自然災害は必然的なもので、いつか必ず襲来し、避けられないものだが、戦争や軍事紛争は必然的なものではなく回避できるもの。
近隣諸国に対して「脅威」とか「国難」というが、それを云うなら、現に次々と列島を襲う未曾有の災害のことであり、必要不可欠なのは防災・災害対策であって軍事なんかではないのでは。今の自衛隊は、侵略に対する防衛出動つまり軍事を「主たる任務」とし、国民保護等派遣・災害派遣・地震防災派遣・原子力災害派遣・海上における警備行動・領空侵犯に対する措置などを「従たる任務」としており、アベ自民党は(軍事を「主たる任務」とする)その立場で改憲(9条に自衛隊明記など)を策しているが、「主たる任務」とすべきは災害・防災派遣と領域警備の方であって、軍事なんかではあるまい。
(1)そもそも日本に軍隊・軍事はどうしても必要なのだろうか。
軍隊とは軍事(外敵と戦い-戦闘、撃滅・排除)を事とする。その主要任務は国家を守ること、即ち国家主権(独立)を守り(自衛隊法第3条1項では「国の平和と独立」を守るとなっている)、国の権益や国家体制を守ること―それが最優先で、国民の生命・財産をまもるのは(二の次で)その結果として守られるにすぎず、国家を守るためには作戦上(部隊・隊員の命・武器・陣地は守らなければならず、戦闘に際して)必要ならば(国民・住民は足手まといで)犠牲にされてしまうことにもなる。敵は躊躇なく殺す―そのために心理的バリアーを除く教育・訓練を積む。それが軍隊というもの。
(2)しかし、国家の最大の任務は、あくまで国民の命と財産を守ることであって、国家自身(国家主権・統治体制・国家機関)を守ることではない。したがって国家のために国民を犠牲にするようなことがあってはならない。
(3)国民を侵略(による人権侵害)から守る(侵略・攻撃を抑止する)ために軍事力(軍隊や自衛隊)を保持する軍事的安全保障もあり得るが、軍事力を持たず(使わず)に、どの国、どの民族とも敵対せず、友好関係を結んで侵略・攻撃を招かないようにして国民を守る非軍事的安全保障のやり方もあるはず。
軍事的安全保障には、軍事力(軍事組織・軍事同盟・軍事基地など)を保持することによって相手国を刺激し(相手国に脅威を与え)、相手国はそれらを攻撃の対象として設定するため、攻撃を受けやすくなり、かえって自国の安全を損ない危うくする。こちらが軍事力を強化すれば相手国も負けじと軍事強化し、軍拡競争を誘発して互いに軍拡。その軍事力均衡で戦争が抑止されるという「均衡抑止」の局面はあるとしても、均衡が破れた時は戦争の火ぶたが切られ、たちまち戦禍が拡大し、国民には計り知れない被害を招く結果となる。
そのことを考えれば、非軍事的安全保障に徹するやり方のほうが賢明だということになる。
(4)しかしどの国、どの民族とも敵対せず、友好関係を結んで侵略・攻撃を招かないようにしたつもりでも、万一(想定外に)侵略・攻撃されてしまったらどうするか。その場合、被害を最小限に食い止めるためには徒に反撃して大きな被害を招くよりも白旗を挙げる(つまり降伏して国家主権をとりあえず放棄する)。その方が、被害がなくて済むわけである。(先の大戦で降伏した時のように遅きに失することなく「さっさと」白旗をあげていれば、沖縄戦も広島・長崎の原爆もソ連軍の侵攻もなくて済んだものを、抗戦を続けばかりに、悲惨な結果を招いてしまった。今後再びそれを繰り返し、核ミサイルなどで国土が破壊され荒廃し放射能汚染され尽くして回復不能になってしまうことのないようにしなければならない。