米沢 長南の声なき声


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「政治とカネ」の問題―色々あるも、核心はどこに
2024年02月05日

 自民党の派閥の存在、各派閥で開催するパーティー券売上げ収入の政治資金収支報告書の不記載、所属議員へキックバックされた裏金、その裏金は何に使われているのか等々、いろいろあるが、それら問題の核心はどこにあるのか
 国会議員・政党政治家にはその政治活動費・選挙活動費にそれだけカネがかかる(何故そんなにかかるのか?)という問題もあるのかもしれないが、カネを出す(献金する)方の問題もあるのであって、むしろその方に問題の核心があるのでは。企業・団体の政治献金だ。大企業のどの企業も、業界団体のどの団体もその政治献金(寄付)が、政権党である自民党に集中するからだ。
 そもそも企業・団体献金は、派閥や議員個人への献金・寄付は既に現行法で禁止(政治資金規正法―1994年改正で政治家個人への献金禁止、2000年政治家個人の資金管理団体への献金も禁止)。ところが、政党本部(自民党の場合、献金の取りまとめ先は一般財団法人「国民政治協会」)やその都道府県支部(支部長はたいてい選挙区の候補者とイコール)への献金ならOK、それに派閥や政策グループなど政治団体が開催するパーティー券代(1枚2万円程度)のかたち(所属議員が売り集めて上納、会場費・飲食代などの経費の残金が各議員の売り上げに応じて分配。上納を受けた政治団体側も配られた各議員も収支報告書に金額を記載)でならOK(現在では、このパーティーによる政治資金収入の方が、寄付・献金よりも安定した収入源となっているようだ)。
 今回の「政治とカネ」問題は、このうちの派閥パーティー収入の政治資金収支報告書に不記載の裏金問題からクローズアップされることになったのだ。

(2022年で)自民党(国民政治協会)へ企業・団体献金は総額24億5千万円
 1トヨタ6400万円、2日立5000万円、3キャノン4000万円、4日産3700万円、
 5野村3500万円、6三菱重工3300万円、7大和証券3200万円、8住友化学3100万円、
 9東レ3000万円、10パナソニック・三井物産・住友商事・三菱商事いずれも2800万円
 軍需(防衛)産業に限って、護衛艦や戦闘機など防衛省との契約金額と献金額を5社あげれば(2021年) 1三菱重工 契約4591億円 献金3300万円、
     2川崎重工 契約2071億円 献金 300万円
  3日本電気 契約 900億円 献金1500万円 
  4三菱電機 契約 966億円 献金2000万円  
  5富士通  契約 757億円 献金1500万円
(2013~22年)マイナンバー関連事業の巨額発注を受けた大企業の推計受注額と献金額
     1TOPPAN 受注464億円 献金   6300万円
     2NTTデータ受注257億円 献金   3950万円
     3日本電気  受注175億円 献金1億3500万円  
     4日立   受注 94億円 献金3億3250万円
     5富士通  受注 51億円 献金1億3000万円
 このような企業献金はそのカネ(献金)で、いわば「政策(防衛政策やマイナンバー制度推進政策或いは税制の大企業優遇政策など)を買い取る」が如き賄賂性をもつ。つまり、その企業・団体献金が政界(政権党)と産業界との不正常な癒着を招く温床となり、金権腐敗政治を醸成する元となる。それこそがこの「政治とカネ」問題の根源なのでは。対症療法的には「派閥の解散」、「連座制の導入」(会計責任者や秘書だけの責任に終わらせず政治家にも及ぶ)、「政治資金の透明度の向上」など幾つかあるが、それらだけでは根本的な解決にはなるまい。企業・団体献金の全面禁止までいかないと

