米沢 長南の声なき声


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互いの軍備が戦争の火種―戦争を根絶するには軍備全廃
2023年12月23日

(1)どの国も「自衛のため」「抑止力のため」にと軍備(武器・兵器・同盟国)を互いに持ち合っている(「アメリカと北朝鮮」、「ロシアとウクライナ(NATO諸国が軍事支援)」、「イスラエルとハマス」などのように、大国は大国なりに、小国は小国なりに、非対称ながらも)。その軍備・武器・兵器の持ち合いが火種となって戦争になる。軍備があるばかりに武力に頼り、「これ以上話し合っても無駄」「問答無用」とばかり武力に訴えてしまいがちとなるのだ。利害の対立、認識や考えの不一致などはあっても、軍備がなければ武力に頼ってそれに訴えることもなく戦争にはならないはず
 戦争を無くす(戦争が起らないようにし、根絶する)には(自衛のためであろうと何であろうと)軍備を全廃し、戦争なんか放棄すればよいのだ。それ以外に戦争を無くす巧いい方法なんてあるのだろうか(核兵器など軍備を持ち合い軍事的「抑止力」で戦争は抑えられるなんて、そんなのはかえって危険)。
 我が国は憲法では「戦力不保持」(軍備全廃)「交戦権否認」「戦争放棄」を定めている。それを日本だけでなく、どの国も皆、軍備を廃棄して武器・兵器を持ち合わないようにすれば、どの国も武力攻撃を仕掛けようがなく、抗戦(自衛のための武力行使)の必要もなく、戦争は無くなるはず。
(2)ところが、国連憲章では、武力不行使原則を定めながら、自衛権(それはどの国にも認められる「国家固有の権利」)としての武力行使は容認する例外規定も加えているため、少数の小国を除き、(憲法では「戦力不保持」のはずの)日本も含めて各国とも軍備(武器・兵器)を保持しており、核兵器さえ保有している国が大国(米英仏中ロ)に限らず存在(イスラエル・印・パ・北朝鮮など)。そして軍事同盟を結び合っている国々も(米欧諸国はNATO、米英豪3国はAUKUS、韓国はアメリカと相互防衛条約、日本はアメリカと安保条約を結んでおり、米英豪印4か国とも「同志国」関係のQUADを結んでいる)。
(3)国連は第2次大戦直後に発足したが、その下で朝鮮戦争・インドシナ戦争・ベトナム戦争・中東戦争・アフガン戦争・イラク戦争その他各地で戦争が起き、「キューバ危機」など「第3次世界大戦」寸前の危機さえもあって、今もウクライナ戦争とイスラエルのガザ侵攻が行われており、朝鮮半島「有事」や台湾「有事」も想定されていて、今に至るまで、戦争は絶えず、現状では当分無くなりそうにない。
 以下は「世界」2024・1月号の特集『ふたつの戦争、一つの世界』P46『国際法と学問の責任―破局を再び起さないために』(西南学院大学准教授・根岸陽太)を参考。
 国連憲章の武力不行使原則や戦時国際法(交戦法規や国際人道法―ジュネーブ諸条約)など国際法による戦争規制
 ① 行為規範―戦争に際する行為を「こうしなければならない」「こうしてはならない」と指示or禁止―それは交戦当事国(ロシア人・ウクライナ人・イスラエル人・パレスチナ人・米欧人・アラブ人など)の国民とそれぞれの為政者の主観的意図(歴史観・歴史認識)に左右される
 ② 裁判規範―戦争に際して行った行為の違法性の疑いを事後に判定・責任追及(客観的合理的な証明が必要
 (ウクライナとガザの間で戦乱が進行中の今は、この瞬間に破局に至ることのないように行為規範として国際法を遵守するように、あらゆる当事者に働きかけることが肝要なのであるが。)
 国連憲章は武力不行使原則の例外として自衛権(個別的・集団的自衛権)を認めているが、それ(自衛権)を行使できる要件①武力攻撃を受けた事実があること、②自衛の必要に迫られること(必要性)、③受けた攻撃と同程度の武力行使(均衡性)などの3要件(日本の自衛隊の自衛権行使要件①急迫不正の侵害があること、②それを排除するために他に適当な手段がない、③必要最小限度の実力行使、という3要件もそれに準じているものと思われる)はあるものの、定義を持たない(①武力攻撃を受けたといっても、誰が、どこからの、どのような攻撃を受ければ自衛権を発動できるのか、②どのような要素が武力攻撃に対する自衛の必要性として認められるのか、③均衡性を保つには、どの程度の措置まで認められるのか、確定的な基準を持つわけではない)。なので、自衛を主張する国家の(歴史的)慣行や法的信念(主観的「正義」)に左右されかねず、その国家の慣行や信念に依存する慣習国際法により規律するほかない。