米沢 長南の声なき声


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武器を置いて殺し合いをやめ、話し合え 国連憲章に軍備全廃を
2023年12月23日

イスラエル(ユダヤ)人対パレスチナ(アラブ)人
ロシア人対ウクライナ人
アイデンティティと土地(居住地・領土)を巡る争い
ミャンマー内戦―軍事政権対民主派・少数民族
台湾有事・朝鮮半島有事
第3次世界大戦の恐れ
 戦争(暴力対暴力―殺し合い―民間人・子供を巻込む)は止めなければならない
          戦争は起こしてはならないし、無くさなければならない                         
 しかし、戦う双方とも大義(正義)―「正当な」理由(独立・自由・生存圏の確保・国家の統一、「国を守り家族・同胞の命を救うため」など)を掲げ、必要やむを得ざる(避けられない)戦争だと主張
 また国連憲章や国際法では、戦争や武力を国際紛争解決の手段とするのは違法だとしているが、自国に対する武力攻撃に対抗する自衛のための武力行使は認めており、個別的自衛権のみならず他国を守る集団的自衛権をも認めており、そのために各国の軍備(軍隊・武器・兵器)の保持や軍事同盟の結成をも認め、5常任理事国には核兵器の保有さえも特権的に認めている。
 そして戦時国際法で戦争にルールや規制を設けたりもしている(交戦法規や国際人道法など)―攻撃対象を軍人・軍事施設に限り民間人・民間施設の攻撃を禁止し、ジェノサイド(集団殺害)を禁止。残虐兵器や大量破壊兵器の禁止も。
 自衛権行使にも規模の均衡性の原則や軍事施設・戦闘員と民間施設・民間人の区別の
原則など制約がある。

 これらのルールさえ守れば、軍備・武器・兵器の保持・武力行使は認められており、その名目で対戦・交戦し合って戦争は絶えることなく現に行われているのである。(ウクライナでは最近の国連人権高等弁務官事務所の発表で、昨年2月の戦争開始以来の民間人の死者は1万人を超え、ガザでは先月7日の開始以来死者は国連人道問題調査室の発表では1万1000人よりも「さらに多い」とし、国連事務総長は就任以来直面した紛争では民間人の死者数は「比類がなく前例もない」と。)

 国連では総会でロシアのウクライナ侵攻非難決議や安保理でガザの戦闘休止を求める決議は行われてはいるが、総会は多数決で採択はされても法的拘束力はないし、法的拘束力をもつ安保理決議は5常任理事国のうち一国でも拒否権を行使すれば成立しない。ウクライナ戦争は常任理事国のロシアが当事国で、安保理で侵攻非難・撤退決議をしようにも同国の拒否権行使で成立せず、イスラエル軍のガザ侵攻による人道危機で戦闘中断を求めた決議は常任理事国アメリカの拒否権行使で不成立。いずれの戦争も国連は止めることが出来ないでいる。
 
 ロシア・ウクライナ戦争もイスラエル・パレスチナ戦争も、いずれも歴史的・地政学的に両民族(ロシア人とウクライナ人、ユダヤ人とアラブ人)のナショナル・アイデンティティ(国や民族への帰属意識)に起因。その帰属意識が双方とも強く、こだわりすぎると、自分たちとアイデンティティの異なる相手との共存・交流を嫌い存在さえも許さないという排他的民族主義に陥る。パレスチナには、古代にはユダヤ人も住んでその王国もあったが、ローマ帝国による征服などを経て中世にはヨーロッパやロシアに離散し、パレスチナを含めて中東にはイスラム教徒のアラブ人が住んできた。ところが第1次大戦中、そこを支配していたオスマン・トルコと対戦するイギリスが戦略上アラブ人とユダヤ人をともに味方につけようとして、それぞれに対してそこ(パレスチナ)に国の独立・建国を約束した(二枚舌外交)。第2次大戦中ナチス・ドイツのユダヤ人迫害もあり、そこへユダヤ人が大挙して移住してきた。戦後、国連はそこにユダヤ人のイスラエル建国とアラブ人国家との分割を認めた。それに対して居住地を追われる結果となった多くのアラブ人が反対し、4度にわたって中東戦争が行われ、その度にアメリカの支援を受けて優勢なイスラエルが領土を広げていき、アラブ人の自治区はヨルダン川西岸とガザ地区の小区域に狭められていった。
 この間、ユダヤ人とアラブ人は互いに敵愾心・憎悪が募らせ、紛争は激化の一途をたどることになり、停戦・和平交渉は極めて難しくなっている。
 しかし、だからと言って、相手を、どうせ幾ら話しても心の通じる相手ではない熊か猛獣などと同然の鬼畜か悪魔と見なして、殺すしかなく殲滅するしかないかのように思い込んで殺傷・破壊攻撃をやめようとしない、その惨状を世界の市民はテレビでただ眺めているだけでいいのか、いいわけあるまい。世界に賢人政治家、道徳的なリーダーはいないのか。
 我々庶民は、とりあえずは世界世論として声を上げ、ネットで発信するなりして当事国の戦争責任者と支援国の政府責任者に対して圧力をかけるしかあるまい。「双方とも武器を置け」「殺し合いはもうやめろ」「停戦して話し合え」「子供たちを巻込んで見殺しにするな」と。
 今は戦争中のロシア・ウクライナ、イスラエル・ハマスに対して、そう訴えるとしても、国連に対しては、侵略戦争の禁止のみならず、自衛権による武力行使も、常備軍・武器・兵器の保持・軍事同盟の結成も容認することなく、「戦争に正しい戦争も正しくない戦争もない」、全ての戦争と軍備を全廃するように国連憲章を(5常任理事国の特権の廃止などの国連改革とともに)改正し、それを各国とも一斉に実行することによって「核なき世界」だけでなく「戦争のない世界」(恒久平和)の実現を早急に実現すべきだと訴えなければならないのでは。地球温暖化の気候変動危機からの脱却とともに「新たな戦争前夜」第3次世界大戦の危機からの脱却、持続可能な人類社会はそうして実現する以外にないのでは。(「それは夢のまた夢だ」などと云って、たかをくくっている場合ではあるまい。)
 その(発想の)原点は日本国憲法9条(第2項「戦力不保持・交戦権否認」)にほかならない。(その制定当初、文部省が新制中学校1年生「教科書」として発行して生徒に配った『あたらしい憲法のはなし』。その挿絵には「戦争放棄」と書いた大きな釜の中で軍艦や軍用機などの兵器を燃やし、その中から電車や船や消防自動車が走り出し、辺りに鉄塔や高層ビルがそびえ立つ光景が描かれている。)
 その9条を国連憲章に取り入れればいいのだ。但しその条文解釈は日本政府のような欺瞞的な歪曲解釈ではなく、あの「あたらしい憲法のはなし」での解釈(軍備の廃棄)で。
 アメリカでは憲法で個人の銃器所持まで自衛のための権利として認めているとされ、その結果銃犯罪が極めて多発しているが、日本では(熊などの駆除のための猟銃免許取得者と警察官など以外の一般市民は)銃刀法によって全面的に禁じており、銃犯罪は極めて少ない。そのことも(発想の原点に)。


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