そもそも軍備(軍隊・武器・兵器)は国民国家に必要不可欠なものか、それとも軍備など無いほうがいいのか。
(1)軍備が必要とされるのは―①他国に侵攻して強要するため(違法な要求であっても自国にとっては死活的な国益あるいは安全保障に関わる正当な要求であると勝手に決め込んで、それを強要し、受け容れさせるため)、②そのような侵攻に対して抗戦・反撃するため―①と②の両軍の交戦即ち戦争(ウクライナ戦争、ガザ戦争、或いは満州事変から日中戦争・太平洋戦争に至る旧日本軍の戦争など)に必要とされた軍備。
③抑止力として―軍備を背景にして互いに自制・牽制―相手が攻撃に出るか否か分からず手出しできないが、戦争になるかもしれない不確実性あり。
リスク―軍拡競争(互いに軍備増強)
命を惜しまず、犠牲をものともしないテロリスト・過激派組織にはあまり効果ない
④外交交渉の駈け引き(押したり引いたり)に軍備を利用(「棍棒外交」)―信頼関係の上に立った外交にはならない―決裂すれば戦争になる。
いずれも戦争(犠牲・惨害)に繋がる、国際緊張を強める、財政負担がかさむ等のリスクが付きまとう。
(2)軍備が無ければどうなるか―戦争だけは避けられる(戦争は「殺し合い」であり、それを「正義の戦争だ」とか「必要悪だ」とか云って合理化されるものではない絶対悪であり、避けなければならないもの)。。
戦争(武力攻撃)抑止のためには、むしろ軍備など持たない方がベター(というよりも「最善の抑止力」)―どの国にも(国民に)安心供与。
日本国憲法の9条には「戦力」(軍備)の不保持・交戦権の否認が定められているが、それは、本来は(2)の立場。
但し不正・違法な侵犯・侵害に対処あるいは「拒否的抑止力」として警察力による国境警備等は必要不可欠。
それにしても警察力以上の軍備・軍事力を持たないとなると、その防備の手薄なことが、かえって「その気」のある国の侵攻を呼び込むような結果になりかねないとして、軍備撤廃・不保持・非武装など、あまりに無謀で安直な考えだという向きも。それはどうか?必ずしもそういうことにはなるまい。ただその確証はあるかといえば、あるとも云いきれないが、それを確実にする方法は一つある。それは、(日本はこれまでアメリカとだけ安保条約を結んで、その核の傘で必ずしも安住もできず中国・ロシア・北朝鮮などを「脅威だ」として、日米同盟の強化と軍拡に躍起となってきたが、その軍備依存をやめて、憲法9条に定める本来の国是に戻って)日本が近隣の国々(中国・韓国・北朝鮮・ロシア・アメリカ等)をはじめ各国と、あらためて(軍備のない国に対しては武力攻撃及び武力による威嚇は行わないという)不可侵の安全保障条約を結ぶようにすればよいわけである。まずは、それを日本が単独で各国それぞれに提案・交渉(相手国は拒否できないはず。拒否したら侵攻の意思ありと見なされ、警戒すべき危険国として国連に通報すれば安保理が対応をとるべき事案となる)。いずれ国連にそのことを持ちかけ(強く訴え)て加盟各国とも日本に対する不可侵条約を結ぶよう求める(それと同時に国連憲章に定めている第2次大戦時の日本など旧敵国が再び侵攻など行った場合は特例として安保理の決定を待たずに侵攻を受けた当事国は自衛権で武力行使ができるという「敵国条項」が未だ削除されていないが、その完全削除を求める。そもそも「戦力」即ち軍備を保持しないと憲法に定めていて、他国に対して武力侵攻などできるはずのない日本に対して、そんな条項など全く無用のはず。)