(国際人道法とされるジュネーブ諸条約の内容を拡充した追加議定書を批准していない国家も少なからず存在し、イスラエルは未批准。)したがって、文民・民用物と戦闘員・軍事目標の「区別」、攻撃による付随的被害と期待できる軍事的利益との「比例性」、付随的被害を最小限にとどめるための「予防」などの原則については、武力に訴えることのできる強国の行為や意思によって例外が広げられる余地がある。(イスラエルは自衛権については「自国民と領土を防衛する」だけでなく、「人質を解放し、直面している脅威を無力化する」ことまで目的に含められており、武力攻撃に対応する必要性が拡張されている。また、ハマスによる越境奇襲攻撃で受けた被害の大きさを強調することで、自衛措置と武力攻撃との均衡性が主張される。文民や民用物が戦闘員や軍事目標に紛れているため両者の「区別」が困難であること、巻き添えによる被害が避けられない一方で期待されるに軍事的利益が大きいために両者の「比例性」が保てていること、攻撃前に効果的な事前警告を行うことができない場合など「予防」に限界があることが主張される。これらの論法はいずれも、戦争に関する国際法諸原則の例外を押し広げる強弁といえる。
 要するに自衛権の武力行使は「武力に訴えることのできる強国の行為や意思によって例外が広げられる余地がある」ということで、「自衛」の名の下に武力に訴え、自衛権の範囲が押し広げられる、ということだ。
 アメリカの行ったベトナム戦争、ソ連のアフガン戦争、アメリカのアフガン戦争・イラク戦争、それに今行われているウクライナ戦争(ロシア軍の侵攻に対するウクライナ軍の自衛権行使はまだしも、ロシア側までそれを主張している)、イスラエルのガザ侵攻、それに北朝鮮の核開発・保有、弾道ミサイルの度重なる発射実験も米韓に対する「自衛」ためと称して行われている。
(4)ロシア軍とウクライナ軍、イスラエル軍とハマスはそれぞれ武器を置いて停戦し、もう戦闘をやめるべきだ、などといくら論じて訴えたところでやめはしない。それにアメリカ・ロシア・中国・北朝鮮などはもとより自国憲法に「戦力不保持・交戦権否認」を定めている日本さえも(政府は)軍備全廃など意に介さず、そんなこと(軍備全廃)をいくら論じたところでなんの意味もない空論・絵空事でしかない、というのが現実なのだろうが、そんな現実に囚われ続けて思考停止しているかぎり、世界のどの国の子供も安心して暮らせる恒久平和・「いくさ(漢字で「戦」と書くが「軍」とも書く)なき世」など、いつまで経っても訪れないことは確かだろう。
(5)現行の日本国憲法が制定された当時(1946年)の首相で、9条の「戦力不保持」(軍備全廃)・「戦争放棄」条項を連合国軍総司令官マッカーサーに提案したといわれる幣原喜重郎は、その時「世界は私たちを非現実的な夢想家と笑い嘲るかもしれない。しかし、百年後に私たちは預言者と呼ばれますよ」と語ったそうだが(「マッカーサー回顧録」)、それがその通り実現するのは、あと23年後(2023-1946=77、100-77=23)ということ?しかし、今ガザやウクライナの子供たちは、戦いを交えている両軍とも今直ぐ武器を置いて戦いをやめて!と泣き叫んでいるし、日本だけでなく、どこの国でも子供たちが、あんな悲惨な目に遭わないように、国や世界の為政者は軍備全廃に早急に取り組み、それを実現すべきなのだ。気候変動危機とともに第3次世界大戦など、人類存亡の危機迫るというくらいの危機感を持って
(6)その9条の「軍備全廃・戦争放棄」とは全く逆行する政権党とその補完政党による改憲の策動を阻止することと合わせて、9条を日本一国に留めず、世界各国に押し広げ、国連憲章の当該条項を改正して、そこに9条と同様な条項(軍備全廃)を取り入れるように国連憲章「改憲」を目指す運動もあって然るべきなのでは。(「改憲」なら、むしろ国連憲章の改憲を、ということだ。)現在の国連が第2次世界大戦の「連合国」(戦勝国)主導で発足したという経緯から、安保理の常任理事国(5大国のいわば特権的な地位)が固定、それに「敵国条項」(日本とドイツを「敵国」扱い)は事実上無効とはなっているものの、未だその条項は削除されていない、といったこともあるし、何よりも、世界のどこでも戦争が起らないように、又戦争を止められるように、しっかり役割を果たすことのできる国際平和安全保障機構として機能不全に陥ることのないようにする国連改革・憲章改正に踏み切るように促すという運動もあって然るべきなのでは。


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