米沢 長南の声なき声


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心情と才智(加筆修正版)
2020年03月13日

 当方の在職した学園の創設者の校訓に「才智より出でたる行為は軽薄なり。心情より出でたる行為は篤実なり。」という言葉がある。なるほど才智と言っても、「悪知恵」とか「狡知」(狡賢い)といった才智では困るが、かといって心情にも色々あり、そこから発する行為がすべて篤実かというと必ずしもそうではない。
 そもそも心情とは
 そもそも人間のすべての行為は欲求・欲望(欲心)から発し、それには先ず生命欲(生存欲求)・食欲・性欲・睡眠欲・苦痛回避欲求など生理的欲求と、金銭欲・知識欲・名誉欲・権力欲など社会的欲求があり自己顕示欲・承認欲求それに安全欲求・自己実現欲求 などがあり、それら欲心が心情の中でも原初的ものだろう。
 その欲心が満たされる満足感が快感・幸福感・安心感となり、満たされないと不快感・不幸感・欠乏感・欲求不満となり、満足・不満足で喜怒哀楽の感情が生じる。又その過程(欲心追求・達成努力の過程)で希望・充実感・不安感・焦燥感・辛苦があり、自らの達成努力にもかかわらず、結果的にそれが実らないか、実っても事故や病気・災害・戦災などの外的要因によってその成果が奪われ、或いは財産や生命さえも奪われれてしまうという事態に遭遇するかもしれない、その不安感・恐怖感に駆られる。そのような心情もあるわけである。

 それに、欲心には利己心と利他の心(「相利共生」とは生物学的用語だが、他者や相手のためにやれば、それは直接・間接自分のためにもなるという考え)とがある。
①利己心(我欲・私利私欲)の強い人(利己主義者)は、自分の利益を他者の利益に優先するとか、他者の損失よって自分が利益を得るとか、自分さえ良ければいいとか、他を蹴落としてでも勝とうとするとか、人の上に立とうとするなど、金銭欲・出世欲や支配欲・権力欲(野心)などの強い人。或いは独善―自分(側)は常に正しく、相手(側)のほうが間違っていると思いこんでいる。
 自分以外には自分の縁者・「お友達」・仲間内・自分への同調者・協力者に親愛の情。
それ以外の人は抵抗勢力として排除。
 また、優勝劣敗の競争を肯定し、勝者・強者・エリートを(権威として)崇めて彼に従う―権威主義―自発的隷従・忖度―国家的権威に対しては愛国心をもち、自国第一主義。

 ② 利他の心(相利共生マインド)が強い人(利他主義者、といっても互恵的利他主義)―理性的な考えで、自他の共益或いは利益のバランスを図るタイプ―は他者や相手への思いやりが厚く、人に優しく、良心的で道義・道徳・人道にこだわる。「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治の言葉)といった博愛主義あるいはヒューマニズムの傾向。
 「心情より出でたる行為は篤実なり」という場合の心情とはこの利他の心情のことだろう。いわば「良き心情」だ。
知識や知性・知恵・才智、それにAI(人工知能)は、利己心であれ利他心であれ欲心達成の手段であり、それらが利己心の達成の手段とされる場合は狡知(ずる賢い)となり、そのような才智は「軽薄なり」と言えるわけである。

 利己主義派と利他主義派の対立―利他主義派は①の利己主義派を嫌い反発。その独善・横暴・専横・理不尽に憤り憎しみ怒る。

 対立・抗争は右派・保守派対左派・革新派・リベラルなどイデオロギー(思想・信条・主義主張)対立の形をとって争われるが、そもそもは実利を求める欲心を中心とする心情の違い・不一致から生まれ、利己的実利追求と相利共生的実利追求の心情対立からくる。
 例えば、原発をめぐる推進派と反対派の争いは電力業界・財界・自民党の利己的実利追求と国民間の相利共生的実利追求の心情対立からくる。
 改憲をめぐる自民党と国民間の対立も、政治信条の違いによる場合もあるが、社会的実生活上それぞれ改憲・護憲のどちらが有利かという実利追求の心情からくる。

