米沢 長南の声なき声


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民主主義って何だ―アメリカ民主主義と日本民主主義
2020年11月10日

 民意・国民の合意に基づく政治
 民主主義とは「国民主権」ということで、全ての国民(一人一人)が主権者として参政権(選挙権・被選挙権・投票権など)を持つということ。但し年齢(18歳)が来れば選挙権・投票権が誰にも(1人1票)認められるからといって、それだけで民主主義が成り立つわけではない。
 その(主権者として権利を行使する)ために国民一人一人に必要不可欠とされるのは①知る権利(情報収集権・情報公開請求権)とともに②集会・結社・思想・信条・言論・表現の自由であり(どんな考え・意見を持とうが、表明しようが、抑圧を受けたり、その言論・思想が圧殺されたりしない)、それらの人権保障が前提条件となる(つまり、知識・情報を得る「知る権利」と自分の意思・意見を表明する「表現の自由」が全ての国民に保障されていないかぎり民主主義は成り立たないのだということ)。
 その人権が独裁者・専制権力者によって抑圧・圧殺されることにないようにするために必要不可欠とされるのが民主主義なわけである。
 つまり、人権保障と民主主義は、互いが成立するうえで、一方が他方を必要不可欠とする必要条件となっていて、人権保障が欠ければ「欠陥民主主義」ということになる。
  *①の「知る権利」については、情報公開請求で公文書の開示が求められた場合、その公文書が廃棄されていたり改ざんされていたり、隠蔽するようなことがあってはならない。「特定秘密保護法」も問題。(公文書法1条には、公文書は国民共有の知的資源として主権者である国民が主体的に利用し得るもので、国がその諸活動を現在および将来の国民に説明する責務を全うされるようにする、と定められている。)
   また、「知る権利」とは「教育を受ける権利」でもあり、学校では政治教育が充分おこなわれようにしなければならないわけである。

 このような民主主義に対して一部の人(独裁者・専制権力者の考え・意見だけ)によって国家運営が行われるのが権威主義(①全体主義体制ではないものの民主主義体制ともいえない中間的な体制、②非民主主義の思想や運動や体制の総称で各種の独裁主義や専制主義や全体主義などが含まれる)。

 国民―国によっては多様な人種・民族を抱える(多民族国家)
 国民の合意―国民全員一致が理想で、国民大多数の合意(決定に対して納得)が必要、その合意に達するまでには「まどろっこしい」プロセスを経なければならず、長い時間がかかる。
 それが待てないとか、そんなの不合理だという向きには、「どうでもいいから早く決めてくれ」と少数権力者の専断(トップダウン)に任せる独裁政治(権威主義体制)の方を良しとする考えを持つ。近年、権威主義体制(カリスマ的指導者)を求める(自発的隷従)傾向が強まっているといわれる。

 世界では現在―民主主義の国・地域は87で、非民主主義の国・地域の方が多く92で54%を占める
  イギリスの『エコノミスト』誌につながるシンクタンクによれば
  「完全民主主義」の国4%、「欠陥民主主義」の国44%、「混合政治体制」の国18%、「独裁政治体制」の国34%
  世界167ヵ国の民主主義ランキング(上記『エコノミスト』誌のシンクタンクによる)
  (評価項目①選挙過程と多様性、②政府機能、③政治参加、④政治文化、⑤人権尊重)
   1位ノルウェー、3位スウェーデン、4位ニュージーランド、6位カナダ、13ドイツ、14位イギリス、
   20位のコスタリカまでが「完全民主主義」
   21位(韓国)以下は「欠陥民主主義」、日本は22位、
   アメリカは25位(トランプ政権前までは「完全民主主義」だった)、
   76位(アルバニア)以下~14位(イラク)まで「混合政治体制」
   115位以下は「独裁政治体制」で、中国は130位、ロシアは144位、最下位は北朝鮮
   日本は投票率の低さ(17年衆院選では53%余)と女性議員の少なさ、報道の自由度の低さ(「国境なき記者団」によれば67位)が目立つ。
   北欧諸国の投票率は80%程度
   アメリカでも、今回の大統領選挙は66.4%(100年ぶりの高さ)
   アメリカの調査機関(ピューリサーチセンター)によれば―34ヵ国平均52%が自国の民主主義に不満(うまく機能していないと)、日本は53%が不満。