降伏して日本がたとえ占領されても、人々が生き残れば、独立や自由はやがて回復できるわけであり、「戦わずして降伏」してでも被害を最小限にできる戦術を考えた方が賢明なのである)。その際は、占領されても、まるっきり無抵抗で「何をされてもなすがままに奴隷的に屈従する」のではなく、理不尽な仕打ちに対しては決然と抵抗する。但し、市民が武装抵抗するパルチザン戦ではなく非暴力抵抗主義で、デモ・ストライキ・サボタージュなどに訴えるやり方をとる。そのような非暴力抵抗でも、占領者はダメージを被り、彼らが長期にわたって我が国民全体を軍事的・政治的に支配し続けることを困難たらしめ断念させるのも不可能なことではないからである(「暴力行使費用増大の法則」と「国家管理費増大の法則」で―経費が巨大過ぎるため)。
そもそも非軍事・非同盟友好国家に対して、国際的非難・制裁リスクを冒してまで無益・無謀な侵略・攻撃を仕掛けてくる国なんてあり得まい。
(5)「独立した主権国家である以上、自分の国は自分で守る軍隊(自衛隊の軍事力)が必要だ」という考えは?―それは「時代遅れ」―なぜなら今や世界の趨勢は、国家の主権を制限しても、集団安全保障体制(国連の他にもEUやASEANなど地域の多国間安全保障体制)をいかに構築していくか、或は多くの国が予め友好関係を結び、相互に武力行使を禁止する約束をし、万一約束を破って他国を侵略する国があれば、他の全ての国が協力して、その侵略をやめさせようとする仕組みを構想・追求するようになってきているからだ。
(6)「近隣諸国の軍事力増強に現実的に対応するためには軍隊(自衛隊と日米同盟の軍事増強)が必要だ」という考えはどうか?
中国や北朝鮮の「脅威」とはいっても、それらの国にたとえその能力(核ミサイル・海軍力など軍事力の増強)はもっているとしも、日本に対して侵略・攻撃などやったら、それによって得られるメリットよりもリスク・損失の方がはるかに大きく費用対効果はマイナス(つまり割が合わない)だとか、そもそも侵略の意図をもってその機会をうかがっているのかなどの点から、その可能性(蓋然性)は(歴史上日本による侵略に比べればはるかに)低いだろう。中国にしても、北朝鮮にしても。
中国とは東シナ海のガス田開発と尖閣列島の領有権を巡って対立があり、尖閣列島は日本が実効支配をしていて、その領海や接続水域に中国の公船や漁船が頻りに侵入するというトラブルがあるが、そこで限定小規模な(日本の海上保安庁に相当する海警や漁民が武装した海上民兵POSOWなどの侵攻に対して海保や海上自衛隊の警備行動で、戦争に至らない)準軍事作戦はあり得ても(その際、自衛隊の出動には、中国側に「日本が先に武力行使をしてきた」と主張する口実を与えかねないリスクはあるが)、本格的な「日中戦争」などはあり得まい。
そもそも中国は日本にとってアメリカを上回る最大の輸入先で、アメリカに次ぐ第2の輸出先。このような日中間で戦争しなければならない国益上のメリットなどないのであり、同盟国アメリカも日本の無人島死守のため中国と戦争しなければならない必然性などあり得ないのである。
北朝鮮―日本がそれを脅威と感じるのは、両国間に貿易・経済・文化の交流がなく、日本はアメリカの同盟国として北朝鮮とは敵対関係にあるが故に攻撃されるかもしれないと日本人が思っているからであり、北朝鮮から見れば日本を攻撃しても得られるメリットは何もないのである。
そうはいっても北朝鮮という国は独裁国家で(独裁者が理性を失ったら)「何をするか分からない国だから」、万一に備えて軍備は必要不可欠だ、という考えはどうか?
