米沢 長南の声なき声


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命を懸けるべきは戦争か、不戦平和か?―日本人に求められている覚悟
2023年03月15日

 新聞広告に出ている小林よしのり著『ウクライナ戦争論』の広告文に「『お花畑国家』日本の警告する!」「第3次世界大戦が始まるのか?『国家』がある限り『戦争』はなくならない!」「ロシア、中国、北朝鮮という『核』を保有する独裁国家に囲まれた日本は、いざというとき戦う覚悟はあるのか?」「世界で一番臆病な戦後日本人は、ウクライナ人のように、侵略者と戦うことができるのだろうか」「次は・・・・中国によって台湾が主戦場になるだろう。そうなれば日本は戦争の当事国とならざるを得ない。・・・・日本人は覚悟を求められているのだ」などと。

 朝日新聞の昨年12月の「声」投稿に『平和教育はこのままでよいか』などの投稿があって、「戦争は絶対いけないと叫ぶだけでは・・・・」とか、「たとえ侵略されてもいかなる場合も、戦争は否定されるべきか」「ウクライナ国民が徹底抗戦することを、どう考えたらよいか」
 「もしミサイルが落ちたら、他国が攻めてきたら、その時どうするのか」「武器そのものを否定する『理想的平和』に対し、武器を取りつつも平和を掲げる『現実的平和』
 3月14日の投稿には『未来のロシア国民 支払う代償は』には「ウクライナ人の愛国精神」「諸外国からの武器供与によって持ちこたえている」「子供たちの心にはロシアに対する憎しみだけが、拭い去ることのできない思いとして残ることだろう」「この戦いは、プーチン大統領一人の決断で終えることができるはず」と。

 このウクライナ戦争は、そもそもどうして起こったのか、どうして止められないか。その経緯・経過には地政学的に複雑な絡み合いがあると思うのだが、これらの投稿では、それが「ロシアの侵略戦争」対「ウクライナの自衛戦争」に単純化されているように思われる。
 ウクライナは、歴史を遡れば、ロシア帝国~ソ連という国の一部として組み込まれてきて、そこにはロシア人も住んできた。それがソ連解体にともなって独立することになったのだが、そのウクライナには、ウクライナ系住民(カトリック教徒)が主として北西部に(全人口の)約3分の2、ロシア系住民(ロシア正教徒)が主として東南部に3分の1居住。
 東西冷戦時代ソ連は、西側の軍事同盟NATOに対して東欧諸国と同盟WATOを組んできたが、ソ連解体とともにWATOは解体し、その後東欧諸国は次々とNATO加盟に向かい、ロシアは孤立する形勢となった。ウクライナでは親米欧派(NATO・EU加盟支持派)と親ロシア派の国内対立が生じ、大統領選挙などその度に政変が引き起った。そして2,014年に「マイダン革命」で親ロシア派とされた大統領が追放、親米欧派政権樹立に及んで東南部のロシア系住民が離反、内戦が始まった。クリミア半島はロシア連邦に編入、東部ドンバス地方では2つの人民共和国が独立してウクライナ政府軍と間で攻防戦を続け今に至っているわけである。

 ロシアはウクライナ侵攻を、大統領はもとより、国民の多くも、それが必要だとする理由の正当性を疑っておらず、「侵略」だとは思っていない。愛国精神もあるだろうし、母国ロシアの安全保障にとって米欧同盟NATOとそれへのウクライナ加盟に脅威を覚え、それにウクライナ(東南部)に住むロシア人を護れという同胞意識もあるのだろう。
 それに対してウクライナ人にとっては、その愛国精神とロシアに対する脅威から、侵攻したロシア軍に対する単なる自衛抗戦だけでなく、ロシア人居住地域が分離独立したり、併合されたりした領土の奪還までが戦争目的となっている。

 そういうことで、それぞれの戦争目的があって、その目的を果たすまで戦い続けなければならず、傍から「もう、やめろ」とか、大統領さえ決断すれば終えるはずだ、などといわれても、双方ともやめるわけにはいかない戦争になってしまっている

