米沢 長南の声なき声


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ウクライナ戦争で日本が教訓にしなければならないこと
2022年08月08日

 ウクライナ戦争が起きて以来、この日本がウクライナのように隣国から侵攻されたらどう対応・対処するのか―ウクライナ軍民のように抗戦・撃退できるように防衛力を強化し、アメリカなど諸国の支援と国民の防衛協力が得られるように、防衛体制を(憲法の関連条項の改正も含めて)確固たるものに―要するに「自衛戦争」を存分にできるように体制を整えなければならない、と感じている向きが多くなっているのではと思われる。
 しかし、ここでよく考えなければならないのは―
日本は、ロシアに対しても、或いは中国・北朝鮮に対しても、懸案の問題(ロシアとは「北方領土問題」、中国とは「尖閣問題」、北朝鮮とは「拉致問題」など)はあっても、ウクライナとロシアの対立(EU・NATO加盟を目指す反ロシア政権とロシア人住民居住地域の反ウクライナ政府勢力の抗争が既に起きている両国間)のように決定的な対立・敵対関係にあるわけではない。台湾問題をめぐって(中国に対して台湾が独立か統一かをめぐって中台戦争が起きて、アメリカがそれに介入して)米中間に、或いは朝鮮戦争が再開して米韓と北朝鮮と間に戦争が再び起きて、日本がアメリカの同盟国として、これらの戦争に出撃する米軍の基地を置き、自衛隊が集団的自衛権を行使する事態とならない限り、日本がこれらの隣国から攻撃されることはあり得ないのだ、ということ。
 それにもかかわらず、アメリカその他とも同盟関係を結んで共同防衛体制を構えて、日本は中国などの隣国から攻撃されても大丈夫なように、或いは攻撃を思い止まらせるように防衛力・抑止力を盤石にしておく、といっても、それ自体(その防衛体制)がそれら隣国に脅威を与え、警戒されて、平和友好関係どころか非友好国或いは敵国とみなされることになる。そしてそれら隣国との戦争を抑止するどころか、かえって戦争を呼び込む結果となりかねない。つまり防衛体制強化は逆効果を招くということだ。
 そもそも軍事的抑止力とは「やるならやってみろ!受けて立つぞ!」とか「倍返ししてやるぞ!」「かえって痛い目に遭うぞ!」「いざとなったら核を使うかもしれないぞ!」などと対抗意思を示す武力による威嚇で、それによって敵の武力攻撃を思い止まらせようとするもの。相手はそれに対して恐れを感じて攻撃を控えるだろうという想定。ところが必ずしもそうとは限らず、「ならばやってやろうではないか」と闘争心(攻撃意欲)をかき立てられるか、或いは「ならばこっちも、それに負けじ」と軍事力強化に競争心をかき立てられて、かえって侵攻を呼び込む結果にもなる。
 (ウクライナはかねてよりロシアに対する脅威から米欧を頼ってNATO加盟を図り、米英から高性能兵器の供与、軍事顧問団の派遣を受けて軍事強化していたが、ロシアはロシアでそれを脅威としてその阻止に躍起となって侵攻を強行し今の戦争に至っているのである。双方の国家安全保障のための防衛体制強化が互いに脅威となり、一方の侵攻を呼び込み戦争を招く結果となっているのである。核兵器の使用も辞さないことをほのめかして脅すロシアは最悪だが、ウクライナがNATOの軍事支援を受けて懸命に抗戦を続けている、それが現実に核の使用を呼び込む結果になってしまいかねない。かつて日本が、アメリカに対して戦争を仕掛けたものの、反撃されて押し返され、「本土決戦」とばかりに抗戦を続けたあげく原爆を投下されてしまったように。)
 それに対して日本国憲法の9条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)は、まるっきり戦争(交戦・抗戦も)する意思のないことを示すもので、相手が軍備を保持していて、侵攻を仕掛けるなど、その気があっても、こちらにそれを迎え撃つ気がなければ、戦争にはならないわけであり、戦争は抑止(回避)される。武力侵攻を受けても抗戦せず、武力による威嚇を受けても武力で対抗することはしないが、強奪も強要も許さず(非暴力抵抗・不服従・非協力)、話し合い・交渉にだけ応じ、非軍事・不戦に徹する。
 ただ、軍備を保持し武装する相手に丸腰で立ち向かうというのには危険もともない、(武器に頼り、強い者に頼る)臆病者にはできない度胸のいることではあるが、戦争による悲惨(殺戮・破壊)と比べれば、「よりまし」とも考えられる。「丸腰」では「家に鍵もかけずに、泥棒を呼び込むようなもの」だとは云っても、無防備・無警戒ということではなく、海上・空域・国土警備の実力組織は保持し、侵犯に対して排除・拒否対応は断固としてやるので、侵攻を呼び込むようなことにはならないわけである。
 むしろこのような不戦・非軍事(憲法9条)に徹した方が、攻撃は受けずに済み、戦争は起きないで済む(仮に一方的に戦争を仕掛けてきても、応戦しなければ、戦争にはならない。仮に軍事的圧力―威圧・威嚇して要求を突きつけてきたり、服従を強いてきた場合は、不服従・非軍事抵抗に徹し、対話・話し合いだけに応じる)。対中・台湾問題には不干渉、朝鮮戦争の再開にも不干渉(アメリカの軍事介入には同調せず、作戦協力は控える)。ウクライナがロシアに(対抗してNATO加盟の意思を示して)侵攻を招いたように、日本が中国に対して(台湾有事で)、北朝鮮に対して(朝鮮戦争再開有事で)アメリカの軍事作戦に支援・協力などして、中国や北朝鮮が日本を攻撃し、戦争に巻き込む動機を与えるようなことをしない限り、日本が武力攻撃を受けることはないのである。
 国民にとっては、防衛力・防衛体制を強化して「自衛戦争」であれ「徹底抗戦」であれ戦争をして国(国家)を守り抜き、国(国家の存立)さえ安泰であれば、国内外の人々の生命を戦争によってどんなに犠牲にしても仕方ないなんて、そんなわけにはいかないのである。
 国民の平和的生存権の保障。守るべきは、「全ての国民が戦争の恐怖と欠乏・悲惨から免れ、平和の裡に生存する権利」なのである。憲法は9条(不戦・非軍事)を変えてはならない。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」しなければならないのだ。


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