米沢 長南の声なき声


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憲法カフェでの話題から考えついたこと
2021年01月27日

参会の方々から提起され交わされたお話から当方が考えついたこと。

(1)自衛隊について―9条を変えるのではなく、自衛隊の方を変えては
 ①自衛隊は災害など何かあると有難がられ感謝されるが、「違憲だ」と云われると隊員やその身内の人は傷つき、肩身の狭い思いをする、だから合憲となるように改正すべきだ、という論について。
そういうふうに(自衛隊の当事者たちのプライドを傷つけるように)させるのは憲法(をつくった者)のせいではなく、「自衛隊」をつくって(警察予備隊~保安隊から改編して装備を拡充し、米軍の同盟軍として)実質的に軍隊化させてきた政権党政治家の責任なのであって、それを憲法に照らして「違憲だ」と指摘する論者の責任ではあるまい。
 だから自衛隊に対して(その当事者たちの心を害するような)違憲論なんか生じる余地のないように憲法を変えてしまえというのは間違いで、皆がしっくりゆくように変えるのであれば、自衛隊のほうを変えるべきなのでは―憲法が禁じている軍隊的側面(軍事の部分)を取り除いて、災害出動や領域(海上・領空・国土)警備や非軍事国際貢献などに特化するなど。
 ② 非軍事国際貢献について
 アフガニスタン紛争下で
  中村哲氏らペシャワール会はNGO(非政府組織)だが、彼らの偉業は、アフガニスタンで、医療だけでなく、あのような大規模な灌漑用水路建設工事をやってのけ、荒野を緑野に変えたという壮大なボランティア事業であった。
    伊勢崎賢治氏は国連職員・日本政府代表としてアフガニスタンで軍閥の武装解除を指揮した。
    ところが政府はアメリカのアフガニスタン侵攻を支援して自衛隊をインド洋に派遣し米軍の後方支援に当たらせた。
    自衛隊を海外に派遣するのであれば、(米軍を後方支援するなど)中村氏から「有害無益」と評されたようなやり方ではなく、中村氏らがやったような医療・灌漑などの事業に非武装でたずさわる平和的国際貢献であって然るべきだろう。

(2) 「お金でではなく、現物で」ということについて(T先生が提起された話題から)
 ① 交換・貨幣経済(商品・市場経済)―売って代金を得る、取引と購買の関係、債権と債務の関係―富や金銭・利潤の追及
   見返り(代金・金銭的報酬・利子・利潤)が目的
   売るもの(商品)があり、購買力のある者しか参加できない
   労働者は労働力が売りもの(すなわち商品)―賃金はその代金
   資本家は労働者を雇い(労働力を賃金で買って)彼らが稼ぎ出した生産物(それには剰余価値が付加されていて、それが利潤となる)を売却して利潤(儲け)を得る
 ② それに対して贈与経済(ギフト・エコノミーorボランタリー経済)―必要としている人に与えるのが目的、というやり方
   カンパは「お金」で行われるが、寄付は現物でも行われるし、ボランティアは労働で行われ「時間の贈与」とも云われる。
   それは「善意」(自然の人間心理で利他的欲求・相互協力欲求)から発し、任意(相手から「見返り」があろうとなかろうと、こだわらない)で、相手の必要(ニーズ)に応じて与える―但し、見返りを期待しないとはいっても、「与えれば、いつかは誰かから返ってくる」との期待が人間心理としてある。そこから互いに「お金」では量れない「善意」から発するサービスのやりとり・・・・「ボランティア切符」や「地域通貨」(エコマネー)のやりとり―なんらかのサービス(奉仕)の対価として受け取り、それを使ってまた別のサービスが受けられる。
 ③ 憲法25条「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有」し、
 「国は、すべての生活部面について、社会福祉・社会保障および公衆衛生の向上・増進に努めなければならない」ということで、これには国民の権利と国の責務が定められている。そこで後者(国が行わなければならないこと)について―
   「生活保護」も、食糧は現物支給(炊事などできない場合は宅配弁当)(衣料・日用品も?)、住居は無料、医療・教育は無料、ただし「文化的な生活」の部分(新聞・テレビ・端末など)の経費は給付金。
   子供食堂・フードバンク・炊き出し等も、民間ボランティア任せではなく、国の責任で常時提供(或いは助成)するシステムがあって然るべき。
   
(3) 核のゴミ(使用済み核燃料)の始末―最終処分場の問題
 T先生は「まず原発は再稼働せずに廃絶して、これ以上始末のできない核のゴミを出さないようにすること」その方が先なのであって、その議論(核のゴミをどこに埋設するか等のこと)は、それからだと。
 そもそも核のゴミを「埋め捨てにするのは正しくない」と(日本学術会議2012年)。(小出・元京大原子力実験所助教によれば)再処理し「ガラス固化体」にして地中の底深く埋めても、「高レベル放射性廃物」は、この日本のような地震国ではどこでも10万年もじっとさせておくことなどできないのであって、核のゴミはそれを作り出した世代が「黒い目で監視」できるところに、とりあえず置いておくしかなく、そこから後の始末は専門家の知恵を集めて考えるしかないのだと。

(4)憲法の「制限規範」性と「授権規範」性(S・T先生から提起された話題から)
 憲法の主たる目的は国民の人権保障なのであって、憲法には、その人権の内容(平、が定められ、それを保障するために奉仕する国家の諸機関の役割と権限が定められている。憲法はその人権規定と統治機構の規定から成りたっていて、後者の統治機構について国の諸機関に権限を付与するのが授権規範であり、その権限の行使を制限し濫用を禁じるのが制限規範。現行憲法では憲法によって授権されている国家機関としては、国会に立法権・国政調査権、裁判所に司法権・違憲立法審査権、内閣には行政権(それに警察権も含まれる―自衛隊の運用権限はその延長線上にあるというのがこれまでの政府解釈)と外交権・条約締結権が授権されているが、軍事に関する権限(軍事権)はどこにも書かれていない。
 今、自民党などが企図している改憲(加憲)で、9条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権の否認という制限規定)に「その2」として「前条の規定は‥‥自衛の措置をとることを妨げず、・・・・自衛隊を保持する」などと書き加えられればどうなるか。
 それは国(政府)に自衛隊運用(軍事)の権限が憲法によって授権されることを意味する。これまで自衛隊法など法律によって授権され認められてきた自衛隊の運用権限は、最高法規たる憲法(9条)によって(自衛隊の武力行使など)軍事は制約を受けてきた。それが憲法に「自衛の措置・自衛隊の保持」と明記され、憲法によって国(政府)にその権限が付与(授権)されたとなれば、政府の自衛隊運用(軍事)に対する許容度が格段に高くなる(集団的自衛権の行使や敵基地攻撃など、これまで控えられてきたことが堂々と行えるようになる)わけである。(国の軍事に対する「制限規範」であるはずの9条が授権規範に変質してしまうことになる。)
 また、「緊急事態条項」の加憲も企図されており、憲法にその条項が「大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情がある場合、内閣は政令を制定することができる」などと内閣への授権規定が書き加えられたりすれば、今、コロナ禍で感染症対策特措法の改正案が国会で審議され、野党から批判や反対のある改正事項(命令違反に罰則規定など)のようなものも、内閣(政府)の一存(閣議決定)で政令として制定され、権限の発動ができるようになってしまう。
 これらのことも、そもそも権力制限規範であるはずの憲法が授権規範性を強める結果(変質)を招くことになるわけである。

 


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