米沢 長南の声なき声


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パンデミック下「五輪開催の意義」に異議
2021年07月19日

 平時であれば世界スポーツ全種目のアスリートたちと観衆が世界から集う競技会場を今大会の開催国に選ばれた日本が提供し、日本国民にはそこで最高レベルの競技を目の当たりにして感動を味わえる、めったにない機会だったはず。
 ところが、新型コロナウイルスのパンデミックに見舞われ、未だその最中にある。
 中国などのようなロックダウンを徹底して行っている国や欧米のようにいち早くワクチン開発が行われて接種が国民に行き渡ってる国など、国や地域によっては感染予防対策やワクチン接種が徹底している国・地域もあれば、そうでない国・地域もある。それによって重症化率も死亡率も減って、ロックダウンなど規制が解除され、マスク着用さえ不要とされるようになった国もあれば、途上国・低所得国などワクチン接種が1%にも満たない国も少なくない(カナダ70%で先進国の欧米68~56%なのに日本は32%、中国は43%で、世界平均は26%)。
 開催国日本では、立派な競技会場や「選手村」(宿舎)などは用意しても、そこに参集する各国選手はベストコンデションで競技に臨める(思う存分力を発揮できる)状態ではないし、観衆が集まれる状態にもなってはいない。(選手は、国・地域によっては代表選考・出場権獲得のための予選会が中止となったり資金にも恵まれず不参加を余儀なくされたり、日本国内での事前合宿で時差や気候に慣れるように早めに来日して合宿練習しようにもそれが取り止めになったり等のハンデを強いられ、その点日本選手以外のアウェイ選手にとっては全く不利・「不公平」ということになる。それにバブル方式ということで一般人からの感染リスクからは守られる代わりに、滞在期間中毎日PCR検査を義務付けられ、競技場と選手村以外への自由行動は禁止で、一般国民より厳しい行動規制が選手団に求められる。観衆も、競技場の大半は「無観客」が原則で、日本人にとっては地元開催なのに海外で見るのと同じテレビ観戦に甘んじるしかない、というわけ。)
 開催国として世界のアスリートたちに競技会場を提供するだけでなく、客人への「おもてなし」がキャッチフレーズだったのに、それも十分できないことになった。
 
 本来なら、大震災からの「復興オリンピック」と称し、またフクシマ原発事故(チェルノブイリ原発と並ぶ深刻度最悪の事故)も「アンダーコントロール」と称して誘致に成功し、開催国となったかぎりは、このようなパンデミック有事開催となったとしても、大丈夫、「安心・安全な大会」が可能だと自信をもって言えるように、保健医療体制も感染症対策研究体制も検査体制もしっかり整っており、感染防止・抑止に万全の対策を講じることができ、ワクチン開発・製造も真っ先に行って世界に配れるほどの能力がそもそもあって、それこそ「新型コロナという困難に打ち勝った証」として五輪大会を開催するのだという、それだけのキャパシティがあっての開催実行でなければならなかったはず。それが全く逆で、ワクチンなど他国からの輸入に頼らなければならない状態。
 実は、日本は国際的には「ワクチン後進国」と呼ばれており、感染症対策が遅れている「後進国」となっているのだ。

 昨年3月、安倍・当時首相はバッハIOC会長との会談で開催を1年延期と決めた際、「人類が新型コロナに打ち勝った証として完全な形で開催」と述べていたが、1年以上経っていよいよその時が来て「全く不完全な形で」でも開催強行となっているわけである。(安倍前首相は最近になって「(無観客になって)たいへん残念」としながらも、北京冬季五輪を見据えて「自由と民主主義・・・・基本的価値を共有する日本が(五輪を)成し遂げる」と―7月10日、柏崎市での講演で。)ここにきて開催強行に踏み切った菅首相の言い分は「新型コロナという大きな困難に直面する今だからこそ、世界が団結をした象徴として、この難局を乗り越えることができる、そうしたことを世界に発信することに意味がある」などという言い方に。そこには、開催はもはや「コロナに打ち勝った証として完全な形で」は不可能だということが誰の目にもはっきりしている、それでも菅首相にしてみれば、開催せざるを得なくて、こういう言うしかないのだということなのだろう。パンデミックという「津波」はくい止めることはできないし、第何波と押し寄せる波が引くのを待つこともできない、一か八か、それに挑んで「乗り越える」のだという、まさに勝ち目のない戦争に突き進んだ「先の戦争」の時と同じ精神主義と無謀な賭け。
 今、世界の諸国民が「団結」しなければならないのはオリンピックに対してではなく、コロナウイルスのパンデミックに対してだろう。それなのに何故、開催強行にこだわるのか。(アスリート・選手たちにとっては開催へのこだわりは当然だとしても、必ずしもそうとも限らず、プロ選手など種目によってはオリンピック以外にも大事な国際大会がある場合もあるのだが。)菅首相ら政権政治家がそれにこだわるのは、在任中に開催実現を果たせば、それが実績となり、レガシーともなる政治的一大事業だからだ。
 「世界が団結」とは云っても、中国などに対して「自由・人権など価値観の異なる国々との分断があり、対抗心からする政治的思惑もある。
 このパンデミックの最中に、日本は夏季開催で中国は冬季開催ということで、ともにオリンピック開催国。その両オリンピック大会に対してアメリカは、日本開催の方は支持するが、中国開催の方は(ウイグル人自治区の人権問題などを理由にして)ボイコットの意向を示しているが、パンデミックに対しては、これらの国々が、WHOとともに結束・連携して互いに協力すればいいものを。APEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議の場で、米中首脳がワクチン供給で牽制し合っている(米国が途上国向けにワクチン供給5億回分と国際公約しているのに対して、中国がそれを上回ったと強調)。世界は「団決」とはほど遠い(反中・親米同盟国の団結にほかならない)。
 WHOのテドロス事務局長が開会式前日に来て、菅首相と五輪感染対策を協議するとか、このタイミングで一体、「安心・安全の大会」のために?

 いずれにせよ、そのようにして強行されたオリンピックは、後々どのように評価されるのかだが。「パンデミックの最中にも反対を押し切って、よくぞやり抜いた大和魂」それとも「オリンピック史上最悪のレガシー」、「いや、かつて誘致したオリンピックを返上してまで戦争に突入した、あの時よりはマシだ」ということになるのかだ。



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