める権利として社会権(「権力による自由」)をも(参政権―権力への参加権―即ち民主政治)とともに定めている。それがリベラル的自由である。(憲法には自由権の濫用禁止とともに「公共の福祉」に「反しない限り」とか、それに「適合するように」とか、「公共の福祉」のために「これを利用する責任を負う」として自由権の制約を定め、全ての生活部面について国が社会福祉・社会保障・公衆衛生の向上・増進に努める義務、勤労者の団結権と団体行動権、公教育を受ける国民の権利、国民の納税義務を定めている。)
 そこに、このような憲法にはなじまず改憲志向をもつ党派とリベラル護憲派との対立がある。といったことを考えると「世代間対立」は結局、ブルジョア的自由主義対リベラルというイデオロギーの左右対立でもあると云えるのでは。如何なものでしょうか。


ホームへ戻る