米沢 長南の声なき声


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いじめ・仲直りの握手で終わらず―日韓問題
2019年09月11日

 9日NHK「ニュースウオッチ9」の中で「いじめ・仲直りの握手で終わらず」という話題が取り上げられていた。
 小学校で、先生が双方を呼んで、いじめた子に「そういうことをしたらダメだよ」と叱った後、直ぐに「これで仲直りね」と、促されるまま握手に応じてその場は収まった。ところが、いじめはそれで終わることなく、その後も続いた―と、今は20代になっているいじめられた方が証言していた。「そこで受けた言葉や暴力、先生からの言葉が全部ずっと頭の中にあって、これから先も一生消えることのないものだと思います」と。
 仲直りの握手をして収まったと思いきや、それで終わることなく、ずっと尾を引いていた、というのだ。
 「いじめ問題」などで、「いじめた」側はとかく「そんなことをした覚えはない」などと、無自覚であったり、「そんなに酷いことをしたとは思っていない」などと、さほど罪悪感をもたないが、「いじめられた」側は、その心の傷の痛みはいつまでも残って忘れ去ることはできない、といったことが多い。いわゆる「足を踏んだ側は、踏まれた側の痛みがわからない」ということで、加害者側は被害者側の痛み(精神的損害)に対して評価が甘くなりがちだが、被害者側は厳しい。
 また、とかく、いじめた加害側の当人はもとより、仲裁に立った先生や親同士が、早々に事を収めたいばかりに、とりあえず、いじめた本人に自覚・反省が不十分なまま「御免、御免、悪かった」といって謝らせておいて、「よし、これで仲直りだ。それじゃ握手」「あとは、これまでの(過去の)ことは、いつまでも引きずらず、水に流して忘れることにしよう」などと云って済ませてしまいがち。
 そういえば、このような「いじめ問題」めいたトラブルが国をまたがって起きている。1965年、日韓請求権協定を結んで握手を交わし、日本政府側は、韓国側にカネは出しても「これは『賠償金』ではなく、国への『協力金』或いは『支援金』だとして、これで清算・和解した」ということで、それで「完全かつ最終的に解決した」と思いこんでいたのに対して、韓国側ではその後、被害者(元徴用工や慰安婦)たちの間で「個人への謝罪と慰謝料なしでは済まされない」との訴えがもちあがって、訴訟を起こした元徴用工が相手取った日本企業に対して韓国最高裁が慰謝料の支払いを命じる判決を下すに至ったことによって、日本政府はそれに反発し、日韓の関係はここにきて極度にこじれる事態となっている。戦前・戦中の日韓の間のいわば「いじめ」問題は1965年の「仲直りの握手」で解決し終わってはいなかった、ということがはっきりしたわけだ。


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