 戦争は相対するどちらかがやめれば戦争は終わるはず。なのに、双方とも自国の戦いを「正当」或いは「やむを得ざる戦争だ」としてやめようとはしない

 どちらかが力尽きて(武器弾薬・兵力が限界に達して)ギブアップしたら終わる。
ロシアが屈し(敗北し)たら、ウクライナはその戦争目的(クリミア半島とドンバス地方の奪還)を果たし、NATO加盟は確定する。ウクライナを軍事支援した米欧NATOの勝利ともなって結束は強まり、同盟は強固になる。一方ロシアは弱小国に転落。ロシア国民は国際社会で肩身の狭い立場に置かれ、国連安保理の常任理事国から外されることにもなるだろう。しかし、「核大国」ではあり続けるだろうし、その脅威は残る。
一方、ウクライナが屈したら、クリミア半島とドンバス地方などの奪還とNATO加盟は断念。

 それはともあれ、いまはどちらも屈してはおらず、主としてクリミア半島の北に連なる東部ドンバス地方で攻防が続いている。戦争が続いている間に、双方の兵士(死傷者はロシア兵の方が多い)、それにウクライナの戦闘地域で巻き込まれる民間人・子供たちの犠牲者が増す一方となる。
 戦争では(戦時国際法で無差別攻撃とか残虐行為の禁止とか不必要な犠牲や損害の規制はあっても)戦闘員の殺傷や兵器・軍事施設の破壊そのものは免罪され、殺し合いとなる。戦場や砲撃対象が人々の居住地・市街地の中にあった場合は、そこで民間人・民間施設が巻き込まれて死傷・破壊を被る。

 その国の戦争指導者や国民の人命に対する価値観・国民感情によって、人命や人道より国家の運命・戦勝・愛国心・闘争心・復讐心などが優先するか、しないかに違い(戦果に対するリスク計算の違い)があるが、両国民、それにウクライナ軍の戦いを支援する国々の国民は、当方からみれば、命を惜しまず、戦争を厭わないかのように思えて「すごい」という驚異、否むしろ「恐ろしい」という脅威を覚える。かつての我が国の軍民はまさにそのようなものだったのでは―「撃ちてし止まん」(敵を撃つまで戦いをやめない)とか「一億玉砕、火の玉だ」とか

 しかし、かつてアジア・太平洋で大戦争をして未曽有の悲惨を経験した日本国民憲法で「再び戦争の惨禍が起ることのないように決意し」、「全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ平和の裡に生存する権利を有する」として、9条に戦争放棄と交戦権否認を定めた、その立場からすれば、いかなる理由があろうと戦争はいけない、それは何としても回避しなければならないもの。どちらが勝っても、憎悪・怨念しか残らない、殺し合う戦争そのものが絶対悪なのだ。武器・軍備も、それは(「抑止力」「対処力」などと称しても)殺傷・破壊するための「戦力」であり、そもそも戦争するためのものであって、持続可能な平和のためのものにはならないわけであり、わが国のみならず、どの国も全廃し、「核兵器のない世界」のみならず、「すべての兵器と戦争のない世界」を目指さなければならないのだ。

 ノーベル賞作家の大江健三郎は(2004年「9条の会」発足記念講演で)「人間が身近に死者を受け止め、自分の死についても考えざるを得ないときに、倫理的なものと正面から向かい合う」(戦争直後こそ、日本人がかつてなく数多くの死者を抱え、最も倫理的になった時だった)。憲法と教育基本法は「じつに数多くの死者の身近な記憶に押し出されるようにしてつくった」ものであり、「文体は自然な倫理観がにじみ出ている」と語ったとのこと。
 要するにそれは次のようなことなのでは―
{ 戦争→死→自分の死を意識→死ぬ覚悟で行為を選択・決断→倫理(人道)に照らして
 ―武器を取って戦う(殺し合う)べきか、戦わざる(殺さざる)べきか、敵として撃つべきか、敵とせず隣人として共生べきかを選択・決断
 憲法は戦争に訴えず、武力に訴えないことを求めている }ということ。

