米沢 長南の声なき声


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ウクライナ危機—9条の視点から(加筆修正版)
2022年02月26日

(1)ウクライナとロシアの歴史的な関係
 ウクライナとロシアとの関係は、民族的に同系(東スラヴ人)で、中世のキエフ大公国やロシア帝国・ソ連の時代は同一国家に属していて、ソ連の最高指導者だったフルシチョフ国連で軍備全廃を提唱したり、アメリカのケネディ大統領とキューバ危機に際して渉りあったりした)はウクライナ出身だったし、ウクライナ東部やクリミア半島にはロシア人が多く住んでいる。そのウクライナが1991年ソ連という連邦国家の解体に伴って独立。尚、アメリカと西欧諸国間の軍事同盟(NATO)に対してソ連と東欧諸国にはWATOがあったが、ソ連解体に伴って解体(NATOだけが残った形に)。
 ウクライナには独立当初は「主権宣言」に非核三原則(核兵器を受け入れない、作らない、手に入れないこと)を盛り込んでいたが、その後しばらくの間、旧ソ連が配備していた核基地が維持されていて、米ロに次いで世界第3位の核保有国となっていたが、1996年になってようやく撤去し、ロシアに返還(チェルノブイリ原発事故の後、公式に「放棄」)。
(2)ウクライナ国内に親ロシア派と親米欧派
 ウクライナは、しばらくは西側のNATOに対して中立路線をとったが、(1999年以後)ポーランドなどの東欧諸国が雪崩を打って西側のEU及びNATO加盟に向かったのに伴って、親ロシア派と親欧米派の政権争奪が行われるようになった(2004年には大統領選挙で親ロ派大統領が当選した選挙結果に対して抗議運動が起こって再投票が行われ親欧米派政権が成立。2010年には2004年選挙の再投票で敗れた親ロシア派大統領が返り咲いた。ところが・・・・・)。
(3)親米欧派政権に対して反抗する親ロシア派をロシアが支援
2014年には、2010年選挙で政権に就いた親ロ派大統領に対して再び市民の騒乱が起こって大統領はロシアに亡命し、親欧米派が政権奪取。それに対してロシア系住民の多いウクライナ東部で親ロシア派武装勢力が支配地域の独立を宣言してウクライナ政府軍に抗戦、その東部内戦は停戦をはさんで現在に至るまで続いてきた。一方、南部のクリミア半島にはロシア帝国・ソ連時代からロシアが軍港を置いてきた要地あり、ロシア系住民が多く、「住民投票の結果だ」として、半島はロシアが併合
 2019年の大統領選挙では、ゼレンスキー現大統領(コメディアン俳優で、政治経験はゼロだが、テレビドラマ『国民のしもべ』で無名の教師から大統領になって活躍する人物を演じていた)が、前大統領(反プーチンで、NATO加盟をめざしていた)を破って当選。就任当初はロシアに対して対話路線をとっていたが成果を出せず支持率が低迷する中、
米欧を後ろ盾とした対決路線に転換。NATO主導の合同軍事演習にウクライナ軍を参加させたり、NATO加盟の必要性を訴えるようになった。
(4)プーチンがウクライナに軍事的圧力の下、NATOの東方不拡大とウクライナ加盟否認要求
 それ以来、ロシアのプーチン大統領は、NATO加盟を求めるウクライナのゼレンスキー大統領(親欧米派政権)とアメリカに対してNATOのさらなる東方拡大(ウクライナの加盟)と軍の配備(ウクライナからミサイルがモスクワを狙って発射されれば7分で着弾することになる)に反対し、昨年来ウクライナ国境近くに演習と称して大軍を繰り出して軍事的圧力を加えてきた。
(5)アメリカ側はロシアの安全保障要求を拒否
 それに対してアメリカはロシアの要求(NATOの東方への不拡大・ウクライナ加盟否認などの要求)を拒否、ウクライナに武器供与、NATO加盟各国と共に東ヨーロッパに派遣部隊の増派。ウクライナ政府もロシア軍に対して抗戦の構えをとった、というのが現在のウクライナ危機なのである。
 要するにこの対立は、ロシアがNATOのロシア隣国への拡大・脅威に対して安全保障を求めて、米欧側にNATOの東方拡大・ウクライナ加盟の停止を要求しているのに対して、アメリカがそれを拒否してウクライナを軍事支援、という軍事的安全保障をめぐる対立
 ロシア側・米欧側双方とも首脳会談等の外交交渉による事態打開を模索してはいるが、互いに軍事的圧力か経済制裁圧力で威嚇し合いながら、力を背景として突っ張り合ってきた。そして今や「戦争も辞さない」という覚悟で臨戦態勢に入っている。瀬戸際外交など、力を背景とした交渉(駆け引き)は、互いに相手の意図を探り合い、それを読み違えると武力衝突から戦争に突入の危険が伴う
 今、世界はそれを目の当たりにしているわけである。
(6)かつてのキューバ危機
 その時もそうだった。人々には「第3次世界大戦」とか「核戦争」寸前の危機とさえ思われた(1962年当時キューバは、それまでアメリカの半植民地状態で、それを許してきた親米政権を倒したカストロらの革命政権に対してアメリカが、それを覆そうとして亡命キューバ人による上陸作戦や隠密作戦など画策。アメリカのキューバ侵攻を恐れたカストロ政権はソ連に頼り、キューバにソ連の核ミサイル基地建設を認めた。それに対してアメリカはキューバへ向かうソ連船を海上封鎖して阻止。
 一方アメリカはNATO同盟国トルコ(ソ連領ウクライナと黒海を隔てた隣国)に核ミサイルを配備していた。そこで米ソ首脳―ケネディとフルシチョフ―は互いに自分の鼻先にナイフを突きつけられたようにして、アメリカはトルコに建設したミサイル基地を、ソ連はキューバに建設したミサイル基地を互いに撤去することで、アメリカはキューバには侵攻しないことを約束し、それを実行したことで、核戦争の危機は外交的に解決した。(尚、あの時、沖縄の読谷村にソ連極東地域を標的とする核ミサイル発射基地があって、ミサイル4基に攻撃命令が届いた。しかし、そのうち「ソ連向けは1基しかないのに、なぜ関係ない国を巻き込むのか」など不審に思った発射指揮官は、命令は誤りだと判断して発射を思い止まったという。もしも、そのまま命令に従っていればどうなったかだ。)
 このキューバ危機は双方の首脳の賢明な判断で、寸前のところで双方とも矛を収めたが、一歩間違えば「核戦争」となりかねなかった。
(7)ロシアついに侵攻 
 しかし、ウクライナ危機ではロシアのプーチン大統領が、ついに侵攻に踏み切って、ウクライナ政府は抗戦。しかし、ウクライナはNATOには未だ加盟しておらず、NATO加盟国はどの国も参戦は控え、アメリカも部隊派遣は現加盟国だけに留め、ウクライナには武器供与などに留めている。そして欧米諸国それに日本も呼応して、ロシアに対して一斉に大規模経済制裁に踏み切っている。
 (弁護士の橋下徹氏の指摘—NATOは「派兵できないなら、ロシアと協議すべき。ロシアのウクライナ侵攻の原因はNATOにあるのだから」、「西側諸国は、ロシアが瓦解するまでウクライナの犠牲を前提に抵抗させる戦略・戦術を採るのか!それは卑怯だ」、「経済制裁でロシアを瓦解させる狙いなら、それまでの間、避難したい人をどんどん受け入れるべきだ。避難は恥ずかしいことではない」。)