 尚、このような政治献金については立命館大学法学部の中島茂樹教授(ネットのサイト『憲法問題としての政治献金』など)によれば、政治献金肯定説(政治献金は会社の権利能力内の行為とする説)と否定説(政治献金は会社の目的の範囲外の行為であり、その権利能力外の行為として無効とだとする説)とがあり、肯定説の法学者に我妻栄を取り上げ、否定説の憲法学者に芦部信喜を取り上げている。
 肯定説の方は、会社(法人)は自然人たる国民と同様に国税等を負担する納税者として国や政党の特定の政策を支持・推進または反対する等の政治的行為をなす自由を有するとの考え。1970年に八幡製鉄政治献金事件(代表取締役が自民党に会社から寄付をしたのに対して、それを会社の定款に定める事業目的の範囲外の違法行為として株主代表が訴えた損害賠償訴訟)で最高裁は、上記の「肯定説」の立場に立って、会社といえども「自然人たる国民と同様に政治的行為をなす自由」を有するとして、原告の訴えを却下。以来この判例がリーディングケース(先例)となっている。
 これに対して芦部教授らの政治献金否定説は「強大な経済力と社会的影響力を持つ会社(社会的権力ともいわれる巨大な組織体)にまでも、自然人と同じく政治的行為の自由を無限定に認めていると解するのは行き過ぎであり、妥当ではない。」「思想・表現の自由や参政権は本来自然人=個人のもの、今日でも自然人=個人の憲法の権利と同様の資格で、それを対抗的に法人が主張することはできないものと考えるべき」だとしている。
 1996年、南九州税理士会政治献金事件(同税理士会が自民党への献金、そのため会員から特別会費徴収を総会で決議。その会費納入を拒否・滞納した会員が、同会の役員選挙権・被選挙権を与えられないことに対して、総会決議は個人の思想・信条の自由を侵害し、税理士会の目的の範囲外であり、特別会費の納入義務はないものとして訴えを起こした)は第一審では訴えが認められたが、控訴審で覆されて上告。結果、最高裁判決は、政治献金は税理士会の目的の範囲外の行為であり、そのために会員から特別会費徴収を決めた税理士会総会決議は、会員の思想・信条の自由を考慮していないことから無効。政党などに対して献金・寄付するかどうかは、選挙における投票の自由と裏腹をなすものとして、会員各人がそれぞれの思想・信条に基づいて自主的に判断し決定すべき事柄だと。
 2003年には熊谷組政治献金事件裁判(大手ゼネコン熊谷組が自民党長崎県連に2500万円の寄付を行ったのに対する株主代表訴訟で、献金が諫早湾開拓関連の公共事業の受注を期待した賄賂に当たるか否か等が争点)―福井地裁→名古屋高裁(控訴審)→最高裁(上告審)で原告(株主)の訴え(損害賠償などの請求)は全面的に退けられた。
 但し、第一審の福井地裁の判決文では、次のような指摘があった。
「会社は(公共団体たる税理士会などとは異なり―引用者)強制加入団体ではなく、株主が株式を譲渡して構成員から離脱することは全く自由だから、会社が政治資金を寄付することは、株主の思想・信条の自由を害するものとは言えない。」
 とはいえ、「会社が有する経済力が個々の国民を圧倒的に凌駕し、それが政党に及ぼす影響力は個々の国民による寄付・献金に比してはるかに甚大。政党の政策が会社あるいは産業団体からの寄付・献金によって左右されるとすれば、政党の理念・政策を選挙で訴え、国民の選択によってその活動に信任を得るという選挙制度の意義を否定し、その根幹をゆるがすことにもなる。」「献金が特定の政党・政治団体に集中すると、その政党のみが資金力を増大させて政治活動を強化し、国政に決定的な影響力を及ぼすことになって政界と産業界との不正常な癒着を招く温床ともなりかねない。その規模いかんによっては、国民の有する選挙権・参政権を実質的に侵害するおそれがあることは否定できない」と。
 尚、控訴審における当時熊谷組社長の(口頭弁論に際して裁判所に提出した)陳述書に「(自民党に寄付を行った理由として)政権政党は適切な経済政策の立案と実行の実績と能力があり、同党を応援することが、日本の経済不況からの脱出につながり、同時に熊谷組のためにもなる。」「寄付を行わないことのメリットよりデメリットの方が、はるかに大きい。要請のあった寄付に応ずることが熊谷組の建設業界における地位と信用を維持し、将来の受注機会を拡大するという長期的な利益につながる」と(政治献金の本当の意図・賄賂性を自ら認めたものとして注目される)。

