「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意」、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を決意」(憲法前文)
「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄」(9条1項)、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」(同2項)
そもそも9条(戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認)制定(1946年)の意義―
平和的生存権の保障と非軍事的安全保障―我が国が、侵略戦争を仕掛けて惨害を与えたアジア・太平洋諸国をはじめ、同盟国ドイツ・イタリアによって侵略・惨害を被ったヨーロッパなど世界の諸国に対して安全と平和的生存権を保障―安心の供与
という平和戦略に立っていた。ところが米ソ冷戦から朝鮮戦争(1950年)が勃発―米軍が占領下の日本を基地に(北朝鮮軍とそれを支援した中国軍に対して)出撃・交戦、その間に日本国内の治安上の空白(不備)を補うために「警察予備隊」を創設、それが休戦(1953年)後(アメリカは日本占領を解除、日本政府と安全保障条約を結んで基地と駐留軍を維持するとともに)「自衛隊」として改組・改称(1954年)されて現在に至っている。
(尚、その合憲解釈の根拠に13条―国民の生命・自由・幸福追求の権利は国政の上で最大の尊重を必要とする―を持ち出している―1972年10月14日参院決算委員会に対し政府が提出した資料『集団的自衛権と憲法との関係』―外国からの武力攻撃に対して、自衛の措置を講じ、急迫不正の侵害を排除するための必要最小限度の武力行使を行うことは、国家が国民の生命・自由等を最大限尊重するよう求めている「13条の要請」に基づくものであると。
しかし、そもそも13条は国民の自由権規定として国家に国民の権利を侵害することのないように定めたものであって、国には国民を護る義務があるとしても、9条は、13条に国が国民の生命・自由等の権利を護るために武力を行使することを例外として認めているわけではなく、あくまでも9条の枠内で軍事手段以外の方法によることを国家に義務付けているのだと解すべきなのだ。
ところが、政府は外国からの武力攻撃があった場合に「我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置」を講じ、国民の権利を護るために武力を行使することは9条の下で「例外的に許容される」ものと解釈。)こうして憲法制定当初の原点から離れてゆき、9条による平和戦略(非軍事的安全保障)から遠のいて、日米安保条約の下に米軍と自衛隊との軍事同盟による軍事的安全保障(軍事戦略)へ転換していった。
そしてソ連(今はロシア)、中国、北朝鮮と軍事的に(核・ミサイルなど兵器・兵力を双方とも「抑止力」と称して)対峙し、これらの諸国に対して(安心・安全の供与とは反対に)互いに脅威を及ぼし合っている。世界の軍事力ランキング―①米②ロ③中④印⑤仏⑥日本⑦韓・・・・・・・・⑱北朝鮮
(米国の評価機関「グローバル・ファイアパワー2020年版」)
軍事費 〃 ―①米(71兆円) ②中(19.8兆円) ③サウジ ④ロ ⑤印 ⑥英 ⑦仏
⑧日本(5.3兆円) ⑨独 ⑩韓
(9日、米国防省が日本へFステルス戦闘機105機の売却を承認
―1機236億円、計2.5兆円―それが日本の購入経費となる)
海軍力 〃 ―①米②中③ロ④日本⑤英・・・・⑧韓
核兵器 〃 ―①ロ(6500)②米(6185)③仏(300)④中(290)⑤英(215)
⑥印(130)⑦パキスタン(150)⑧イスラエル(80)⑨北朝鮮(20)
「強い国」 〃 ―①米②ロ③中④独⑤英⑥仏⑦日本⑧イスラエル⑨韓⑩サウジ
(米誌「USニュース&ワールドレポート2020年版」世界の約2万1000人からアンケート)現下の「安全保障環境の悪化・危機的状況」