(8)日本の改憲派の反応 
 自民党の元防衛相の小野寺議員などは、「この問題は必ず日本に影響する」、「軍事アセット」(武器やその生産手段、防衛・攻勢に可能な機械・装置やその能力)を保有・配備して力を示し、「お互いが強い立場にあるからこそ交渉できる」とか「基本的に自国は自国で守るというスタンスがあってこそ、周りの応援が来る。さもなければ日本はウクライナと同じことになる」と論じている。
  ウクライナはNATOに加盟していたら米欧の全加盟国の参戦・援軍が得られ、ロシアに対して充分対抗はできたはずなのに、未だ加盟していないばかりに、また核兵器を配備していないばかりに(*)、ロシア軍の侵攻に対して単独で、或いは市民さえもが火炎瓶で抗戦するしかなく、ほしいままに攻撃にさらされている。

 日本には自衛隊があって日米同盟はあっても、現行憲法のままに9条の制約に囚われ続け、存分に力を発揮できない状態では、「日本はウクライナと同じことに」なってしまう。だからそうならないように、敵基地攻撃能力も集団的自衛権の無限定行使も可能となるように改憲して、自衛隊は米軍と共に存分に戦えるようにすべきなのだ、というわけか
(*安倍元首相は、「ウクライナが核兵器をソ連から独立時に撤去せずに保有を続けていれば、どうだったかという議論が行われており、日本も、非核三原則があるが、米国との核共有・運用についてタブー視せずに、選択肢を視野に議論すべきだ」と、テレビ番組で語っているとのこと。)
 日本は、「自衛隊」とは云ってもそれなりに世界有数の軍事大国(軍事力の世界ランキングでは、ウクライナは22位なのに対して日本は5位で、ロシアに次ぐ)であり、日米同盟を組んで「核の傘」の下にあるのに、それでもまだ不十分だというわけだ。
 そして自民党は、現行憲法9条の非軍事条項に、わざわざ自衛隊保持などの軍事条項を書き加える改憲を行い、日米軍事同盟の拡充強化を図ろうとする。その方がよいのかだ。
(9)軍事的安全保障の危険
 「日本がウクライナと同じことになる」というなら、むしろ、日本は、ウクライナがあくまで米欧のNATOに頼って、軍事でロシアの軍事に対抗し、かえって侵攻を被る結果になってしまっているように、日本がアメリカとの同盟に頼って、自衛隊の軍事で中国や北朝鮮・ロシアなどの軍事に対抗しようとすれば、かえって危ない戦争となる、というふうには考えられないか。

 そもそも軍備・軍事力を持つと、どうしてもそれに頼りがちとなり、外交もそれをバックにした強制外交(「棍棒外交」とか「砲艦外交」)となりがちになる。軍事力や軍事同盟に依存する軍事的安全支障というものは極めて危うく、「安全保障」といっても一時しのぎにしかならならず、持続的安全保障・恒久平和とはならない。
 なぜなら、軍事とは戦うことを旨とし、戦いとは勝つか負けるかであり、勝つため、負けないために可能な限り手段を駆使しようとする。手段とは武器・兵器などのハードパワーだけでなく、ソフトパワー(知略)もあり、情報戦・心理戦やサイバー攻撃といったものもある。そしてそのような軍事力をバックにした軍事的圧力や経済制裁圧力などの脅し(威嚇)による外交交渉には、誤情報・偽情報・誤判断、誤算が付きまとう。なんとかして戦争は避けたいと思っても、その誤算・誤判断によって軍事衝突から戦争になってしまうとか、それに走ってしまうということになりがち。また一旦戦争が始まってしまえば、戦う双方とも徹底攻撃・徹底抗戦となって止められなくなってしまう。日本の日中15年戦争や太平戦争、第2次世界大戦後の朝鮮戦争・ベトナム戦争、ソ連のアフガン戦争、アメリカのアフガン戦争、イラク戦争など、どの戦争にもそれがあった。そして今回のロシアのウクライナ侵攻。
(10)9条の立場
 だからこそ、日本国憲法は9条で「武力による威嚇・・・・は国際紛争を解決する手段(外交手段―引用者)としては永久にこれを放棄する」そのために「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」ということで、非軍事安全保障・平和外交のやり方を採ることを世界に先駆けて定めたのであり、それを世界のどの国にも求めて軍備全廃を期する、そうしてこそ、恒久の平和・安全保障の実現が可能となる、というものではあるまいか。
 