 今国会(2月1・2日衆参両院の本会議)で共産党(企業・団体献金全面禁止法案を提出している)の代表質問―「企業が献金によって行う政治活動とはカネの力で政治を動かそうという利権政治そのもの。」「投票権を持たない企業の政治献金は国民の参政権を侵害するものではないか」と。
 ところが、それに対して岸田首相の答弁―「企業は憲法上の政治活動の自由の一環として政治資金の寄付の自由を有するとの最高裁判決があるにもかかわらず、企業・団体献金がカネの力で政治を歪め、国民の参政権を侵害するというのは論理の飛躍があると考える」と。ここで首相の言う「最高裁判決」とは上記の1970年の八幡製鉄政治献金事件裁判を指すものと思われるが、そんな半世紀も前の判例を持ち出しての答弁。(「論理の飛躍がある」のは首相の方では?)
 この最高裁判決後、ロッキード事件(1976年)・リクルート事件(88~89年)・佐川急便事件(92年)などを受けて1994年の非自民連立政権の細川首相と自民党の河野洋平総裁との党首会談で、企業・団体献金を(企業との癒着防止ため)禁止(その代わり政党助成金制度を創設)することに合意。ところが1999年政治資金規正法改定で、それが政治家個人に対する献金禁止だけにとどまり、政党本部及び支部に対する献金とパーティー券購入の形でならOK(合法)というふうに「抜け穴が」残された。それを共産党は「約束の反故」だとしており、河野・当時自民党総裁は「公費による政党助成が実現したら企業献金は本当に廃止しなきゃ絶対おかしい」と証言している。
 経団連(十倉会長は住友化学の代表取締役会長)は(2004年から企業献金の斡旋を再開)今に至るまで、主要政党の「政策評価」を基に献金を「社会貢献」と称して会員企業に呼び掛けている。
 その結果、噴出したのが今回の政治資金パーティーをめぐる巨額の裏金問題なわけである。
 企業・団体献金が自民党に対して行われ、それが政党から派閥幹部、そして所属議員に「政策活動費」などの名目で配られた場合、配られた議員はその使途を収支報告書に記載して公開できるようにしなければならないはずが、その記載がなく使途不明で何に使われたか分からない「裏金」―「不正行為の温床」になっているということで、「裏金事件」として持ち上がったのが、今回の問題なのであるが、その「政策活動費」の使途公開義務を巡って、首相は「政治活動の自由と国民の知る権利のバランスの議論」ということにこだわって、野党が求める「使途公開義務付け」「政策活動費という費目自体の廃止」に後ろ向き。
 一橋大憲法学の江藤祥平教授の見解(2月8日付朝日)
 ①「政治活動の自由」は憲法21条にある「表現の自由」が根拠。歴史的には権力を監視する「出版の自由」がルーツで、政治家にとっての「自由」として発展したものではない(政治家の側が、これを盾として民主主義の健全性を歪めてもいいと思っているなら滑稽というほかない)と。
 ②八幡製鉄政治献金事件の最高裁判決では(「公共の福祉に反しない限り、会社と云えども政治資金の寄付の自由を有すると云わざるを得ず、これをもって国民の参政権を侵害するとなす論旨は採用のかぎりでない」とのことだが、そうした政治資金寄付などの自由が金権政治や政治腐敗など弊害を生むことも指摘)「弊害に対する方途は立法政策を待つ」としており、実際に弊害が生まれているならば、立法府は公共の福祉を根拠に制限をかけるべきで、制限したとしても「政治活動の自由」に反するわけではない。そのために企業・団体献金の質的・量的な制限は当然認められ、「政治とカネ」の問題が深刻化している現状では「原則禁止」とすることも憲法上許容されるだろう、と。
 ③「国民の知る権利」のためだからといって「使途記載」が義務付けられて公開され、企業・団体の営業秘密が侵害され、党の戦略的な運営方針が他の政治勢力や諸外国に対して秘匿できなくなっては困る、という言い分については、それは外交機密など高度な政治性を帯びている場合に限られ、それ以外には政策活動費など使い道は公開されて然るべき。政党が用いる資金は公の性格を有し、汚職や賄賂など公的な問題が生じうる限り、当然に「知る権利」が優越。むしろ、政党に渡されたカネがどのように個人や企業に流れているのかは、国民が知っていた方が投票の際の判断材料にもなるのだ、と。

 そもそも憲法21条(集会・結社・言論・出版その他一切の表現の自由)に基づく「政治活動の自由」とは国民(自然人たる個人)に対して保障することを定めたものであって、国民の「知る権利」(情報を国など権力に妨げられることなく収集し公開を求めることができる権利)とともに主権者たる国民の選挙権・参政権に必要不可欠もの。(企業・団体ではなく個人としてなら、応援したい政党や政治家個人にも、それらが指定する資金管理団体や後援会には限度内でカンパ・献金もできる。)
 それに対して政治資金規正法(1948年制定後、75年・92年・94年など幾度か改正)は政党その他の政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が、国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするためのもの(同法第1条)で、企業(法人)なども共にその規正の対象なのであって、政党・政治団体の「政治活動の自由」や企業・団体の献金・寄付の自由を保障するためのものではないのだ、ということだろう。

 それにつけても自民党の巨額裏金問題―自民党派閥に業・財界からパーティー券代として寄付・献金された大ガネが政治資金収支報告書に不記載・使途不明―自民党内でシステム化していた組織的「裏金づくり」―政治資金規正法違反の組織的犯罪―自民党内で多くの所属議員(自民党の身内の調査で党内派閥、安倍派・二階派など所属議員91名)が20年とか何年にも渡って行われていた―そのような政党が最大多数党となって長期にわたって君臨してきた政権は今こそ非自民党政権に交代させなければならない―憲法による国民の主権・政治活動の自由を「カネと力ある者」の自由と履き違えている憲法歪曲・改憲政党で財界親和政党を、庶民の立場に立って憲法を正しく守る護憲派の連合政権に交代へ。


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