そもそも(軍備のない国に対して武力攻撃及び武力による威嚇は行わないという)不可侵の安全保障条約は、不戦平和憲法制定当初からそれを念頭に(アメリカ軍の占領解除、主権回復と同時に)、アメリカを含む近隣諸国と結んでいればよかったのだ。それを、アメリカの思惑に従い、占領中の米軍がそのままに基地に居座って「日本を守ってやる」(日本は守ってもらう)という「安全保障条約」(アメリカ本位の積極的安全保障の条約)を日本政府は受け入れてしまった。その結果、アメリカに都合のいい(米軍に治外法権的な特権を認めた)地位協定を結ばされ、基地周辺住民が迷惑を被り、日本の自衛隊も増強され同盟軍として共同防衛義務を負うものとして利用され、アメリカの戦争に日本が巻込まれるようになるなど、日本にとってはかえって多大なリスクが付きまとうようになってしまっている。そんなアメリカ本位の「積極的安全保障」だったら、むしろ憲法上(戦力不保持・交戦権否認で)軍備のない日本に対しては武力による威嚇・侵攻を行わないと約束する不可侵条約を他の近隣諸国とともに結んで、安全を保障してもらえば、それ(「消極的安全保障」)で十分なのであり、軍備のない「丸腰の」国を武力攻撃してはならないという、そんなことは(普遍的な政治道徳としても)当然のことなのである。
(尚、非核兵器地帯条約―中南米非核地帯条約の議定書にはアメリカなど5つの核兵器国とも消極的な安全保障を定めた議定書に署名・批准。オーストラリア・ニュージーランドなどが加盟している南太平洋非核地帯条約の議定書にはアメリカを除く核兵器国が署名・批准。アフリカ非核地帯条約の議定書にはアメリカは署名のみだが、それ以外の核兵器国は批准も、それに国連が呼応して「アフリカ非核地帯化宣言履行」決議。中央アジア非核地帯条約の議定書にはアメリカ以外の核兵器国は批准。モンゴルは単独で非核化宣言、それに国連が呼応して総会でモンゴルの「非核兵器国の地位」承認。東南アジア非核地帯条約の議定書には核兵器国は今なお参加していないが、それ以外―では、核兵器国は非核兵器国に対しては、核兵器は使用しないことを保証するという「消極的安全保障」というものがあるのだが、それを核兵器に限らず、通常兵器も全ての兵器を保持しない国すべてに対しては、核攻撃だけでなく通常兵器による攻撃も全ての武力攻撃を行わないという保証―即ち武力不行使の安全保障条約を結ぶようにして然るべきなのでは。)結論―国民国家は各国とも軍備(軍隊・武器・兵器)を保持し合い、牽制・抑止・自衛・制裁し合えば、どの国も軍事的安全保障で安全が保障され、戦争のない世界の恒久平和が実現できるのかといえば、それはできない。軍備は「戦争抑止のため」と云っても、それで抑止しきれる確実性のある安全保障にはならず、それで戦争から遠のき恒久平和に近づくことなど出来ない。
国民国家各国とその連合(国連)はむしろ軍備を持ち合わず武力攻撃・侵攻し合わなければ安全保障と恒久平和は実現できる。軍備など持たない方がいいのだ。
現在の国連憲章(2条4項)は他国に対する武力の行使・威嚇を「慎まなければならない」として、侵攻したり戦争を仕掛けたりしないようにすべし、つまり加盟各国に対して「戦争するな」ということで戦争禁止(武力不行使原則)だけ定めているが、国連の役割は世界で戦争が起きないようにする(戦争を無くす)ことであって、各国に「戦争をさせない」ことにある。戦争させないためには「するな」「しないようにせよ」というだけでなく、「戦争できないように」軍備(武器・兵器・軍隊の保持)を禁じることが肝要なのだ。全ての国にそれ(軍備)を禁じ、全廃するようにすれば、より徹底し、戦争は無くなるだろう。
そこまで一足飛びにはいかないならば、国によって軍備の保持を容認するとしても、その国は、軍備を(撤廃して)持たない国に対しては武力行使・威嚇をしてはならないということ(「消極的安全保障」)を定める、というふうに国連はすべきなのでは。