 今回、ロシアがNATOのこれ以上の拡大とウクライナ加盟を阻止しようとして(NATOの不拡大とウクライナの加盟否認の法的保証を要求するも、米欧側から「すべての国に自国の安全保障体制を選択する権利がある*」として拒否されて、そのあげく)強行したウクライナ侵攻は乱暴極まる暴挙であり、非難・糾弾されて然るべきではある。ロシアのウクライナに対する主権侵害の侵略行為は、たとえどんな理由であっても、国際法上違法であり許されず、正当化はできない
(*そのような論理でいけば、ロシアが中国などと、かつて(1950~80年)の中ソ友好同盟相互援助条約のように軍事同盟を結んで、それをNATOに対抗して、かつて東欧諸国と結んでいた旧WATOのような軍事ブロックに拡大して、北朝鮮やイランやキューバ・ミャンマーなどまで加盟できるということになってしまうのでは?)
 ただ、ロシア政府のその行為に対しては非難・制裁もあって然るべきだとしても、その言い分(理由―NATOという米欧諸国の軍事同盟拡大とウクライナへの核・ミサイル等配備の脅威)は無視するわけにはいくまい。そもそもそのような理由・口実を与え、(NATO不拡大・ウクライナ加盟否認の)要求を突っぱねた米欧(NATO)側にも問題があるのでは
 
 9条の立場は、本来、どの国も軍事同盟や軍事ブロックを組まず、非同盟・非軍事を原則とし、しかも、「一国平和主義」で一人我が道を行く孤立主義ではなく、全世界の軍備全廃を目指す立場
 もし日本が憲法9条のとおりに不戦・非軍事・非同盟の方針をとっていれば、脅威とはならず、どの国にも日本を攻撃しなければならない必要・理由を与えることもなく、ロシアや中国・北朝鮮などから侵攻をうけたり蹂躙されたりするような心配はいらなくなるはずなのでは?
 尖閣・「北方領土」・拉致問題は?これらも相手の軍事に対して軍事で対抗しようとするなら、ゼロサムゲームでどちらが勝つか負けるかしかなくなるが、不戦・非軍事の9条の立場を堅持して、誠意(相互信頼・立場尊重)と道理に徹した話し合いを尽くすことができれば、解決の方法にたどり着くことは不可能ではあるまい

 しかし今は、日本では政権党をはじめ、「そんな夢のようなことを言ってもダメ」—それではダメだとして、自衛隊と日米同盟の軍事拡充強化をめざして改憲に突き進む動きが一段と強まっているところなわけである。

 さて、9条は、現行の憲法そのままでいくのと、自衛隊条項を書き加えて改憲するのとで、どちらが賢明なのか

(11)9条改憲よりも軍備全廃へ国連憲章改正めざすべき
 日本国民は自国の憲法(9条)を変えるよりも、むしろ国連憲章の改正をめざすべきなのでは。国連は、第2次大戦直後創設して以来、国際平和機構といいながら、不備なところがあり、戦争を止めらないでいる。
 国連は総会(緊急特別会合)での法的拘束力のないロシア非難決議だけで実効的に機能していない(侵攻・戦争をやめさせることができないばかりか、停戦交渉の仲介さえできないでいる。かわいそうなのは砲撃におののき逃げ惑うウクライナの子どもたちと母親たち。国連に必要なのは、高等弁務官やユニセフなどの国連スタッフの救援活動だけでなく、ウクライナの無辜の民を救うために戦闘そのものをやめさせることにこそ役割があり、それを果たすことだろう。
 日本の憲法9条は1項に「武力による威嚇または武力の行使」の禁止を定め、そのうえ第2項に「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めているが、国連憲章は日本国憲法9条の1項の部分(武力による威嚇または武力の行使の禁止)しか定めておらず、各国の自衛権と軍備を認め、そのうえ集団的自衛権として日米安保条約のような軍事同盟やNATOのような軍事ブロックまで認めている。だから戦争は絶えないのだ。核拡散防止条約で安保理常任理事国5大国には核兵器保有を認め、それ以外の国は禁止だとか、核保有国の核軍縮の努力義務は定めてはいるものの、軍縮は一向に進まず、5大国以外の北朝鮮などの核保有も止めることはできないでいる。だから戦争は現に起きているし、核戦争の恐れもある。このままではいつまで経っても恒久平和は不可能。だから、改正するなら国連憲章のほうであり、日本の憲法9条2項のように各国とも軍備を全廃、軍事同盟も禁止するように、国連憲章の改正を目指したほうがよいのでは、と思うのだが。
 また、現行憲法の9条が本来、国に求めている非軍事・非同盟の国ならば、どこかの国々の間で起こった紛争や人道危機に際しては中立国として公平な立場で積極的に仲介し人道介入の役割を果たせることになる。
 そもそもロシア(プーチン大統領)の目的は自国の安全保障であり、米欧に対する要求はNATOのロシア近隣諸国(東方)への不拡大であり、ウクライナに対する要求は、ウクライナがNATOに加盟せずに中立国に留まること、ということだったのでは(?)。(それがどちらからも受け入れられず、やむなく、いや逆上して(?)ウクライナ侵攻を強行した、というわけだが、その行為はまさに侵略戦争であり国連憲章違反。なのに国連は、その憲章規定に基づいて軍事制裁など出来ないでいる。それを決定する安全保障理事会では、常任理事国で拒否権を持つ当のロシアの反対で決められないからだ。それに米欧は経済制裁はやれてもNATOによる軍事制裁—アメリカなどの参戦-には踏み切れない。それをやれば、戦争は核戦争・第3次大戦になりかねないことになるからだろう。)
 日本国憲法は、そもそも、日本がそんなことにならないように9条で、非軍事・非同盟(中立)を国是とすることを定めたはず(なのに、自衛隊の名のもとに再軍備、日米同盟を組んでいるのだが)。
 ロシアが自国の安全保障のために、ウクライナに非軍事・中立化を要求するのであれば、まず、自国ロシアが非軍事・中立化して米欧(NATO加盟国)にも中国などにも、すべての国にそれを要求すべきなのである。
 そもそも日本こそが、憲法で既にそのこと(非軍事・非同盟)を定めている国として、世界各国にもそれを求め、国連も、日本国憲法9条のように(但し、解釈改憲も明文改憲もない非軍事・非同盟原則のままに)国連憲章を改正して、各国とも軍備を廃止し、軍事同盟も廃止するようにして、非軍事安全保障に切り替えればよいのである。
 
