改憲の歌(中曽根元首相作詞の「憲法改正の歌」をはじめ、自民党本部関係者が作ったJ-POP調の「憲法改正ソング」、それに「憲法改正応援歌」など)がある、一方、「わたしのねがい」(最近、日弁連企画の憲法ソング・コンテスト大賞を受賞した尾池ひかりという児童の作詞で「私が大きくなっても このままの憲法であること、それがわたしのねがい」)という歌があり、又「憲法は僕たちのもの、政府が変えるものじゃない、守りたい人も、変えたい人も、みんなで考える」といったような歌詞で若者が作った「憲法の歌」もある。それに現行憲法(前文・条文)そのものに曲を付けて歌にしたものもある。代表的なのはシンガーソングライターきたがわてつの曲だが、他にもYouTubeにはラップ調とかフォーク調の曲を付けたもの、それに「日本国憲法をカラオケボックスで歌ってきた」とか「日本国憲法前文・カラオケ音源」といったものも投稿されている。
当方も前文と主要な条文に節を付けて歌ったオリジナルを試み2年前YouTubeに「日本国憲法朗詠歌」などとして投稿したりした。
憲法は「理であり、国の誰もが従うべき冷厳な法令なのであって、心情で歌ったりする筋合いのものではない」といった決めつけや思い込みがあるだろうが、必ずしもそういうものだとは限るまい。この憲法をつくったのは法律家たちではあっても、先ずは国民の心情を汲み取った心の思いから発想して法文として作成し、その文章は作家(山本有三)らが言葉を練りあげて作りあげたものであり、作詞家の中西礼は「憲法は詩でも小説でもないが、美しい理念をうたい、感動を与える『世界に誇れる芸術作品』であると」評している。だったらこれを歌わない法はあるまい。
きたがわの歌は先年、山形市で開かれた母親大会でゲスト出演した彼がギターを弾きながら歌ったのを初めて聴いてCDを買ってきたものだが、その後NHKのニュース9の特集で「憲法には歌があるんですね」ということで紹介があって、中曽根元首相の「改憲の歌」と合わせて、きたがわの「憲法の歌」を流して聴かせたことがあった。
YouTubeでは、中曽根元首相の「改憲の歌」は視聴回数が(藤山一郎・安西愛子がデユエットで唄ったのと元首相自ら唄ったのと合わせて)10万4千回以上、自民党本部関係者の「改憲ソング」は同じく10万4千回以上、きたがわの歌は約27万回、当方が投稿したものは(「憲法朗詠歌」とその縮小版「平和憲法の歌」を合わせて)約4千回。
当方は一昨年市内で「憲法カフェ」と称して10人足らず集まってもらい、きたがわの歌と当方のオリジナルを紹介して「憲法の歌をうたってみませんか」ともちかけたことがあったが、それっきりで終わって残念な思いをした。
憲法は国民のものであり、憲法を歌うということは、それを「♪われらは・・・・」と歌うことによって憲法を自分のものとして心に刻むことができ、自分の心とすることができるわけである。
韓国では「ローソク」デモ(キャンドル集会)では憲法の条文(第1条「大韓民国は民主共和国である。主権は国民に在り、すべての権力は国民に由来する」)に(民衆歌謡作曲家が)メロディーを付けた歌を合唱しているという。
「君が代」は国歌として公的行事に際して歌わされ、否応なしに普及しているが、一シンガーソングライターの歌とはいえ、音楽的に優れた格調の高い「憲法の歌」というものが出来ているのに、どうしてそれが普及しないのだろうか。「うた声」運動があり、各地にセンター合唱団などあるのに、どうしてこの憲法の歌が広がらないのだろうか。
「改憲反対」のスタンディングなどやってるが、なんかもの足りない。街宣車のスピーカーで「憲法の歌」など流せばいいものを。(自家用車のカーステレオにCDやカセットテープをかけて最大音量で窓を全開して流したりしているが、響きが弱くてダメ)車外スピーカーの付いた街宣車を然るべきところで出してくれればいいものを、協力してもらえない。9条の会も、どなたも「どこ吹く風」。改憲派の攻勢が始まろうとしている今、これではとても、「改憲の歌」との「歌合戦」にも負けるし・・・・・なんて、一人で気をもんでいる今日この頃。