米沢 長南の声なき声


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軍事的国家安全保障から非軍事・人間の安全保障を目指すべき国連
2023年03月30日

 1945年、国連は第2次世界大戦(日独伊の枢軸国に対して米英ソ中仏などの連合国の戦争で、枢軸国がいずれも降伏)の終結に伴って戦勝国である連合国を母体とし、戦勝に主要な役割を果たした5大国が主導して発足。それは2度繰り返した大戦をこれ以上繰り返さないようにと国際平和機構として結成され、集団安全保障と個別的・集団的自衛権による安全保障に基づく国際平和を目指すものとなった。
 それは基本的に「軍備による安全保障」で、各国の軍備(軍事力)保有を前提として、それに依存。(侵略行為や違法な武力攻撃事態が発生すれば、加盟各国がら兵力を動員して対処するという集団安全保障を原則とし、それが実行されるまでの間は、侵攻された当事国が独自に、或いは同盟国と集団的に対処するというやり方。)
 ところがこういった各国の軍備保有や軍事同盟の容認が、各国間に軍事力の優劣から互いが不安・脅威を感じ、追いつ追われつの軍備強化競争から軍拡の方向へ向かってしまい、互いに不安・脅威が増す一方となる。国家間に対立・紛争があれば、戦争や武力に訴えてはならないと定めても、「先制自衛」などの口実でそれを強行したりしがちとなり、それに対して「自衛抗戦」で応じ、互いに引くに引けない戦争になってしまうということで、戦争が絶えず、繰り返されることにもなる。

 それ以前1927年、国際連盟の軍縮会議準備委員会に、ソ連が「即時完全全般的軍備撤廃協約草案」を提出するも、具体的進展なし。(但し、その翌年の1928年、パリ不戦条約―戦争放棄に関する条約が成立)があって、
 1946年(現在の国連創設の翌年)ソ連がそれを提案―それをきっかけに「軍縮大憲章」(「軍備の全般的な規制及び縮小を律する原則」)を全会一致で採択も実効性のないものだった。
 1959年、ソ連首相フルシチョフが国連総会で演説―「全面完全軍縮に関する政府宣言
     3段階に分けて4年間で全廃を提案。
   その後その年、国連総会で米ソ両国起草の軍縮決議案が全会一致で採択—米ソが中心となって交渉へ。
 1962年、ソ連「厳重な国際管理のもとにおける全面的完全軍備撤廃条約草案」
   アメリカ「平和な世界における全面的完全軍備撤廃条約の基本的規定の概要」提出

   両案を国連軍縮委員会などで審議—3段階を踏んで各国とも軍備を撤廃することとし、国内の治安維持と国連平和軍のための兵力だけを残すというもの—しかし、撤廃の実施期間とか各段階における撤廃の順序や程度など主張が対立—撤廃措置の実施中・実施後における自国の安全保障に不安があるなどの問題で進展せず、それっきりに。

 1978年、国連軍縮特別総会―「軍縮による安全保障」を非同盟諸国が提唱―核軍縮を最優先課題として軍備の大幅な削減と全面完全軍縮の達成によって安全保障目的の実現を目指す―しかし、それは理念の段階に留まり、現実には互いに相手国・他国に対して軍事力が劣弱となってしまう不安の方が先立ち、同等か優勢でなければ安全保障は得られないとして(むしろ大国ほど)背を向けがちで進展がみられない。
(核兵器禁止条約には核保有国は参加せず、NPT核不拡散条約は先行保有国である5大国の他は核保有禁止で、5大保有国は核軍縮に努めることと定めてはいるものの、核軍縮の方はほとんど進展が見られない)
 そして戦争は絶えることなく、繰り返されている。
 だとすれば戦争の惨禍を繰り返さなくても済むような国際秩序を作り上げるには、各国とも一気に軍備廃止(全廃)して非軍事による安全保障体制を確立すればよいのでは。
 日本国憲法は、その軍備廃止を世界に先駆けて宣言したものにほかなるまい。
 それは不可能な理想論だというなら、いつまで経っても持続可能な平和(恒久平和)は訪れないだけでなく、核戦争・世界大戦さえも繰り返され人類滅亡に至る道しかないことになろう。

 軍備全廃
 それは「戦争根絶の唯一確かな道」(花岡しげる氏)。とはいえ、その実現を可能とするには、難題があることも確かである。各国がそれに合意したとしても全廃を実行するか、しているか、点検・確認の検査・査察・検証をどの国にも属しない国連機関によって行うことが不可欠。
 密かに兵器や兵力を隠し持って武力行使・侵略行為を行う「テロ国家」・「ならず者国家」や武装勢力などが出てきたら、どうするか、それを取り締まり、鎮圧・制圧する国連警察軍が必要不可欠。これまでは、何かがあるとその都度、安保理の常任理事国になっている大国の軍事力に頼るか、加盟国(安保理が特別協定を結んだ国)が分担して兵力を提供し合って編成された国連軍によって軍事措置が行われる建て前になっていたが、大国の対立・拒否権で、それらは機能しなかった。それを変えて新たに兵員は国連職員(国際公務員)として各国から直接募集し、資金は各国で分担するが、どの国にも属しない常設の国連警察軍を設け、然るべき統制機関の下に運用するようにする、といったものが必要となるわけであるが。
 各国とも対外的に国を守る戦争や軍事活動を行う軍隊は廃止されても、国内の治安を守る警察活動は、そのままで、それまで軍隊に頼ってきた分むしろ守備範囲(責任・権限)が拡大するとも考えられ、テロ組織や武装集団に対処、武器の密造・密輸や国境警備に当たるも(日本では海上保安庁に自衛隊もそれに当たってききたが)、任務はあくまで犯罪の取り締まり。
軍備全廃には、こういったことが必要不可欠。

 国連などにおいては最重要の関心事は国際紛争とか戦争と平和の問題であり、各国とも他国との関係における自国の存立と安全保障が問題ではあるが、各人にとって日々何事かを行為して生きる目的は生命と人生を全うすることであり、最重要なのは自己の人権(生命の安全が保障され日々安心して幸福を追求しながら恐怖と欠乏と束縛から免れて暮らせる平和的生存権)が国家によって保障されることであって、国家の存立と国際平和はそのための手段にほかならない。その国家が戦争を(仕掛けたのは自国であれ他国であれ交戦)して、そのために国際安全保障環境が覆され平和的生存権が犠牲にされることがあってはならないのであり、各人にとって必要なのは国家の軍事的安全保障よりも人間の不戦・非軍事安全保障なのであって、国家安全保障はそのための手段に過ぎない。非軍事とは非軍備であり、軍備は戦争に備え戦争に応じるためのものであり、それに依存する外交は危険極まりないのであって、それに依存するのではなく脱しなければならないのだ。


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