米沢 長南の声なき声


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日本は軍事的自衛には不向き(修正版)
2019年10月14日

 日本の安全保障には軍事的方法と非軍事的方法のどちらが得策か。
 軍事(軍備・軍事的抑止力)による安全保障(防衛)―安全保障を軍事に頼るやり方―はたして得策なのか?それで日本の安全は保障されるのか? かえって危険なのではないか?
 軍事的合理性の観点だが、以下3点から考えてみたい。
(1)軍備―軍隊(「自衛隊」と称する軍事組織も)・軍事同盟(日米同盟)・軍事基地―は相手国を刺激し脅威を与え、相手国はそれらを攻撃の対象として設定するため、攻撃を受けやすくなり、かえって自国の安全を損なうことにも。
 こちらが軍備を保有・強化すれば相手国も負けじと保有・強化し、軍拡競争を誘発、互いに軍拡。「均衡抑止」(互いに攻撃を控える)という局面はあるとしても、それが破れた時、戦禍拡大し、甚大な被害を招く結果となる。
(2)軍備・軍事力が「抑止力になる」とはいっても、それは主観的なもので、抑止力が効いていると自分でそう思っているだけのことで、はたして本当に抑止力が効いているのかといえば、それはわからない(その軍事力を保有していることと、相手が攻撃してこないということとの間に因果関係を客観的に論証することはできない)わけであり、不確かなもの。(相手―例えば中国や北朝鮮―が「こちら(日本)を攻撃した場合、それで得られる利益よりも、こちら(日本)から報復攻撃を受けて被る打撃(損失)の方が大きい、と相手が理解している」とこちらが認識でき、「それにより相手はこちら(日本)を攻撃しないだろう」とこちらには思える、というだけのことで、いずれも主観的な要素によってしか成立しない筋合いのもの。)それに報復を恐れない自爆テロ、或は制裁圧力などによって追いつめられ自暴自棄となって「死なばもろとも」とばかり襲いかかる相手に対しては、抑止は効かない。
 その軍事力が「抑止力」(抑止効果)として成立するには、互いに相手の軍事力と意図(軍事戦略)に関する情報を的確に把握できて、その情報に基づいて理性的に判断できなければならないが、中国の軍事力は「統計が不正確で不透明だ」とか、北朝鮮の最高権力者は「何を考えているか分からない」などと云ってる限り、軍事力は抑止力にはなり得ない。
 (3)日本列島は地理的条件が防衛上は不利―列島が南北に細長く、東西の中央部は山岳地帯で、中国のように敵を内陸部に引き込んで消耗戦に持ち込むことはできない。それに海岸線が長く入り組んでいて、侵攻(接近・上陸)して来るのを待ち構えて直ちに(迎え撃って)撃退することは困難。人口や工業地帯・石油コンビナートなどの生産拠点や生活基盤(インフラ)が平野に集中―ひとたび敵軍から上陸されれば、人口が密集する市街地が戦場になる。それに沿岸部に53基もの原発が配置されており、ミサイルを(核弾頭を搭載していなくても)撃ち込まれれば、核ミサイルと同様の効果が生じる。島国なので、住民が国外に避難することは困難。食料・エネルギー資源や工業製品の原材料を海外からの輸入に頼っているこの国が、敵に海上交易路を遮断されたら、戦争継続は困難。

 要するに日本は軍事的自衛には向かない国だということ(先の戦争のときのように外地―朝鮮半島や中国大陸・東南アジア・太平洋―に打って出るならともかく、本土で迎え撃つ自衛戦―「専守防衛」―は無理なのだ。
 尤も「先の戦争のときのように」「攻撃は最大の防御なり」とばかりに海を越えて「打って出る」とはいっても、それでうまくいったかといえばさにあらず、それは無謀この上もないものだった。日本の過去の対外戦争は、朝鮮半島・満州を「日本の生命線」即ち防衛線として大陸へ撃って出、東南アジア・太平洋にも撃って出た。ところが、いずれも押し返されていったあげく結局「本土決戦」―「専守防衛」のやむなきに至った。それも「一億玉砕」とばかり徹底抗戦するどころか、ほとんど敵軍のなすがままに攻撃―空爆・艦砲射撃、そして原爆投下など―にさらされて都市・工業地帯は廃墟と化し、敵軍の地上部隊が本土上陸する前にあえなく降伏せざるを得なかったのだ)。
 日本は自国だけでの「自主防衛」には向かない。だからこそ、日米安保条約を堅持し、米軍に基地を提供して、そこから撃って出てもらう(自衛隊が「盾」となり、米軍が「矛」となって)というわけ?しかしそれはどうか?
 
 <参考―伊藤真・神原元・布施祐仁『9条の挑戦』大月書店>



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