(1)国連憲章 制定(調印)1945年6月26日(原爆投下前―核兵器と
いう究極兵器の破壊力と惨害を未だ経験してはいない段階)
2条3項「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって・・・・
解決しなければならない。」
4項「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は
武力の行使を・・・慎まなければならない。」(武力不行使原則)
39条 安保理は「平和の破壊および侵略行為」があったと認定したときには制裁
措置をとり、軍事的措置として加盟国が提供する兵力によって
組織される軍隊(国連軍)が行動をとる(集団安全保障)。
51条 加盟国に対して武力攻撃が発生した場合は、安保理が(39条の)措置を
とるまでの間、個別的・集団的自衛の固有の権利を害するものではない
(自衛権行使を認める)。
集団安全保障システム―侵略の防止、平和の破壊者に対して制裁を課すと宣言することによって侵略を未然に防止するシステム―国家安全保障・軍事的安全保障―軍備を必要とする(兵器・軍隊の保持を前提)―軍事戦略―対抗する相手(敵)に勝つ方法にこだわる―他国の脅威となる―「一方の安全保障は他方の不安全の原因」となる(「安全保障のジレンマ」「他国を犠牲にする安全保障」)―「他国に脅威は与えない、防衛目的は専守防衛に限られる」とはいっても、どの国も戦争目的を「侵略」のためと公言する国などないし、国際紛争解決のための武力行使であっても「自衛」を口実にするし、「防衛のための武力か、攻撃のための武力か」は相対的であって判然と区別することは困難であり不可能(ただ、防衛と攻撃の間を明確に区別することは困難でも、範囲を厳格に限定しようという努力は「軍縮・軍備放棄による安全保障」への転換にとっては無意味ではない)。
(2)日本国憲法 制定(公布)1946年11月3日(核兵器という人類滅亡 のリスクをはらむ「究極兵器」のすさまじい破壊力とその惨害を直接経験したうえで、「再び戦争の惨禍が起ることのないように」と制定した憲法)
9条1項「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」
2項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
人間の安全保障―平和的生存権の保障―他国に脅威を与えない(安心供与)
(3)両方とも、戦争・武力による威嚇・武力行使は原則として禁止
軍備・戦闘方法・兵器の使用に対する規制・ルール(残虐行為・無差別攻撃・大量
破壊兵器などの禁止)←交戦法規・戦時国際法・国際人道法などの国際法による
(4)違いは、日本国憲法は9条の2項で国の交戦権を認めず、「戦力」(軍備・兵器・装備品すなわち戦争手段)の保持そのものを禁じているが、国連憲章では、すべての加盟国に軍備・軍隊の保持を容認している。
(5)日本政府は自国憲法に逆行して自衛隊の名の下に再軍備、アメリカと軍事同盟も結んで、国連憲章の「軍備による安全保障」の方に合わせ、解釈改憲から明文改憲にまで踏み出そうとし、9条2項を空文化して無きものにしようとしている。コスタリカとともに世界に先駆けて「戦力」(軍隊)不保持による戦争放棄を掲げた憲法を改悪することな、あくまで堅持して、国連・世界各国とも軍備全廃(それには、それを拒み抵抗する武装国家・武装勢力に対処・取り締る警察軍など強制機関が必要)を目指して軍縮と核兵器禁止条約に背を向け続けている核保有国はじめ全世界に戦争の根絶と恒久平和の実現を追求・努力するよう促すべきなのでは。それは「単なる道義や理想ではなく世界が選択しなければならない現実」なのであって、「それが不可能だというのであれば、人類の将来には滅亡への道しかないことになる」(杉江栄一著『日本国憲法と国連』かもがわ出版)。