米沢 長南の声なき声


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今こそ9条を世界にアピール
2023年12月23日

 ウクライナ戦争は未だ続いていてロシア軍の死傷者だけで(昨年2月の侵攻から先月まで)多くて19万人。それに先月イスラエル・パレスチナの紛争が再び激化、この4週間でガザ地区のパレスチナ人だけで死者9千人、イスラエル人と合わせて1万人超が犠牲。戦争は何故止められないのか、無くせないのか。
 それぞれ、そこには地政学的・歴史的な「曰く因縁」があってのことだろうが、民族・宗教に国家対立、覇権対立があり、それぞれの考えや利害があって、そのために戦い合い、殺し合い、人々の生命を犠牲にしてきた。そのような「相互の衝突を回避できる普遍的原理というものは、人類は未だ見いだせていない」(梅棹忠夫)というが、「不殺生」「汝、殺すなかれ」は、仏教・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など、どの宗教でも(自殺も自爆テロも罪とされているし)どの民族にも共通する普遍的な道徳律のはず。価値観や利害が対立し、どんなに話し合っても妥協点を見いだすことができないとはいっても、「殺し合いだけはよそう」といって、それを「落しどころ」とすることはできるのでは。それに国際法として各国とも人を殺し合う戦争や武力行使を禁止するだけでなく、核兵器など大量破壊・残虐兵器のみならず、全ての殺傷兵器の保有禁止を定めても可笑しくないはず。我が国は憲法で9条に「交戦権の否認」のみならず「戦力」不保持を定めており、それはそのような兵器や軍隊を保持しないということなのだが。
 人類史上、文明時代になって武器が作られ、国家が発生して、戦いを交えるようになり、戦争が繰り返されるようになったが、20世紀になって世界大戦を経てからは、戦争は国際法上違法とされるようになり、国益・利権の確保や国際紛争解決の手段として武力に訴え戦争に訴えることは国連憲章で禁止されることになった。しかし、軍備の保持までは禁止されておらず、それを「防衛力」・「抑止力」の名目で互いに持ち合って、自衛権などの名目で戦いを交え、依然として戦争は絶えず、現に今、それが行われている。(ロシアのウクライナ侵攻も、ウクライナ東部で政府軍と内戦中のロシア系「人民共和国」とロシアが条約を結んで「集団的自衛権」の名目で行われているし、イスラエルのガザ攻撃も、その自治区を実効支配するハマスから越境攻撃を受けたのに対する報復と「自衛権」の名目で行われている。アメリカのアフガン侵攻も「ニューヨーク同時多発テロ」攻撃を受けたその報復と自衛権の名目で行われ、イラク侵攻も自衛のための予防攻撃として行われた。)また、その軍備を「抑止力」だと称しても、それらは戦争手段・威嚇手段であり、それを保持すること自体、不安と脅威を与え、対抗する相手国は反発・敵愾心を強め、それ自体が破壊攻撃の対象となり攻撃を誘う火種となる。そんなものは保持しない方が国々に安心を与え、むしろ攻撃抑止となるはず。
 国連憲章よりも徹底した「戦力不保持」を定める日本国憲法9条は政府によって毀損され改悪されようとしているが、それを阻止しつつ、戦争廃絶のため国連憲章の改正による軍備全廃を目指し、その範たる9条の存在を我々が世界にアピールすべきなのでは。

 現政府にその気はなくても、世界に冠たる不戦平和憲法を持つ我々国民だけでも、「道徳の力は核兵器に勝る」として軍隊不保持憲法を守り通しているコスタリカ国民と


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