米沢 長南の声なき声


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新型コロナ―休校か検査か、必要不可欠なのはどっち?(加筆版)
2020年04月30日

 学校は「三密」になる施設とはいえ、いつどんな人が集まるか分からないような不特定の人々の集まる施設や場と違い、感染者など検査しようと思えば検査して特定できる所なのであり、感染者がいれば登校停止させ、学級閉鎖、休校もあり得るが、感染者がいなければ休校する必要などないわけである。

 神戸大医学研究科の岩田教授によれば、小児患者が発生していない中で、休校によって感染をゼロにするとか、一日何人まで減らすとか根拠に基づいた目標設定もなく、ただ「やる」というのでは、その成否は事後的に判然としないわけである。
 政府の専門家会議も3月19日の時点では、学校の一斉休校については感染が拡大している地域では「一定期間休校にすることも一つの選択」としながらも、「効果を測るのは困難」としていた。    
 4月1日の専門家会議では、「子ども」については(現時点の知見では)地域において感染拡大の役割はほとんど果たしていないと考えられているとし(*)、臨時休校とするのは、子どもや教職員に感染が判明した場合で、学校外での感染が明らかで校内感染の恐れが低ければ「実施する必要性は低い」としていた。
 *ウエブ「新型コロナウイルス、子供からうつる?-SWI swissinfo.ch」に「子どもは感染拡大役割を果たしてはいない」ということに関連して次のような記事が載っている。
  「両親など大人から感染した子どもはいるが、子どもたちが媒介者になる確率は大人より低く、子どもの感染率も低い。また子供は無症状が多く、入院した子どもは大人より少なく、死亡者もまれだ。したがって休校は感染防止にはそれほどの効果はない。」「但し結論ははっきりしない」とも。
 感染者のうち20歳未満の割合―スイス3%、米国2%、中国2.2%、イタリア1.2%、スペイン0.8%―但し、子供は無症状が多いため報告件数が実態を反映していないことがあり得て、大半の国ではデータが足りておらず、不確実な部分があるということのようだ。
 
 日本では、子供に限らず、全体としてPCR検査数が少なく感染実態が不明確なのだが、
5月6日の読売新聞オンライン・ニュース(「10歳未満の感染、4月以降急増・・・・」)によれば、小学生以下10歳未満の感染者が5月4日の時点で242人(うち東京63人、大阪22人、愛知15人)になっている。これは休校が続いている間、保護者らから家庭内で罹るケースが多いからだという。富山市立小学校では4月~25日(休校中だが、6日始業式・8~10日が登校日で机の間隔を広げ、マスク着用を徹底していたという)その間、同じクラスの児童や兄弟が計5人、教諭1人が感染。市当局は「(学校内でのクラスターの発生は否定)校外での感染が広がった可能性が高い」との見解。日本小児学会理事・長崎大の森内浩幸教授は「子供の重症化リスクは高くない。親が過敏になってストレスを与えないように気を付けてほしい」と。