「2020年は米軍を巻き込む危機が最も起きやすい年に」(ニューズウイーク)
「コロナ禍の今、米中衝突の危機はそこまで迫っている」( 〃 5月13日)―
「米国内の流行は自国より中国政府に責任があると思う人55~60%いる(トランプが新型コロナを「中国ウイルス」と呼ぶことを同意している)」「米中冷戦の悪化は最も避けたい事態だが、衝突の危機はそこまで迫っている」と。
トランプ大統領、曰く「(『中国ウイルス』―それは)我々が経験した中で最悪の攻撃だ。真珠湾や世界貿易センタービル(同時多発テロ)よりもひどい」
「コロナ後の米中『対立から衝突』の可能性に備える必要」(田中均・日本総研国際戦略研究所理事長・元外交官)―対立(「新冷戦」)から「衝突(「熱い戦争」)もあり得ないことではない」と。大統領の再選戦略(選挙キャンペーン)に「中国カード」を使い、中国叩き(対中批判・制裁措置)。
「日中が尖閣諸島で軍事衝突する可能性はあるか?―軍事衝突は蓋然性(確率)も低くはない―日本が衝突回避のため取り組むべき課題」「日米安保体制の確固とした抑止力が必要だ」と(同じく田中氏)。
アメリカでは「大統領選挙で追い詰められているトランプ大統領が起死回生のカードとして『戦争カード』を(対象はイランなのか、北朝鮮なのか、或いは台湾海峡なのかだが、そのいずれかでカードを)切ってくる可能性があり、、『戦争内閣』という形で選挙をたたかうのが逆転するうえで一番有利だろうといったことが議論されている」(7月19日TBS「サンデーモーニング」で寺島実郎氏)
そのような現下の情勢・「危機的状況」に乗じて、集団的自衛権行使(限定的)容認の解釈改憲から明文改憲(自衛隊明記)へ踏み込もうとしているのが安倍・自民党政権なのである―その9条改正案とは、1項(戦争放棄)と2項(戦力不保持・交戦権否認)をそのまま維持したうえで、自衛隊について次のような条文を書き加えるというもの。
「9条の2(第1項)前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。(第2項)自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」(2018年3月公表された自民党憲法改正推進本部の「たたき台素案」)―もしも、国民投票でこのような改正案が示されて投票することになったら、賛成票・反対票のどちらを投ずるのだろうか。そこで9条堅持(平和的生存権の保障、非軍事的安全保障)か、それとも改憲(軍事的安全保障)か、そのどちらの考えが正解なのか、検討してみることとしたい。
(1)軍事的安全保障(―軍事的抑止力)―軍事力を「抑止力」とか「自衛力」と称して保持し、隣国や他国と同様に軍事力を持ち合うことによって隣国・他国(中国・北朝鮮・ロシア等)の攻撃・戦争意志を抑え込み、武力攻撃・戦争を回避しつつ(対立・紛争の火種を残しつつ、とりあえず)安全を保持―自国と同盟国(アメリカ等)の安全を保障―同盟国以外の国(中国・北朝鮮など)からは脅威を持たれる。
武力を保有し、「いざとなったら(相手側に武力攻撃を仕掛けてくる気配があれば)武力を行使するぞ」という意志をも(念頭に)保持―いつか「それ(激突)があるかも」という不安・脅威・恐怖が相互に残る―今はその状態。
こちら側が軍備を強化すれば、相手側も負けじと強化し、互いに軍拡(脅威が増幅)→緊張(不安)→たえず引き金・発射ボタンに手を(相手が撃てばすかさず撃ち返すか「やられる前にやる」)―軍事衝突→戦争に発展(限定的な戦闘でも、相手にとって銃弾1発は100発と同じ)というリスク。
軍事力を持つと、武力に固執して、平和的な問題解決の方法を探さなくなる―力に頼りがちとなり、対話・交渉(妥協・譲り合い)が疎かになる。
(2)平和的(非軍事的)安全保障―
軍備を持たず、どんなことがあっても戦う意思のないことを示す―9条(戦争・武力行使の放棄と戦力不保持・交戦権否認)は国の内外にそれを宣明。
安全保障の方法―対話・交渉・交流(ヒト・モノ・カネ・エネルギー・環境・文化の交流―諸国民と利害・運命の共有)―-(非軍事的抑止力になる)
