米沢 長南の声なき声


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コスタリカ憲法と日本国憲法の平和主義―違いは?
2023年12月23日

 両国で軍隊廃止がスタートしたのは、ほぼ同時期(1,946~9年)。日本の場合は大戦の悲惨と過ちを二度と繰り返すまいと決意して新憲法9条に「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。」そのために「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」と。
 コスタリカの場合は、内戦に勝利して政権奪取した側が、軍の政治介入を防ぐべく軍隊の廃止を宣言し、新憲法12条に「恒久制度としての軍隊は廃止する。公共秩序の監視と維持のために必要な警察力は保持する。大陸間協定により又は国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。」147条に「内閣は国会に対して国家防衛事態の宣言を提案し、兵を募集し、軍隊を組織し、和平を交渉する」とした。
 両国の憲法の条文自体を比べると、両方とも常備軍は「保持しない」「廃止する」と定めてはいるが、日本の方は、戦争は永久に放棄し、戦力は保持せず、国の交戦権は認めないとしているのに対して、コスタリカの方は「国家防衛事態」にはリオ条約・米州機構などにより又は国防のために兵を募集して軍隊を組織することができるとも定めており、有事には再軍備を認めている。(どちらかといえば日本の方が厳格で、コスタリカの方が緩い。)
 ところが、日本の方は自衛隊を保持し、それも装備や予算規模では世界有数の「実力」組織となっており、その上アメリカと同盟を結んで米軍の基地まで置いている。
 コスタリカの方は、保持しているのは「警察力」に留まる。それには普通の警察官の組織だけでなく、国境警備隊(沿岸・航空警備隊)、麻薬組織に対応する特殊部隊など準軍事的な組織もあるも、重武装はしていない。又、アメリカとの関係は、地域的集団安全保障機構で米州機構(OAS)に他の米大陸諸国とともに加盟はしているが、軍隊派遣義務など軍事協力は免除され、米軍基地も置かれてはいない。反米国家ではないが反共でもなく、冷戦下で中立政策を採ってきた。隣国(ニカラグア)とは国境紛争もあり侵攻を受けることもあったが、米州機構や国際司法裁判所の調停を求めて戦争は回避。ニカラグア内戦(反米左派政権に対してレーガン米大統領に支援された反政府ゲリラが抗争)など中米紛争の平和的解決を仲介(大統領がノーベル平和賞受賞)するなど積極的平和主義をめざし、近年実を結んだ核兵器禁止条約も、早くからその提案国となって、国連における条約交渉会議の議長国となってきた。(財政資金は、防衛費などにはカネをかけずに教育・医療・福祉・環境に投入する。その結果「地球幸福度指数」は世界1位で、日本は47位。)
 コスタリカは、軍隊は持たないといっても、憲法上は「持てる」ことになっている。なのに持たない―再軍備も募兵も行われていない。それに対して日本は、憲法上は軍隊を持てないことになっているのに、事実上は持っている。まともなのはどっちか?
 日本は、憲法上はコスタリカ以上に(より徹底した)平和主義の国。ならば、それに相応しくコスタリカ並みにより積極的な平和・中立政策を採って然るべき・・・・なのに。

(前田朗著「軍隊のない国家」日本評論社によれば)コスタリカ憲法の規範と現実の意義について吉田稔(姫路独協大法学部教授)は次のように述べている。
「① 対外的侵略を誘発する、或いは他国の戦争に巻き込まれることを防止することであ
る。コスタリカや日本は、紛争が多発する世界にあって限界はあったにしても、基本的には侵略を受けたことはなく、国民を戦争に駆り立てることもなかった。“武装すれば侵略されないというのは神話”であって、武装した国の間で侵略があり、戦闘は行われる可能性は高い。②もし紛争が国に及んだ場合に、軍隊を持たないことが被害に拡大を防ぎ被害を少なくすることができる。核兵器、兵器の高度化、精密化が進んだ状況にあって、戦闘行為は、大量殺戮を発生させるし、その被害は世代を越えて受けるであろう。“軍隊の存在は被害を拡大する”であって、防止したり少なくはしない。③軍隊の創設・維持・増強には金がかかる。それで儲け、利権を得ている企業や人がいて、名誉や地位や支配欲を満足させている国や人がいる。すなわち“戦争や軍隊で得をする輩がいる”のである。そして他方で軍事費は国の予算を食い、圧迫する。軍隊を廃止すれば、その軍事費を人類の環境問題の解決、飢餓に苦しむ人々、国民の生活向上のために使うことができる」。


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