 元日本ペンクラブ会長・作家の阿刀田氏は「『軍備を持たず、どこかに攻められたらどうするのか』と訊かれたら、『その時は死ぬんです』と答えるつもりだ。武器を持って誰かを殺しに行くよりは、丸腰で平和を守るために命をかけたい」と。
 大戦で数多くの兵隊・民間人が死に、近親者が死んだ。その辛酸・悲惨から否が応でも戦争は二度とやってはならない。戦争で殺し殺されて死ぬより、武器を取らず殺さずに死んだ方がマシ。戦争(殺し合い)に命を懸けるよりも、平和のために命を懸けた方がマシ。同じ「死ぬ覚悟」なら、対立・紛争があっても、(たとえ相手が武器を保持しても)丸腰で立ち向かい、談判(話し合い)に臨む(「徹底抗戦」よりも「徹底話し合い」)。武器を取って殺し合う戦争はあくまで避ける。
 新渡戸稲造の名著『武士道』で取り上げられている勝海舟は幕臣で剣術は免許皆伝の腕ながらも「負けるが勝ち」(「戦わずして勝つ」)をモットーとして刀を抜かずに通したという。大政奉還の後、鳥羽伏見の戦いで敗れて徳川慶喜が逃げ戻った江戸城内では、徹底抗戦派と恭順派の両派に分かれていた。一方の薩長・官軍側も、徳川家に対する厳しい処分を断行すべきとする強硬派と穏便に済ませるべきとする両派の対立があり、西郷は徳川慶喜の切腹を訴えていた強硬派であった。勝海舟は西郷との薩摩屋敷での談判に決死の覚悟で臨み、江戸城明け渡し(無血開城)に応じ、江戸の町々を戦火から救った。慶喜は切腹を免れ、自らも殺されずに済んだ。(勝海舟の西郷との会談には、剣客で無刀流の開祖・山岡鉄舟が立ち会っているが、この会談に先立って山岡が慶喜の使者として西郷と面会し慶喜恭順の意を伝え、やはり死の覚悟をもって談判に臨んでいた。)
 サムライはかくあるべし。日本人の国際貢献は、かくあるべし、という手本を身をもって示した人物には中村哲医師がいる。紛争中のアフガニスタンで医療活動とともに荒廃した農地の回復のため灌漑用水建設事業に長年携わり、対テロ戦争の最中にもかかわらず現地で動き回り、その途上テロにあって亡くなった。サムライ日本人はかくあるべし、なのでは。

 「世界で一番臆病な戦後日本人は、ウクライナ人のように、侵略者と戦うことができるのだろうか」とのことだが、臆病な日本人というのはどんな日本人のことを指しているのか。
 かつて「勝ってくるぞと勇ましく・・・・東洋平和のためならば何で命が惜しかろう」(古関裕而作曲・『露営の歌』)と歌いながら自国が侵略戦争をして惨憺たる敗北を喫した。「東洋平和」のためとか、「自存自衛」のためとかの美名のもとに戦争で多く(310万人)の日本人が死に、アジア人2千万人も死んだ。その戦争が終わって後、大江健三郎や阿刀田や中村哲のような、度胸を決めた日本人は、死を覚悟の上、憲法で不戦・戦力不保持を誓って、丸腰で世界に立ち向かうことにしたのだ、という信念で生きてきた。一方、その憲法を余所に、アメリカとの軍事同盟にすがり、武器・武力に頼らなければ中ロ・北朝鮮に立ち向かえないという向きの日本人、その方が戦後・現在に至るまで歴代政権を支持或いは容認してきた多数派日本人なのだが。ウクライナ戦争では、アメリカなどNATO軍兵士は戦闘には直接参加してはいないが、兵器供与・訓練・軍事情報など様々な軍事支援を得ながらウクライナ人は戦えているのであって、自力で頑張っているわけではないのだ。

