米沢 長南の声なき声


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「新しい戦前」現実化への改憲阻止―「戦争なき世界」実現へ
2023年12月23日

 戦争は何故止められないのか、無くせないのか。「核なき世界」さえも実現できない。いったいどうしてなのか。
 台風や地震・津波など天災は無くせないが、戦争は人災であり、無くせるはず、なのに。
戦争は人間集団(国や民族その他)の間で対立・紛争が生じ、それを対話・交渉によって互恵的に解決するのではなく、武力に訴えて相手を屈服させ、一方的・優越的に利益・要求を勝ち取ろうとする戦いで、武器・兵器・軍勢の威力を駆使して行われ、殺傷・破壊の悲惨を伴う。それらは全て人間の意志によって行われるのであって、戦争を止めるも無くすも人間の意志・決断による。ところが、武器や軍備など無ければ対話・交渉にじっくり時間をかけるしかないのだが、武器を持ち軍備があるばかりに、戦争・武力行使は「最後の選択肢」といいながら、その方が先行してしまいがちとなる(武器があればそれを使いたがるし、そのほうに気が行ってしまいがちとなる。話せば解るものを、銃を持っているばかりに「問答無用」といって引き金を引いてしまうのだ。)
 現代兵器の威力は(通常兵器から核兵器、ハイテク兵器・無人機・AIロボット兵)に至るまで、攻撃能力(射程・速度・殺傷・破壊力)は高まっても、精度(命中率)がよくなって、自軍兵士の危険が軽減、人的ミスも減って民間人の被害が回避され「安全で人道的な戦争」になっていき戦争も悲惨ではなくなるかも、などと楽観できるのだろうか(そうなったとしても危険・恐怖に対するハードルが下がれば、安易に戦争に走りやすくなり、戦争はかえって増えることになる)。
 「悪いのは銃ではなく、それを使う人間だ」などと云ってトランプ前大統領が市民の銃規制強化に反対したことがあったが、憲法で市民に銃所持を認めているアメリカでは銃の乱射事件が頻々としておこり、銃犯罪が絶えない。日本では市民の銃所持は法律で禁じていて(最近、銃撃事件はあったものの)極めてまれで、国の「戦力保持」も憲法では禁じている(自衛隊の保持はそのネックになっているところだが)。
 国連憲章は「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも・・・・慎まなければならない」と定めてはいるが、各国の軍隊の保持と自衛権行使は個別的・集団的にも認めている。そのため大半の国は軍備(兵器・軍隊を保持し、中には軍事同盟を組み、核兵器さえ)保持しており、それが火種となって未にその名の下に現に戦争している国があり、今後「有事」が想定されている国もあり、「新冷戦」があり、第3次大戦勃発の危険もゼロではない。それを無くすには国連憲章にも日本国憲法9条の2項と同様に「戦力不保持」と「交戦権否認」を定め、軍備の縮小のみならず全廃を掲げて各国とも一斉に(特定の国だけに核軍備の維持を認めるようなことなく)軍備の廃棄に踏み切る(それには、各国のその実行を確認する国連機関による査察・検証等が必要)。戦争を根絶するにはそれ以外にないのでは、と思うのだが、如何なものでしょうか。


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