 今回のロシアのように自国の安全保障のために戦争を起こしたり、北朝鮮のように核・ミサイルなど軍備強化したり、日米同盟やクアッド(日米豪印)のようなNATOのアジア太平洋版の如き軍事ブロックを形成したりすれば、冷戦が復活して、かえって戦争の危険を招いてしまう。そのような軍事的安全保障よりも、安全保障は非軍事の方が望ましい国連には、国家間の紛争を戦争にしないための仲介・平和的解決支援・人道介入などの役割を果たすこと、それ以外に食料・エネルギー・資源の奪い合い・独占ではなく持続可能な開発・利用(SDGs)、地球環境安全保障、自然災害や感染症から人類を守る安全保障、グローバル経済安全保障など、非軍事的な国際協力による「人間の安全保障」が様々必要とされているのである。国々や国連には警察は必要だとしても、軍備・軍事はかえって戦争やそれに伴う危険を招き、そのようなものはむしろないほうがまし。だから軍備全廃を目指すべきなのでは、ということだ。
(12)真の世界平和は軍備全廃で
 核戦争の危険性を完全になくすためには核兵器を廃絶するしかないのと同じように、「戦争の危険性ない真の平和」を実現するには軍備そのものを全廃するしかないのでは。
 どの国も核兵器を持たなければ核戦争は起きない。ならば、どの国も核兵器だけでなく通常兵器もそっくり軍備を持たなければ戦争は起きない理屈だ。
 核兵器の廃絶は「核兵器禁止条約」の成立で、既にスタートしている。(但し、安保理常任理事国の5大国はいずれも核保有国で、アメリカと同盟を結んでいる日本やNATO加盟国もともに批准してはいないのだが、それらを説得して全ての国に批准させ廃絶しなければならないのだ。NPT核拡散防止条約では5大国以外の国の核保有は禁じられ、5大国には「核軍縮」が義務づけられているにもかかわらず依然として核兵器を独占し続けながら、北朝鮮の核保有には非難・制裁を行っている。)
 現行の国連憲章は戦争と武力による威嚇・行使も包括的に禁止してはいるが、例外として、どこかの国が他の国に侵攻して戦争を始めたら加盟各国連携による経済制裁などの非軍事制裁だけでなく、軍事制裁も認めている。又、個別的に自衛権の行使も認め、同盟国との集団的自衛権も認めており、結局各国の軍備を認めている。その結果、侵攻も自衛戦争も武力による威嚇も絶えることなく、今、現にロシアがウクライナに対して侵攻し、激しい攻防が行なわれ、世界中がテレビで惨劇を目の当たりにしている。
 それはとりあえずロシア大統領に侵攻を止めさせなければならず、ウクライナの抗戦とそれへの米欧NATO諸国の軍事支援(参戦すれば第3次大戦・核戦争になりかねないというので、それは控えて武器や情報供与だけに留め)、その他の支援や経済制裁には日本も加わって制止にやっきとなってはいるが、なかなか止められないでいる。
 このような侵攻や戦争が今後とも起こらないようにして恒久平和を実現するには、国連憲章を改正して軍備を全廃するしかあるまい。
 日本国憲法は9条で戦力不保持・交戦権否認を定め、世界に先駆けて軍備撤廃を打ち出している。(しかし、その規定を都合よく解釈して「自衛隊」と称して軍備を行い、しかもアメリカと同盟まで結んでいるのだが)本来なら率先して軍備撤廃を諸国に訴え呼びかけて然るべきなのだ。
(尚、軍備全廃が決まれば、その実行を確かめる査察・検証機関が必要。又、アウトサイダーで国際テロ組織や国によっては国内に反政府武装集団が存在・出現しかねない。そのために国際武装警察部隊や国内治安維持の武装警察部隊など警察力は必要。)