  いずれにしろ、生徒を検査して感染確認もなしに実態がないのに、やみくもに休校にするのは問題。
 「感染の恐れがあるから」「もしかして万一感染があるかもしれないから」といった不確かな「最悪の事態」を想定して休校。「最悪の事態を想定して対策を講じるのが危機管理の要諦」というわけ?しかし、学校に感染が及び集団感染するかもしれないといった、この場合の「最悪の事態」を想定するには、単なる不確かな可能性や憶測からではなく、現実にその学校では確かにあり得るという蓋然性(確率)や事実関係に基づいて想定しなければならないわけである。それを確かめるにはPCR等の検査が必要であり、そのうえで「確かに、その学校に感染者がいる(と特定)。その生徒(或いは職員)を隔離し、集団感染が広がらないように学級閉鎖、さらに学校中に感染が広がる最悪の事態を想定して休校もやむを得まい、というようにPCR検査等による科学的客観的根拠を踏まえての「最悪の事態」想定でなければならないわけである。 
 それを、ただ単に「最悪の事態を想定して対策を講じるのが危機管理の要諦」だからといって、やみくもに休校して、結果的に学校で感染(拡散)がなくて済み、感染拡大が防止されたなら、それでいいではないか、などという結果オーライで済むのだろうか。そもそも学校で感染事実がないのに安易に休校なんかして責任者(首相から文科相・学校設置者・教育委員会)は休校させて結果何事もなくて済めば責任を問われずに済むからいいと思うのかもしれないが、おかげで、子どもを家庭に丸投げされて、てんやわんやさせられ、難儀を被っている保護者と本人はたまったものではないその実害―授業(教科学習)の遅れ、家に引きこもってゲーム依存、学校で様々な体験をする(そこから様々な学びを得、心身を鍛える)機会を失う損失、運動不足・心のケアなど心身の健康・衛生の管理、給食など栄養の管理、安全管理も損なわれ、家庭に閉じ込められて親子・兄弟・姉妹の間でストレスを抱え込まされて、DVや虐待などトラブルも生じている、等々、実に多義にわたる(学校教育から得られるべき数々のものを失う)損失。その損失をいったいどうしてくれるのか。その責任を問わなければならないのだ。
 そういうと、たとえ休校のために、学校教育から得られるべきものを全て失っても、感染死を免れた命には代えられまい、「すべては命あってのものだろう」などと理屈が立てられる。
 しかし、学校教育を受ける権利だって健康で文化的な最低限度の生活を営む生存権つまり命に関わる国民の権利なのであり、「休校か、感染死か」どっちが大事かなどという二者択一の問題ではないのだ。「カルネアデスの舟板」(難破船から海へ投げ出され、目の前の板に自分1人だけならそれにつかまって助かるが、2人がつかまれば沈んでしまうので、やむなく相手の手を引き離して見殺しにする、その場合は「緊急避難」としてその行為は正当化される)という故事のような「生きるか死ぬかしかない」といった極端な二者択一を迫られての緊急避難でもないのである。休校しなければ感染死を免れないというわけではあるまい。生徒・教職員をPCR検査して感染者が誰もいなければ休校にする必要はないわけである
 要は検査を徹底することだろう。
 検査にはPCR検査・抗体検査・抗原検査などあり、PCR検査にはドライブスルー方式(車に乗ったまま検査を受けられる)とかウオークスルー方式(テントを張った中で受けられる)など簡便な方法がある(韓国で大規模に実施して感染拡大を抑え込み、当初は感染者数・死亡者数ともに日本を上回っていたが、逆転して日本よりも少なくなっている)。
 日本では、PCR検査が車内でできるワンボックスカー(移動型検査システム)が、最近になって(5月4日)千葉県の鎌ヶ谷市で国内初の導入が行われることになった。
 今回我が国―政府の方針―では、これまでPCR検査は(検査をやり過ぎると医療崩壊が心配だとして)クラスター(集団感染)を追跡するのに必要なだけに絞り、感染の可能性の高い人と重症化しやすい人だけに絞って行うやり方(新型コロナ感染の相談窓口を各保健所の「帰国者・接触者外来相談センター」に一本化。そこで、発熱7度5分が4日以上続いてるなどを目安に判断して検査受け付け、「帰国者・接触者外来」になっている病院で検査)をとってきた。このやり方では、地域の(かかりつけの)医師が、検査が必要と判断しても保健所に断られたりし、また見つかっていない軽症者や症状のない感染経路不明の感染者が急増し、院内感染もあちこちで続出、かえって医療崩壊の危機を招いている、というのが実態。そこで検査体制の見直しに迫られている。かかりつけ医が、検査が必要と判断したら保健所を通さずに新設のPCR検査センターに紹介して検査を受けられるようにすべきだと。
 現在、全国で検査能力は1日1万5000件i以上で、首相は2万件を目標に体制整備を進めているといっているが、今のところわずかに8000件。(ドイツでは1日14万件の検査能力があり、韓国では1日2万3000件の検査を実施しているのに。)
 (そもそも日本ではPCR検査数が極端に少ない―OECD加盟国36か国中35位。
 人口1000人当たりOECD加盟国平均23.1人なのに対して日本は1.8人。
 アイスランド135人、イタリア29.7、ドイツ25.1、スペイン22.3、アメリカ16.4、韓国11.7、イギリス9.9、フランス9.1)
 このような脆弱な検査体制を早急に改善・拡充しなければならず、検査技師の増員と検査キット(器材)の確保など拡充・強化が必要。それこそが最も緊急を要するところなのだ。(ワクチン・治療薬の開発を急ぐことも、勿論のことだが。)
 学校では、校医による健康診断、予防接種もある。休校でそれさえも行えないなどというのは、いったいどいうことだ!今は廃止されているが結核予防のツベルクリン反応検査・BCGワクチン接種や天然痘ワクチン接種(種痘)など学校で全生徒に行われていたものだ。PCR検査あるいは抗原検査も学校でやれないのか。ドライブスルーやウオークスルーそれにワンボックスカーでもやれるなら、検査スタッフと検査キットの大量確保も必要となるが、不可能なことではあるまい
 PCR検査センターを全国自治体に新設し、それぞれの地域の医師会に運営を委託するとすれば、その設置・運営委託費は一か所当たり月5000万円、全国数百か所で(400か所として)200億円程度布マスク全世帯配布に充てられる金額は466億円(それにミサイル―イージス・アショアは東西2基で5千億円超)だが、それだけの予算があればPCR検査センターを全国各地につくって大量検査することはできるはず
 「接触機会削減」などよりもPCR検査の拡充のほうに力を注ぐべだ―小田垣孝・九州大学(社会物理学)名誉教授によれば、「PCR検査―現在の検査数では、接触8割減で感染収束に23日を要する。10割削減でも収束には18日かかる。
   検査を2倍に増やせば、接触5割でも、収束まで14日早まる。
       4倍に増やせば、接触削減などしなくても8日で収束する」と計算。
   PCR検査を受けておらず、感染しているのにその自覚がないまま、無症状や軽症のため通常の生活を続け、周囲に感染させて市中感染が広がる。だから接触削減が必要になる。
 PCR検査を受けて陽性と判定されれば隔離される。その検査が増えるほど感染は抑えられる道理なわけである。
 だから、接触機会の削減よりも、PCR検査と隔離の拡充のほうが感染防止対策として有効なのだ、というわけ。

 とにかく、やみくもに一斉休校などして学校教育を犠牲にするよりは、PCR検査・抗原検査など、そういったことの方に全力をあげるべきなのでは、と思うのだが如何なものだろうか。
 授業は学校なんかでやらなくても、家でオンライン授業がやれればそれで済むかのように、簡単に思っている向きがあるが、教育の基本は個別学習ではなく、集まって触れ合って気持ちを通じ合わせながら一緒に学ぶところにあるのであって、それこそが学校教育なんだから。

     



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