各国と平和友好条約めざす(特定の国と同盟したり密接な関係を結んだりせず)―「敵をつくらず、脅威にならないこと」
憲法9条こそが抑止力―「こっちがなにもしなきゃ、なにもしてこない」―日本が戦争に巻き込まれずに済んだのはそのおかげ(それがあったからこそ、日米安保でアメリカの戦争に―ベトナム戦争にも湾岸戦争にもアフガン戦争にもイラク戦争にも―自衛隊はアメリカから要請があっても戦闘参加は断ることができ戦争に直接巻き込まれることなくて済んだ)(「9条は自衛隊員の命を守る最強の盾になっている」わけだ)
対立・紛争はあっても戦争・武力には訴えずに、あくまで話し合いで外交的解決(軍事力を背景としない外交)―互いに譲歩・和解に努め、対立そのものを無くしていく―そうしてこそ戦争の不安・恐怖のない状態でいられる(それこそが「平和」であり、「平和の裡に生存する権利」が保障されるというもの)―互いに(自他・全ての国々に)安全・安心を保障。
国際貢献は非軍事・平和貢献に徹する―ODA(政府開発援助)、
軍縮・軍備管理交渉(今までは消極的・不熱心)、核兵器禁止条約(未だ背を向けているが)推進。
北東アジア平和協力構想・北東アジア非核(3原則)地帯構想(←朝鮮半島非核化から)の実現を主導9条は国権の発動たる戦争と武力による威嚇・武力行使を放棄し、国の交戦権は認めないとは言っても、国は警察権を持ち海上保安庁も対テロ特殊部隊もあり、国民には正当防衛権(不当な支配に対する抵抗権)もあり、無防備・無抵抗ということにはならない。
自衛隊は国外からの領域侵犯を取り締まり、侵攻を阻止・排除する領域警備と災害出動など非軍事に徹する。武力で「攻めて来られた時に限って」相応(必要最小限)の武力を行使するものとし、「専守防衛」に徹する。外的が侵攻してきたら抗戦し、撃退(排除)はしても、追撃し敵地に攻め入って打撃を与えたり、致命傷を与えるような攻撃はしない。
又、違法・不正な侵犯・侵略行為に対しては抗戦し、断固たる拒否と抵抗の意志は示しても、核・ミサイルによる原発攻撃や都市攻撃を招き、数多の市民・住民の生命と生活基盤を犠牲にしてしまう結果となる無謀な「徹底抗戦」は避ける。かつての(太平洋戦争の時)ように「撃ちてし止まん」(勝つまで止めない)とか「本土決戦」「一億玉砕」などと叫んで抗戦を続け、大空襲や原爆投下を招いて国民に未曽有の惨害をもたらした、その悲惨な戦争体験を繰り返してはなるまい。つまり自衛隊は「専守防衛」といっても軍事的勝敗にはこだわらず、あくまで国民の生命と生活手段・生活基盤を犠牲にすることなく生存権を護り抜くことを目的・任務としなければならないわけである。
他国の軍事力(核戦力など)に頼ることはしない。同盟国など他国の戦争に関わって作戦に加担するようなこと(集団的自衛権行使)はしない。
自衛隊は、その防衛力(軍事力)をもって威圧し脅威を与えるような「抑止力」とはしない(相手に戦争や軍拡の口実を与えるようなことにならないように)
そもそも、自衛隊は交戦権が認められていないから軍隊ではない。それに自衛隊は、軍隊と異なり、武器をむやみに使用することはできず、一般人と同じく刑法で定める正当防衛・緊急避難の場合以外には、また警察官と同じく警察官職務執行法に定める場合(犯人逮捕などの職務執行に対する抵抗と逃亡を防止するため)以外には人に危害を与えてはならないことになっているからである。(それで殺せば殺人罪になる。)(上官の命令には従う義務があり、任務の遂行上、自分の生命を危険にさらすことをいとわないということはあっても、上記の正当防衛など以外には発砲して人を殺したり、殺されて死ぬことを強いるような命令は違法であり、拒否することができる。)さて(1)と(2)とで、「国民の平和的生存権」・自衛隊員も含めて日本人の生命が守られるためにはどちらがベターか。
(1)と(2)とで、前者の方を正解と考える向きには、9条改定に賛成し、憲法改正の国民投票では賛成票を投じる方に傾くことになるだろうし、後者の方を正解と考える向きは9条改定に反対し、改憲に反対票を投じることになるだろうと思われる。さて、皆さんはどうお考えだろうか?