(13)日本が侵略されたら
 仮にこの日本が侵略された場合、どのように対処するか。
 この日本を侵略する国など、はたしてあるのか(憲法9条で不戦・非軍事を国是としながら、日米安保条約の下で米軍基地を置き、自衛隊に集団的自衛権の限定行使を認めている現状では、台湾有事とか朝鮮半島有事など米軍が関わる戦争が引き起って、日本が中国軍や北朝鮮軍から攻撃される事態はあるかもしれないが、そういったこと以外には、日本を攻撃したり、侵略したりしなければならない理由・必要性のある国が存在するとは考えられない)は別として、仮にそれ(侵略)があった場合の話だが、我々国民、政府、国際社会、国連、諸国民はどのように対応するのか。今、ウクライナがロシアから侵略を受け、抗戦中で、米欧諸国や日本でもロシアに対して、かつてなく厳しい経済制裁、国連では非難決議それに市民の反戦デモが行われている最中だが、世界はこれにかたずを飲んで注視している。
 特に我が国では憲法9条の下で「護憲か改憲か」で気をもんでいる向きにとっては。

日本が侵略された場合―次の3つの対応がある
①自衛隊と日米同盟で抗戦―相手が攻撃をやめるまで徹底抗戦
(憲法9条の制約があるが、改憲すれば自衛隊も米軍も「専守防衛」などに囚われずに存分に戦えるようになるというのが改憲派)
 市民の義勇軍で抗戦?
⓶非軍事・不戦、市民は非暴力抵抗(不服従・非協力)で対応
 あくまで外交・対話オンリーで対応し、応戦・抗戦はしない。それは「戦わずして降伏」?それは違う。降伏とは戦ってから勝ち目がないと諦めて「負け」を認めて恭順することであるが、初めから戦わないのだ。それもどうせ負けるから戦わないのではなく、勝も負けるも軍事的勝利など初めから度外視。他国との間で対立しぶつかることもあり、紛争・トラブルはあっても、動物ではあるまいし、戦って勝負がつかないと決着しない(解決できない)というわけではなく、あくまで人間同士、話せば分かることであり、知恵を出し合って、Win Winで分かち合うという方法を考え出すことができるはずなのである。(それが憲法前文にある言葉「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」ということにほかなるまい。)
 侵略者に対しては、「愛国者」なら徹底抗戦、「火炎瓶ででも戦うのだ」と云って市民を戦いに駆り立て、それに応えて国を守り、愛する人・家族・同胞を守るため身を捧げようとするのはヒロイズム(英雄主義)からは「かっこいい」と思われるだろうが、その「徹底抗戦」ために、かえって、自分以外の多くの人々を犠牲にしてしまう結果を招くことを考えれば必ずしも賢明だとは言えない(しかし、「徹底抗戦か、不戦か」は人の生き方・考え方—哲学にもより、一概にどっちとは決めつけられないのかもしれないが、いかがなものだろうか)。
 (「負けるが勝ち」「愛国者(を気取る者)は国を滅ぼす」といったのは幕末の幕臣・勝海舟。大戦中、日本では「撃ちてし止まん」「一億玉砕」のスローガンの下、竹槍ででも最後まで戦うのだと国民は戦いに駆り立てられ、国のトップが降伏の裁断を下すのもためらわれ、戦争を長びかせて、オキナワ・ヒロシマ・ナガサキの悲惨を招いた。ただ、その日本は戦争を仕掛けた方の国で、侵略を受けた中国人は徹底抗戦を行い、米ソ連合軍と共に戦い日本軍を降伏に追いやって戦勝国となった。しかし、15年にわたったアジア太平洋戦争全体を通じて、死者は日本人310万人なのに対して、中国人は1000万人もの膨大な数の生命が犠牲。
 だからといって、それら過去のアジア太平洋戦争の時のことと今果敢に戦っているウクライナ人のことを一緒くたにするのは如何なものか、という向きもあるが。)
 国民(市民)は侵略者に対して武器をとって抗戦はしなくとも、侵略者の命令に対しては不服従・非協力・非暴力抵抗で対応。国際社会・各国は侵略国を非難・経済制裁など非軍事制裁を加え、侵略国は、いずれはかえって損害を被る結果となる。)

(14)どの国も日本に攻撃・侵略せざるを得なくなるような原因・理由を作らないように
 憲法で「戦争放棄」と定め、「戦力不保持」「交戦権否認」を9条に定めた限りは、そもそも、そのような戦争の意思のない国に対して一方的に「侵略や戦争を仕掛ける」など、あってはならないし、そのようなことが(日本に侵略・攻撃を仕掛けてくることなど)あり得ないように、どの国に対しても、その国の最高責任者が、この日本に軍事攻撃を加え、侵略するしかないと決断せざるを得なくなるような原因・理由となるもの(こと)は作らないようにしなければならないのだ敵対する原因、脅威となる原因には軍備それに軍事同盟・軍事ブロックがあるが、現状の日本は、憲法に「戦争放棄・戦力不保持」と定めたにもかかわらず、今では世界有数(ランキングで5位)の軍事力も持つ自衛隊を保持し、アメリカと軍事同盟を組んでいるそれがネックとなり、台湾海峡有事や朝鮮半島有事など際してアメリカ軍が日本の基地から出撃し、自衛隊がそれを支援・参戦すれば、それは中国や北朝鮮の日本に対する攻撃理由となる。(ウクライナ危機はまさにロシア対米欧側の軍事ブロック・NATOという軍事的安全保障をめぐる対立が原因となっている*―それはロシア側の勝手な言い分なのかどうかは、どうあれロシア(プーチン大統領)はそう思っていることは事実。だからといってNATOには未だ加盟してはいないウクライナに対して、「加盟は許さないとして」一方的に侵攻・攻撃をしかけたことは、あまりに傍若無人な「侵略」というほかないのだが。)

 大事なのは、そもそも我が国に対して侵略などあり得ないように排他的・敵対的関係を持つことなく、平和的友好協力関係に努め、他国の脅威となるような軍事力や軍事同盟を持たないようにすることだ。
 