 政治家の心情―(精神科医で元衆院議員の水島広子氏によれば)①自己愛(自分を特別な存在との意識)が強い(それが政治家にとって不可欠なエネルギー源となる)。そして自分と似た人を「仲間だ」と感じ、異論を唱える人は排除し、仲間だけを重用。②(自分とは異なる意見を持つ人たちを含む)他者への共感力がある。そして恵まれない人への人情があり、力をもっているがゆえに、力をもたない人たちの声を聞く鷹揚さ、寛容さがある。
この二つを併せ持つタイプと①が強いタイプあり。

 歴史上の偉人・英雄あるいは現在の政治家で利己主義派・互恵的利他主義派どちらか典型的な人物には誰が挙げられるか?日本では誰?他国では?

 安倍首相の心情―祖父(岸信介―満州国建国に参加、東条内閣の閣僚、戦犯容疑も不起訴、釈放後政界復帰、自民党第3代首相、日米安保条約改定―現行条約―日本をアメリカに守ってもらうための条約、そのもとで「平和と繁栄」図られるも対米従属へ)を敬愛、改憲などその遺志を受け継ぐ。著書『美しい国へ』にその心情―大戦への思い―「軍部の独走、軍部の責任」といわれるが、マスコミも民意も支持していたと。現行の日本国憲法は「前文は敗戦国として連合国に対する詫び証文のような宣言」で「妙にへりくだったいじましい(哀れで見苦しい―引用者)文言になっている」と―2012年出演したネット番組でも「いじましいんですね、みっともない憲法ですよ。はっきり言って。それは日本人が作ったんじゃないんですからね」と。
 史上最長政権を誇る安倍首相の場合は、改憲実現の「悲願」(野望)とともに、強権政治や国政私物化などモラル崩しなどの問題もある。これらはいずれも彼の欲心を中心とする心情から発しているものと考えられる。
 自民党でも古賀誠・元幹事長の心情―福岡県出身、2歳の時、父親が戦死、女手一つで苦労する母親の姿を見て政治家を志す。 高校卒業後、大阪の問屋に丁稚奉公。一年後大学(日大)に進学、在学中福岡県の同じ地元の自民党参院議員(鬼丸勝之)の書生となり、卒業後同議員秘書を経て、衆院議員に立候補、落選も二回目で自民党から立候補して当選、以後10回当選、大臣にもなって、森喜朗政権時代には幹事長まで上り詰め、2012年引退。
 憲法については、改憲論議は必要だが、9条だけは一字一句も変えてはならないと(9条に自衛隊など「書く必要はない」と断言。著書に「憲法9条は世界遺産」と。

  当方にも欲心を中心とする心情があるが、その心情は・・・・・・

 ここで、「利己主義派と利他主義派の対立」などといっても、人々をそのいずれかに峻別して、あの者は利己主義派だとか利他主義派だなどと簡単に決めつけて評価・判断をしてはなるまい。
 そもそも人の心を見極めることなどできはしない。言動から推し測るとしても、その思い込みは主観的な先入見であり偏見なのかもしれない。その心情による判断は客観的根拠に基づいた確認が必要であり、公正な評価・判断を期さなければならない。そのためにこそ理性・知性を働かせなければならないわけである。心情によるその判断が適切なのかどうか、然るべき理由と客観的な根拠によって裏付けられるものでなければならず、説明を求められれば説明責任を果たせるようなものでなければならない。知性(言葉と論理的説明力・知識)はそのために必要なわけである。
 しかし、人によっては(どちらかといえば利己心の強い人は)その欲心(私利私欲・欲望・野望)を達成し、或いは勝ち得た利得や地位・権力を覆されまいとして、それらを合理化し、私欲を覆い隠すために知性・才智を悪用し、策謀をはかり、嘘・ごまかし(証拠資料を改ざん・隠蔽するなど)を弄する(悪知恵・狡知を働かせる)こともあるわけである。

 人の心情も色々で、すべからく「心情より出でたる行為は篤実」だとはいえないが、ただ心情の良くなければ、どんなに知性・才智があってもダメなことは確かで、一番大事なのは心情の良さなのだと、これだけは言えるだろう。


 


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