米沢 長南の声なき声


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自民党のメデイァ露出の多さ
2021年09月20日

 17日の「天声人語」は、「総裁選の報道に騒ぎすぎの面はあると思うが」としながらも、「それは野党の低迷を映し出す鏡でもある」と断じている。それをタレントのことを引き合いに出して、彼らは「露出の少なさをテレビのせいにはしない。タレントの魅力を磨き、営業努力するまでだ」が、なのに野党が「自民党の露出の多さを嘆き、テレビのせいにする」のはお門違いで、野党の「露出」の少なさは努力不足で自己責任でもあるかのような論じ方に思えた。
 報道機関が政党・政治家に出演や政策などの紹介・説明の機会を提供する場合は、タレントにそれらの機会を提供するのとは異なり、放送法に基づく「不偏不党」の原則があり、政権党か野党かとか、政策・理念や活動・実績がどうあれ、特定の政党・政治家に偏って機会を提供したり、しなかったりするようなことがあってはならないわけである。また、野党であっても政権交代を目指して「政策を磨き、人々の声をすくい上げる」活動に懸命に取り組み努力を積んでいるはずなのに、野党には露出が少なく、まるで敵失につけ込み批判する以外に見るべきものはないかのような印象を与えるメディアの政権与党に偏った不公平な扱いにこそ問題があるのでは。
 総裁選報道が、事実上その党の宣伝効果を持つことは否めないだろう。政党の「一強多弱」傾向はこのようなメディアによる「印象操作」のたまものとさえ思えてしまう。ほとんどの人は政権党以外に野党の諸政策・活動実態など単発的にしか目にするすることができない。メディアはほんのわずかしか取り上げないのだから。
 ただ、政権党の政策が実行される人々の暮らしへの影響度からいえば、メディアは政権党の政策と動向を、良きにつけ悪しきにつけ国民に先ずもって知らせなければならないという、やむを得ざる必要上、どうしても政権党の露出が多くならざるを得ないのだという言い分もあろう。それならば、それをそのまま無批判に垂れ流すのではなく、それに対する論評(問題点の指摘)や野党の批判も加えるなど然るべきやり方が必要。
 それにしても、総選挙を間近に控え、メディアは有権者に公正な判断材料を与えるよう努め、印象操作とかアンフェアにならないようにしなければならないわけである。

 尚、9月21日の同紙の『声』欄に「自民党総裁選より衆院選の情報を」として次のような投稿があった。
各メディア、特に各局テレビのワイドショーでは連日連夜の総裁選報道―「さながら『自民党宣伝戦略』の片棒を担いでいるように思える。」「一方的な政権側に関する情報だけでではなく、野党側の訴えや動き、考え方などを幅広く報道してほしい。」「衆院選で一票を行使するための情報の、公平な立場に立った発信をお願いしたいものだ」と。
 24日、テレビ朝日のモーニングショーでは、「野党トップを生直撃・巨大与党にどう対抗?」と銘打って野党4党の(正or副)トップが出演、各党の政策を紹介し、質問に答えていた。メディアは、このところずうっと総裁選4候補ばかりの自民党の独壇場であったが、このように野党にも公平な「露出」(出番が)あって然るべきだろう。


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