*3月1日の朝日「声」投稿(『アジア平和の橋渡し役に転じよう』)に「有事に備えて『緊急事態条項』をつくるよりも、『有事にしないためにはどうすればいいのか』だろう」とあったが、同感。中国・北朝鮮或いはロシアが、もしも日本に侵攻してきたら、どう戦うか、などと考えて9条に「例外措置」として自衛隊条項を書き加えようとする改憲にこだわるよりも、「有事(戦争)にしないためにはどうすればよいのか」という方に考えを向けるべきなのではないだろうか。
 
(15)徹底抗戦か降伏か(ともかく、先ずは停戦)
 ウクライナ大統領(ゼレンスキー)は徹底抗戦を訴え、兵士・市民の果敢に戦う姿が映像で見られる、一方、子供を含む一般市民の犠牲者は何百人・何千人と日ごとに増えていき、難民は数百万から1000万にも達する悲惨な実態も見られる。
 これらを遠くからテレビで見ている分には、とかく、戦争がもたらす現地の人々の悲惨(命の犠牲)を度外視して、一心不乱に戦い続ける戦士に対して心情的に「頑張れ!負けるな!」と応援する気持ちにもなるが、中には、そんな悲惨に耐え続けるよりも降伏して中立要求を受け入れた方がいいという向きと、降伏なんてとんでもないという向きがある。(筑波大准教授の東野氏は「降伏すれば、その後ロシアがウクライナをフェアに扱うかどうか誰もわからない。もっとひどい扱いを受け、ウクライナの文化や言葉など禁止される可能性が非常に高い」として降伏には否定的な見解。)―徹底抗戦(「玉砕」)か降伏か―「生か死か」の究極の選択になるが、どちらが賢明なのかだ。
 又、ロシアの方は、ウクライナ側の抗戦がプーチン大統領の予想に反して頑強で、長引
けば米欧・日本など諸国による経済制裁がだんだん効いてきて、ロシアの国民生活が苦しくなるとプーチン政権に対する不満が強まって政権は窮地に陥り、いら立ちからさらに過激化して攻撃を激化させる(既に無謀な無差別攻撃を強行しているが、或いは大量破壊殺傷兵器さえ使用しかねない)可能性もあり、ロシアとウクライナ双方の国民の窮状や犠牲が益々ひどいことになりかねない。いずれにしろ、軍事的にはロシアの方が最終的には勝利しても、政治的にはむしろ最後まで戦い抜いたウクライナ側が勝利することになるかもしれない(?)。しかし、双方の人的物的損害は計り知れず、なによりも文化も言葉も民族的に共通性を持つ両国民の切り裂かれ心(敵対感情)が何世代にもわたって修復困難になってしまうことは確かだ。
 その意味では(人命の犠牲と生活文化の破壊、そして後々まで残る禍根のことを思えば)、双方とも、一刻も早く矛を収め(戦闘停止して)協議・和平交渉に踏み切り、双方とも互いに(安全保障上)脅威とならない(ロシアの要求はウクライナの中立化と非軍事化だが、ウクライナはNATOに加盟して核・ミサイルなど配備することのないようにし、ロシアもウクライナの近隣に部隊や兵器を配備しないことを約束するなど)措置と保証をおこなうことで歩み寄り、合意にこぎつけるようにすればいいのでは、と思うのだが。

