米沢 長南の声なき声


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喧嘩両成敗論
2023年03月11日

戦争が起こる要因
① 対立・紛争(もめ事)があること
② 武器・軍備の保有
③ 仕掛けようとする意志(挑戦意志)
④ 抗戦しようとする意志(応戦意志)
これら4つのうち、①はあっても②さえなければ③④の意志は起こらない、つまり戦争は起こらない。又、③があっても④の意志がなければ戦争にはならない、と考えるに至った。
 そこで気が付いたのは「喧嘩両成敗」論で、それも、そもそも日本の戦国時代に生まれた大名たちの(それぞれの領内で定めた)分国法。それは「問題(家臣・領民たちの間でもめ事)を起こしたら双方を処分するのではなく、問題を訴訟によらず、武力で解決(「故戦」つまり戦争を仕掛け、それに対して「防戦」「自力救済」つまり自衛抗戦)つまり戦争をしようとしたら双方とも処分する、というもの。これらは、③④ともに交戦意志を禁じたもの。
 今川義元の『今川仮名目録』では、「喧嘩に及ぶ輩は理非を論ぜず、双方とも死罪」「喧嘩を仕掛けられても堪忍してこらえ・・・・とりあえず穏便に道理に従ったこと…して罪を免ぜられるべき」と。
 武田信玄の『甲州法度之次第』では「喧嘩はどのような理由があろうと処罰する。ただし、喧嘩を仕掛けられても我慢した者は処罰しない」と。
 「故戦防戦の法」の場合は、攻撃を仕掛けた側を防戦した側より重めに処罰することになっていたが。
 そして、天下統一して天皇の下・関白太政大臣となった豊臣秀吉が『惣無事令』(大名間の領土紛争の裁定を決めた法令で、私闘・私戦の禁止、違反した大名は秀吉が討伐するとして、九州の島津、関東の北条、東北の伊達政宗らに対して)発した。
これらは、彼ら亡き後は、いずれも(喧嘩両成敗の分国法も秀吉の総無事令も)無くなり、徳川の武家諸法度には直接その定めはないものの(大名たちには「一国一城令」で城は一つだけ許し、新築禁止、幕府の許可なく補修も禁止、私闘を禁止、大名同士の政略結婚・同盟を禁止するなど)、その精神は引き継がれている。そして、長らく(250年余の間)戦乱のない平和が続いた。
 これらは、治国平天下を目指した権力者なりの平和戦略であって、(どうやったら戦争に勝てるかの)戦争戦略ではない。
 今の憲法9条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)は他国および世界の諸国に対しての平和戦略(その根幹)をなすものと考えられる。それは②(武力の保持)③(戦争を仕掛ける意志)④(交戦する意志)3つとも禁じている。
 それに対して国連憲章は、③(侵攻し、戦争を仕掛ける意志)だけ禁じて②と④は禁じていない。
 その意味では、日本国憲法の方が、国連憲章の先を行っていて、最先端をなしているのでは、といえないだろうか。この9条が国連憲章と世界の諸国にまで及べば戦争はなくなるのだ!


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