北朝鮮のミサイルは日本本土を射程に数百発配備されているという。そのミサイルは音速の10倍(発射から7~8分)で、こちらの迎撃能力を超える量を一度に撃ち込まれたら(「飽和攻撃」)、それをすべて迎撃するのは困難(万全を期すにはPAK3など地上配備型ミサイルの発射機1000基が必要で10兆円では足りない)とのこと。
独裁者が理性を失ってミサイルの飽和攻撃を仕掛けてくるかもしれない万一に備えて何十兆円もつぎ込んで迎撃ミサイル防衛体制を完備しなければならないなんて。北朝鮮が以前アメリカと戦って以来休戦中の朝鮮戦争が今また再開されることを恐れるあまり核ミサイルにしがみついて虚勢を張っているのを「愚かだ」と云うなら、アメリカの核の傘にしがみついて核兵器禁止条約に背を向けている日本も愚かだといわれてしまうのでは。
相手の国(北朝鮮)を「何をするか解らない(不可解な)国」だから「いつミサイルを発射してくるか解らない」といった不確かな不安にとらわれた(2月19日午前11時頃、郊外の農道をウオーキングで歩いていると突然、丘陵麓の集落の方から「ピンポンパン」という音が響きわたってスピーカーの声が「Jアラートのテストです」と3~4回繰り返した)そんな強迫観念ともいうべき脅威論に基づいてイージス・アショア配備などのミサイル防衛体制がとられている。しかし、そこで唯一確かなことは、日本がそうして日米同盟体制の下に米軍基地を置いている、それがかの国(北朝鮮)にとっては朝鮮戦争がアメリカによって再開されれば米軍が再び日本の基地から出撃してくることは必定、だからそれに備えなければならない(戦争再開・米軍の出撃をくい止めるには核ミサイルを持つしかない)と思っているのだろう、ということなのでは。
(7)戦争はどの国にとっても、相手国の側だけでなく自国の経済にも深刻な打撃となり、戦争だけは絶対起こさないことこそが共通の利益のはず。
日本は世界第3位の経済大国であり、アメリカ・中国をはじめ世界中の国々が大きな権益を有し、外国の政府や個人が日本に有する資産残高はトータルすれば何百兆(686兆9840億円)。こんな国に戦争を仕掛け、侵略したら世界経済は恐慌に陥り、仕掛けた側も経済的に大打撃を被る結果となることは必定で、国際社会が黙ってそれを許すわけはないのである。
グローバル経済で各国とも相互依存関係で成り立つようになった21世紀の今、国家間の大規模戦争も侵略も、もはやあり得ないということだ。
(8)ただ、極地的な紛争は残っていて小規模侵犯はあり得、それらに対してどんな国家も常に合理的判断を下すとは限らない。なので、国連などの集団的安全保障システムは必要であり、小規模侵犯に備える国ごとの領域警備体制も必要である。
領域警備(武装集団やテロリストなどの小規模侵犯対策)については、①現在の海上保安庁には巡視船「しきしま」「あつきしま」といった世界最大クラスで海上保安庁唯一の軍艦構造を有する巡視船もある。全長は150mもあり、海上自衛隊のイージス艦「こんごう」並の大きさで、航続距離は2万カイリ、35㎜連装機銃または40㎜単装機銃2機や20㎜機銃2機を装備し、ヘリコプター2機を搭載可能。②特殊警備隊(SST)が存在し、ドイツ製MP-5サブマシンガンや89式自動小銃も装備。これ以外にも海上保安庁には各管区に設置されている特別警備隊(89式自動小銃を装備)もある。警察にも8都道府県(北海道・東京・千葉・神奈川・愛知・大阪・福岡・沖縄)に設置されている特殊部隊(SAT)が存在し(ドイツ製MP-5サブマシンガン、89式自動小銃を装備)、全国の機動隊には銃器対策部隊(ドイツ製MP-5サブマシンガンを装備し一部隊で89式自動小銃も装備)が設置されている。
我が国には、既にこのように十分な装備のある海上保安庁と警察部隊が存在しているのである。(しかし、政府・与党からはそのような既存の「海上保安庁と警察の活用論」が出てこないのは、とにかく自衛隊を出したいからだとされる。)
いずれにしても、領域警備や国際的な犯罪組織に対する警察力以外に戦争のための軍事力などは必ずしも必要とはしない。特に日本の場合は。これらのことを考えると、我が国には軍隊など必要不可欠だとは思われないし、自衛隊の災害・防災派遣や領域警備など(それこそが自衛隊の「主たる任務」で)はあっても軍備や軍事などは不要なのでは、と思えるのだが、如何なものだろうか。
<参考―伊藤真・神原元・布施祐仁『9条の挑戦』大月書店>