(16)カントの永久平和論
 日本国憲法は前文に「日本国民は恒久の平和を念願し・・・・・」と謳い、9条を定めているが、カントが論じた『永遠平和のために』によれば、「平和」とは「あらゆる敵意の終わり」ということで、それは単に「戦争がない(抑止されている)状態」ではなく、(戦争の可能性が根絶されていて―つまり国家間に争い芽・火種がなく、互いに敵意なく)「もはや戦争があり得ない状態」であるとして、その(国家間の争いの芽・火種—つまり原因の)一つだとして国々が常備軍を保持している問題を論じ、その全廃を称えている。それは、「常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることによって、他の諸国をたえず戦争の脅威にさらしているからである。常備軍が刺激となって、互いにに無際限な軍備の拡大を競うようになると、それに費やされる軍事費の増大で、ついには平和の方が短期の戦争よりもいっそう重荷になり、この重荷を逃れるために、常備軍そのものが先制攻撃の原因となるのである」などと説いている。(思想家・柄谷行人氏は、9条にはカント以来の理念で、普遍的な原理が書き込まれていると指摘。)
 (尚、カントは給料で雇われる「常備軍」に対して、市民が自分や祖国を外部からの攻撃に対して備えるために、自発的に武器をとって、定期的に一定期間訓練(演習)を行う志願制の「国民軍」「義勇軍」は、それとは別だとしているのだが。市民義勇軍はいいとしても、自衛隊や日米同盟の米軍はカントの云う廃止すべき常備軍に当たるだろう。今回のウクライナ危機に際してウクライナ政府が外人部隊として義勇兵を日本でも募集したところ、70人もの日本人が応募、うち50人は元自衛官だった。それに対して日本政府は、目下ウクライナに渡航・滞在する日本人には「退避勧告」を出しているこの折、「同国への渡航は止めてくれ」と対応。いずれにしろ現代戦では高度な科学技術兵器による戦争なのでアマチュアの市民義勇兵では戦えない。)
 カントは諸国家の国際的平和連合も構想―国連ができて、それが結実しているかにも思われるが、現実の国連はその理念とはほど遠い(第1次大戦後の国際連盟はアメリカなどが入らずアジア・アフリカ・中南米に植民地をもつ帝国主義国家の連合にすぎず、現在の国連は第2次大戦の戦勝国米ソ英仏中など連合国が主になって世界を管理する体制として創設され、基本的には未だにそのまんま)。
(17)国連国連憲章に急ぎ立法化すべき軍備全廃―カントの考え方から
 日本国憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持」という文言。それはカントの考え方からすれば、次のようにも考えることができるのではあるまいか。(一語づつ分けて)
①「平和」とは―単なる敵対行為や戦争をさし控え、やらないか、やめているという状態ではなく、争いの原因・理由がなく、敵意がなく、戦争のあり得ない状態。「永遠平和」とは単なる空虚な理念ではなく、実現すべき実現可能な課題であり、実現に向けてたえず努力すべき義務なのである。
②「(平和を)愛する」とは―希求する(ひたすら求める)ということである。それを求めるのは善意からではなく、それが有益であり、それを切望するからである。
③「諸国民」とは―国々の人々つまり人間のことだが、そもそも人間の本姓は利己的で反社会的で邪悪で信頼のおけないものであり、互いに衝突し争い合う。国々もまた然りであり、放っておいたらいつでも戦争しかねない。善人か悪人か、或いは国によって「良い国」(まともな国)か「悪い国」(「ならず者国家」とか「悪の帝国」)なんて選別はできない。したがって核兵器や武器・軍備も、国によってある国の核軍備は良くて、ある国の核軍備は悪いなどと選別することもできない。
④「公正と信義」とは―法(ルール)と道徳に則った「正しい行い」「正しい心」のこと。そのルールは、元来利己的で邪悪な人間が互いに自分の利益を図って相争い権利を侵害し合うことによって戦争などかえって悲惨な結果を被る危険を回避するために和合を求めてそれ(ルール)が作られ、それを守り従うことによって安全と生存を確保する。人はそのルールは、他者には守らせ従わせるが、自分だけは縛られたくないとは思っても、最終的には自分の自由や利益が一部制限されたとしても、全員が同じルールに従う方が自分の利益にとって最も都合の良い結果にありつける。そのルールには合理性それに例外を認めない公平性と公開性が担保されている。だからこそ信頼できることになる。
⑤「信頼して」とは、国民や国家の指導者の人間性にたいする信頼ではなく法(ルール)に対する信頼にほかならない。そのルール作りの先にある戦争に関する法規で、カントの「永遠平和」論に最もマッチするのが、日本国憲法の9条(「戦争放棄」だけでなく「戦力の不保持」)の条項であり、国連憲章の改正によって目指すべき軍備全廃条項ということになるのでは。
 今までは国を守る軍備・軍(我が国では自衛隊とアメリカ同盟軍)を「信頼して」国民の安全と生存を保持するという軍事的安全保障のやり方できた。それを変え、9条で「戦力不保持」を定めている憲法を持つ日本をはじめ各国ともを軍備を廃し全廃して法に基づく公正と信義に信頼して国民の安全と生存を保持しようというのが、そもそもカントの考え方なのでは。

(18)軍備が戦争の原因となる
 今回のロシア・ウクライナ戦争の原因は、NATOの東方拡大がロシア隣国ウクライナにまで迫ってきているのに脅威を覚え、ウクライナがそれに加盟しかかっているのを阻止することが、ロシアにとっては自国の安全保障上なんとしても必要不可欠。そこで「2021年12月にロシアがアメリカとNATOに対してロ米間及びロシア・NATO間の安全保障に関する条約・協定案を提示。 これに対してアメリカとNATOはまともに向き合うことを拒み続けた。
これに業を煮やしたロシアは(ウクライナ南東部2州の独立を承認し、そのうえで)ウクライナに対する軍事侵攻に踏み切った(踏切らざるを得なかった)ということだ。
プーチンは『ウクライナの中立化と非軍事化』に関するウクライナの同意を取り付けない限り、軍事作戦を止めないことをくり返し明言している。
 プーチン・ロシアの真の狙いは、ウクライナ侵攻という思い切った手段に訴えることによって、アメリカ・NATOから「ウクライナのNATO加盟は認めない」という明確な言質を引き出すことにあると思われるが、アメリカとNATOがそういう言質を与える保障はどこにもない。最悪でもウクライナから『中立化』確約を取り付けたいと考えているだろう。」(浅井基文・元外交官・政治学者)
 要するに米欧諸国のNATOという軍事同盟ブロックとその軍備の存在がロシアにとって脅威であり、ウクライナにとってはロシアの核軍備が脅威だからこそNATOに寄りかかろうとする。その「軍事安全保障」のための軍備こそが戦争の原因となっているのだ。
日本とどこかの国(中国とか北朝鮮とか或いはロシアとか)との間に戦争が起こるとすれば、日本側にも何か原因があるとすれば、その原因はやはり「軍事安全保障」のためと称する軍備(自衛隊と日米同盟)の存在そのものにあるのでは、と思われるが、それ以外にあるだろうか。
 そもそも軍備というものは、「戦争のない平和」のために在るものとはいえず、戦争を想定し、それに備えるために在るもの。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持」(日本国憲法前文)するという立場ではなく、信頼できない邪悪な国民の存在を想定し(前提にして)、それとの戦争に備えるために常備するもの。その軍備は武器・兵器をもって人を殺傷するものであり、平和的生存権を脅かすものである。そのようなものを備えること自体が脅威となり平和・安全保障を害するものとなるわけである。ただ、軍備を持っているからといって、それだけで即脅威と受け取られ攻撃を受けるとは限らない。今の日本にとっては、アメリカのような同盟国となっている国の軍備には脅威は感じない。又、何の対立も紛争も遺恨もない国ならば、その国が軍備を持っていても脅威は感じないだろうが、それら(対立・紛争)が多少ともある場合は軍備が脅威となってくる。ロシア・中国・北朝鮮などにとっては日本の同盟国アメリカが敵対国ならば、自衛隊も脅威と受け取られるだろう。同様に、ロシアにとってウクライナの軍備は、ウクライナがアメリカ側のNATOの同盟国となってしまったら、アメリカの核軍備と共にそれ(ウクライナの軍備)が脅威となるわけである。(だから、それを阻止しようとしてやっきとなっている。)
 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持」するといっても、諸国の国民ならいざ知らず、国の統治権力者には信頼のできない国があり、「ならず者国家」だとか「悪の帝国」だとか「覇権国家」だとか評価・選別。そういう国の侵攻に備えるためにと軍備(軍事力、或いは核軍事同盟)を保持することによって国民の安全と生存を確保しようとし、結局ほとんどの国が互いに軍備を持ち合っている。そして互いに、相手が軍備を持ち、拡張・強化し、それが脅威だから自国も同じことをして軍事安全保障体制を採ろうとする。かくて戦争の脅威が遠のくどころか、いつ起きるか戦々恐々としていなければならないことになる。
 やはり軍備全廃しない限り、軍備をもつどこかの国と国との間で、また戦争が起こるかもしれないという不安が付きまとい、世界に恒久平和はいつまでも来ない、ということになる。
どの国も軍備を廃止して互いに脅威を無くし、疑心暗鬼・不信を無くせば、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」ができるようになり、平和的生存権の保障が可能となるのでは、と思うのだが。

