米沢 長南の声なき声


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その人・党派が立憲・護憲派と見なされる根拠
2024年04月25日

 現行の平和憲法を大事にし、とりわけ「平和的生存権」と9条2項の「戦力の不保持・交戦権の否認」規定を堅持して改廃・空文化することを拒否する立場。現に存在する自衛隊と日米安保条約については、人によって党派によって許容範囲に幅があるも、その限界は個別的自衛権行使、自衛のための必要最小限の防衛力による専守防衛に留まり、他国に脅威を与えない、というところにあり。
 自衛隊と日米安保条約を憲法9条に照らしてどこまで容認するか、条文解釈によるその許容範囲はどこまで認められるか(「9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず」自衛隊は「自衛」「専守防衛」のための必要最小限の防衛力であって9条で禁止されている「戦力」には当たらず、その兵器は「攻撃的兵器」ならダメだが「防御的兵器」なのだから許される。又「9条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊はそれには当たらない。よって米軍の駐留は憲法に違反しない」等といった解釈で自衛隊と米軍の駐留は容認されてきた)。しかしその限界をどこで区切るかが問題。9条に戦力不保持が規定されているにもかかわらず、自衛隊を日米同盟の下に保持してきて、インド洋やイラク派遣など海外派遣まで活動範囲を広げてきたのだが、それでも自衛権は「個別的自衛権」にとどめてきた。
 ところが、それが2015年に安倍政権の下で集団的自衛権行使の限定的容認を閣議決定のうえ国会で新安保法制を強行採決されるに及んで、9条の規定による自衛権行使の許容限界の一線までも踏越えてしまった。そこまでくると、もはや事実上「改憲」。(そこでその安保法制を廃止して、元に戻すという立憲主義回復を目指して結成されたのが「市民連合」。)
 その後、安倍政権は、そこまで重ねてきた解釈改憲から、さらに明文改憲へ9条2項に「自衛隊」を明記する(「後法優先の原則」で9条2項が空文化・死文化してしまう)など、いわば「内堀」から「本丸」まで「壊憲」を策し、それを引き継いだ岸田政権に至っては、今や敵基地攻撃能力の保有、戦闘機など武器輸出解禁まで推し進めようとしている。 
 そのような2015年以降の事実上の改憲に反対して共闘しているのが立憲・護憲派と見なされる。

 そもそも護憲派は現行憲法の前文にある「平和的生存権」と9条(戦争放棄と戦力不保持・交戦権否認)の規定を基本的に護り抜こうとする立場。だから侵略戦争はもとより、国際紛争を自分に有利なように解決するためであれ、或いは自衛のためであれ(侵攻され、先制攻撃を仕掛けられても応戦・抗戦せず)、いかなる戦争も交戦権は放棄する。故に軍備(軍隊・兵器)は持たない。但し国境侵犯・不法侵入、国民の生命・財産の侵害に対しては、それを阻止・排除するなど専守防衛に徹する必要最小限の装備を持った実力組織としての自衛隊(「軍隊」が法的に国際法で禁じられていること以外は何でもやれる「ネガティブリスト方式なのに対して、自衛隊法など国内法で「行うことができる」と規定され許されている行動リスト以外は行ってはならないというポジティブリスト方式が適用されている非軍隊・非軍事組織)は保持。
 そもそも自衛隊は「警察予備隊」として発足し、警察法に基づいて警察官と同様その任務・権限・行動はポジティブリストとして規定されていることだけしか行ってはならない存在で、それが「保安隊」「自衛隊」へと名称を変え、自衛隊法でその任務(防衛出動・治安出動・警備行動・災害派遣など)が規定され、装備・武器使用・戦闘行為などはポジティブリストとして限定されているが、その限度枠は発足以来現在に至るまで拡大し続けており、装備は既に世界有数となっている。(国際法上は軍隊として扱われており、世界の軍事力ランキングでは米ロ中印に次いで第5位か、韓・英に次ぐ第7位。)
 その自衛隊は歴代政権の内閣法制局の憲法解釈によって合憲と見なされてきた。また最高裁による自衛隊が合憲か否かの判断はといえば、そのような「高度な政治性を帯びた国家行為には司法審査は及ばないものとして裁判所は関るべきではない」とする統治行為論によって(合憲とも違憲とも判断せず)憲法判断は回避されてきた(1973年の長沼ナイキ訴訟一審の札幌地裁では違憲判決が出ているのに、最高裁はそれを棄却)。それに日米安保条約(米軍の駐留)も同じく統治行為論によって最高裁による憲法判断は回避されている(1959年の砂川事件訴訟一審の東京地裁では違憲判決が出ているのに、最高裁はそれを破棄)。
 砂川事件(東京都の立川市-当時砂川町にあった米軍基地拡張に反対して基地内に侵入したデモ隊の学生らが、日米安保条約に基づく行政協定に伴う刑事特別法違反で起訴された事件)を巡る最高裁判決(一審の東京地裁では「米軍の駐留は憲法9条に違反する」として無罪判決も、その原判決を破棄、差し戻し)でも、統治行為論から「日米安保条約のような高度に政治性を持つ条約の内容について違憲かどうかの法的判断を下すことは出来ない」としながらも、「9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、9条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊はそれには当たらない。よって米軍の駐留は憲法に違反しない」として一審判決を取り消し逆転-デモ隊側の有罪判決。(但し、自衛権そのものは認めているが、自衛権行使のために自衛隊を保持することまで合憲とは云っていない。)ところがそれが、2015年安倍政権下で行われた集団的自衛権の行使容認に関わる閣議決定に際して、その砂川事件の時の最高裁判決における判決文の「日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず」などの一節を持ち出して、個別的自衛権のみにとどまらず、集団的自衛権の行使までも(日本が他国から攻撃されてもいないのに、米軍が他国から攻撃された時は日本の自衛隊が米軍を守るために武力行使できるということを)容認しているとこじ付け、それが根拠とされることになったわけ。

 自衛隊と日米安保条約について、自民党以外の野党は、社会党・共産党などは元々「違憲」論であったが、社会党は1984年当時から公明党と民社党と歩調をあわせる社公民路線に傾き、自衛隊については(違憲だが合法的存在とする)「違憲合法」論に転じ、1994年村山党首が自社さ連立政権の首相となるに及んで合憲論にまで転換も、2006年「社会民主党宣言」で「明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指す」と従前の「正論」に復帰。共産党は自衛隊違憲論を通してきているが、(急迫不正の主権侵害や大規模災害などでの)自衛隊活用論それに野党共闘で連合政権が実現してその閣内に参画することになれば、安全保障政策に関する閣議決定などの場合「自衛隊合憲」の立場をとる(但し、党としては違憲論を維持し将来にわたって9条の完全実施をめざす)(それを「ご都合主義」とか「野合」というなら自公政権の公明党も)とのこと。

 自衛隊の存在が違憲か合憲かの議論はともかく、改憲論には解釈改憲(事実上の改憲)から明文改憲案もあり、2005年自民党の「新憲法草案」、2007年「第1次」安倍政権下で憲法改正手続法制定、2012年自民党の「日本国憲法改正草案」、そして2017年安倍政権下で9条加憲案(自衛隊の存在を明記)から2018年にかけて、それに緊急事態条項など加えて4項目改憲たたき台素案が示された。これら自民党側の改憲の動きとそれに呼応する維新・国民民主など野党も含めた改憲派に対抗する立憲・護憲派野党と市民の共闘がなければならないわけである。 


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