 民主主義の政治制度の型
多数者支配型(多数決民主主義、アメリカ型)
二大政党の対決、小選挙区制、選挙で51%の得票を得た勝者が選挙区の議席(アメリカの大統領選挙では州の選挙人)を独占し、相手候補に投票した49%の民意は切り捨てられる、単独政権、その任期が切れて次回の選挙で勝たない限り政権交代なし(勝てば交代)。
そのメリットはどちらかと云えば「決められる政治」(果断な決定)、大胆な改革(変革)には向いている)。(二院制で、上下両院で多数党が異なる場合は、「ねじれ」でなかなか「決められない」という場合もあるが。)
 デメリット―分断―政治文化の亀裂を招く
合意形成型(コンセンサス型、ヨーロッパ型)―できるだけ多くの意見を聞き、できるだけ全ての人が受け入れ可能な案をつくって幅広い合意・協調をめざす―調整・妥協・歩み寄り(面倒なプロセス・時間)が必要―対決・感情的な議論や個人攻撃は避ける(デメリットは安易な解決策に流れ、現状維持に陥りやすい)
 多党制・比例代表制、小党分立、連立政権(小党も政権参加・政権協力)

 「多数決民主主義」で、「決められる政治」が望ましいといっても、少数意見や批判を意に介さず「数に物を言わせ」て強行採決をものともしない、といったやり方は独裁政治と変わりなく、民主主義とは云えないことになる。だから、国民大多数から支持された権力者といえども、人権保障の法には従わなければならないという「法の支配」の原則と、憲法に違反してはならないという立憲主義の原則があり、違憲立法審査権をもつ裁判所(司法府)があって、立法府・行政府と間に権力分立の原則があり、地方分権もあるわけである。(但し、日本では裁判所人事で、最高裁の長官の指名も、それ以外の裁判官の任命も、下級裁判所の裁判官の任命も、いずれも内閣に任命権を認めている。最高裁の裁判官については「国民審査」はあるものの、それはかなり形式的で、実質を伴ってはいない。アメリカでは最高裁判事の任命権は大統領にあり、党派的な人選が行われたりしている。)
 *公務員の任命権に関しては、憲法15条には「公務員を選定し、及びこれを罷免することは国民固有の権利であり、全ての公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とあり、首相や大臣の政策や意向に「合う合わない」で任命したり、任命拒否をしたりしてはならないわけである。日本学術会議に対しても然り。
 公務員にしろ学術会議の学者・研究者にしろ、奉仕する相手は国民全体であって首相や大臣ではあるまい。その「任命」主体が天皇とか総理大臣とか内閣となっていても、天皇による総理大臣任命の場合は「国会の指名に基づいて」、最高裁長官の任命の場合は「内閣の指名に基づいて」、総理大臣による日本学術会議の会員任命の場合は「学術会議の推薦に基づいて」とあるかぎり、「任命」は形式的なものであって、国民に対する実質的なその(人選の)責任は、あくまで指名した者、或いは推薦した者が負うもの。
 
 民主主義は制度(仕組み・システム・形式手続き)としてはそうなっていても、実質が伴わず、機能していない場合がある。だから肝心なのはその制度を運用する為政者・政治家たちの(「国民のため、国民全体に奉仕する」「独善に陥ってはならない」という)意識・自覚と、彼らを選挙で選ぶ国民の(主権者としての)意識・自覚である―その制度を利用して権力を手にした政治家や政治勢力が利権や野望を果たそうとしたり、国民の多くがそれに気が付かなかったり無関心だったり―デマゴーグ(扇動政治家)と衆愚政治、ポピュリズム(大衆迎合主義)など―に陥ることないようにしなければならない。
 *ポピュリズム―(冷静で合理的な判断からではなく)一時的な感情や空気によって政治的態度を決めてしまう大衆の意思を重視して、その支持を集めようとし、既得権層・エリート層・リベラルな学者やジャーナリストらに対する反感・敵意を煽る。

 「大衆の支持を得ようと思うならば、我々は彼らを欺かねばならぬ。・・・巧みな宣伝をたえず用いれば、人々に天国を地獄と見せることも、その逆に、最も惨めな状態を楽園のように見せることもできる。」
 「大衆は小さな嘘より大きな嘘に騙されやすい。なぜなら彼らは小さな嘘は自分でもつけるが、大きな嘘は怖くて付けないからだ。」
 「人々の大多数は、その態度および性質において女性的であるから、彼らの活動や思想は、冷静な考慮によって動機づけられているよりは、感情によって左右されている。・・・・宣伝の効果は、したがって、常に感情に働きかけることに向けられねばならない。・・・・大衆の組織者は・・・・大衆の弱点と野獣性につけこむよう努めねばならない。」
 これは誰のことばだろうか?・・・・・・・・・・・ヒトラー(『我が闘争』の文中にある)



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