(19)かつて国連で提案された軍備全廃案
 1927年、国際連盟の軍縮会議準備委員会に、ソ連が「即時完全全般的軍備撤廃協約草案」を提出するも、具体的進展なし。(但し、その翌年の1928年、パリ不戦条約―戦争放棄に関する条約が成立)
 1946年(現在の国連創設の翌年)ソ連がそれを提案―それをきっかけに「軍縮大憲章」(「軍備の全般的な規制及び縮小を律する原則」)を全会一致で採択も実効性のないものだった。
 1959年、ソ連首相フルシチョフが国連総会で演説―「全面完全軍縮に関する政府宣言」
     3段階に分けて4年間で全廃を提案。
   その後その年、国連総会で米ソ両国起草の軍縮決議案が全会一致で採択—米ソが中心となって交渉へ。
 1962年、ソ連「厳重な国際管理のもとにおける全面的完全軍備撤廃条約草案」
   アメリカ「平和な世界における全面的完全軍備撤廃条約の基本的規定の概要」提出。
   両案を国連軍縮委員会などで審議—3段階を踏んで各国とも軍備を撤廃することとし、国内の治安維持と国連平和軍のための兵力だけを残すというもの—しかし、撤廃の実施期間とか各段階における撤廃の順序や程度など主張が対立—撤廃措置の実施中・実施後における自国の安全保障に不安があるなどの問題で進展せず、それっきりに。

(20)国際刑事裁判所 
 それにしても、今回のウクライナ侵攻でロシアの指導者に対して国際刑事裁判所(ICC)はどう対応するのか―戦争犯罪と人道に対する罪を問わないのか。(ロシアは既にICCを脱退しており、米中・インドなども加盟していないとのことだが)そこでどう追及するのだろうか?
 (ICCの手続きを定めたローマ規定では、非戦闘員(民間人)への故意の攻撃は戦争犯罪で、軍の行為を放置した指揮官の責任を問う規定もある。今回のウクライナ危機ではICCの検察官が戦争犯罪の疑いで事態の捜査を始めており、プーチン大統領の訴追の可能性も排除されない。
 裁判には被告人の出廷が必要で、プーチン氏を実際に罰することは難しい。ただ120以上のローマ規定締約国にはICCへの協力義務があり、プーチン氏が訴追後に締約国に入れば拘束の可能性もある、という―3月11日朝日新聞)
(21)とにかく戦争やめろ!
 戦争は正気を失い理性を失った者がやるものだ。戦争で得する者はおらず、悲惨と後悔しか残らない。正気をとり戻せ!先ずもってロシアは兵を引き上げ、アメリカとNATOもウクライナに武器供与・軍事支援などして「徹底抗戦」をケシかけるようなことをするな!(ウクライナ人民の祖国防衛の戦いは是としても、それをアメリカなどが自らの代理戦争*に利用するようなことはあってはならない。)
 (*代理戦争とは、大国同士は核戦争を回避するために直接対決を避け、どっちか一方或いは両方とも参戦はせずに、対戦する一方の側又は両軍への軍事援助など間接的支援に留めて自分の代わりに戦わせるという戦争。米ソ冷戦時代の朝鮮戦争の時は、アメリカは韓国軍について直接参戦したが、ソ連は北朝鮮軍につきはしても軍事援助だけに留まり、当時同盟国であった中国の義勇軍を戦わせた。又、ベトナム戦争の時は、アメリカは南ベトナム政府軍を加勢して直接参戦したが、ソ連は参戦せずに北ベトナム軍に軍事援助をしただけで、北ベトナム軍が南ベトナムの反政府勢力「解放民族戦線軍」と共にアメリカ軍と戦った。旧ソ連のアフガン戦争の時は、アメリカ自らは戦わず、地元の軍閥とイスラム諸国からジハードに駆け付けた義勇兵を支援した。)
 とにかく戦争やめろ!武器供与などの軍事支援はもとより、戦闘用の防弾チョッキやヘルメットなどの供与も、人道支援以外はやめろ!
 ロシアはウクライナに非軍事・中立化を押し付けるなら自国から非核化・非軍事化し、アメリカはじめNATO加盟のヨーロッパ諸国にもそうさせればいいのだ。それより自国憲法(9条)に既に非軍事・不戦を定めている(はずの)日本こそが、それ(非軍事・非同盟)を全世界に呼びかけ、アメリカ・中国にもそれを促すべきなのだ。


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