 「国家がある限り、戦争はなくならない」というが、日本国は憲法で戦争はしないことにしており、国家があっても戦争はなくせるし、なくさなければならないという考えに立っている。(コスタリカなども常備軍は持っていない。)国連憲章は戦争を違法と定めているが、各国の自衛権と軍備は容認している。しかし、その軍備容認が違法な武力行使への抜け道になってしまう(自衛に名のもとに先制攻撃や侵攻を許してしまう結果に)。だったら、どの国も軍備(戦力・武力)は持ち合わないということ、つまり全廃にした方がよいのでは。以前国連で軍備全廃案が出たことがあったし、あり得ないことではあるまい。核兵器は安保理常任理事国だからといって、米中ロなど5大国にだけ保有を認め、他は禁止するというNPT条約は、アメリカから敵対国と見なされ、アメリカを脅威にしている北朝鮮などにとっては、受け入れられないし、核兵器はどの国も禁止とするという核兵器禁止条約に参加を求めても、核保有国とその同盟国(核の傘にある国)は参加しないという難しさがあるが、それはどちらかと云えば、他国や相手国にだけ一方的に廃棄を迫り、自国は廃棄しないという大国の傲慢・我がままの故ではなかいと思われる。廃棄を迫るなら自国が率先して廃棄すべきなのだ。核兵器に限らず、通常兵器も全ての軍備を全廃すれば、世界のどの国の国民も不安・恐怖のない平和的生存権が得られるものを。(密かに武器・兵器・軍備を持とうとする不心得者・ならず者に対しては常設の国連警察軍が違反取り締まりに当たるということにして。)
 要するに「戦争が起こる4つの要因」(かねてより論じてきた①対立・もめ事、②武器・軍備、③戦争を仕掛ける、④仕掛けられて応じる)のうち②を無くしさえすれば起きないし、②③があっても④さえなければ起きないのだ、ということ。

 平和教育は、憲法9条と「教え子を再び戦場に送るな」以外にないのであって、サムライ日本人ならば不戦・非軍事の国際平和貢献の立場で臨む以外にないのではあるまいか。「武器を取りつつも平和を掲げる現実的平和」など欺瞞というほかなく(それこそが「お花畑」の平和ボケなのでは)、そんなことで時代を担う若者や子供たちが納得して将来にわたって持続可能な平和が実現できるとは到底思えまい。

 ここまで書き上げた後3月18日になって、朝日新聞の「声」欄に、『0歳で被爆 戦争とは破壊と殺人』という78歳の方の投稿が出た。それには「生後7か月の時、広島の原爆投下の熱戦で頭半分にやけどを負いました。祖母は即死、父と祖父は約1週間後に亡くなりました。・・・・生き残った母や兄から伝えられた被爆の惨禍・・・・今、ロシアのウクライナ侵略や北朝鮮のミサイル実験などを理由に、防衛費が拡大されるのが非常に残念です。・・・・兵器の購入は戦争につながる行為。戦争とは破壊と殺人であり、絶対にしてはなりません。どんな形であれ、犠牲者をだし、決して解決にはなりません。武力よりも対話を深める努力こそが大事」とあった。
 もう一つ、『捕虜の米兵 その後を今も案じる』という86歳の方の投稿には、「ウクライナでの戦争報道に接するたびに幼い日の故郷での体験を思い出す。大 戦末期の夏、福岡県・・・の自宅で就寝中に衝撃音・・・・恐怖の夜が明け、B29が墜落し米兵が捕虜になったと知った。山狩りが続き数日後、騒々しさに家の表に出ると、軍用トラックの荷台で米兵がひざまずいていた。・・・目隠し、両手を縛られた姿で・・・近所のおばさんが『お前たちのために息子は戦死した』と泣き叫びながらトラックによじ登り、兵士を薪で打ち付けた。私は兵士が可哀想でたまらず、・・・・自宅に駆け込んで一人で泣いた。・・・・成人し、福岡での日本軍による捕虜虐殺や九州帝大の生体解剖事件を知った。あの時の兵士のその後を思うと胸が痛む。・・・・戦争は互いの命を奪い合うが、犠牲はどちらの側にも増え続ける。・・・・ロシアとウクライナで続く悲劇に、各国は止めるための力を及ぼしてほしい。」と。
 これらの投稿には同感。
 

 


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