米沢 長南の声なき声


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近現代日韓関係史(加筆修正版)
2019年09月01日

1868年、明治維新
1871年、日清修好条規―対等条約で互いに治外法権を認め合う
1872年、琉球王国を廃し琉球藩として日本の版図に組み入れる
1873年、征韓論(朝鮮政府が日本に対して鎖国政策をとって国交回復を拒絶したのに対して出兵・軍事行動を主張)、強まり、新政府、西郷・板垣らが征韓の方針を決定するも、大久保・岩倉らの反対で実行されず、征韓派は下野。
1874年、台湾出兵―近代日本初の海外派兵
1875年、江華島事件―仁川の付近の島に日本軍艦が接近、砲火を交え、上陸、砲台を破壊
1876年、日朝修好条規―江華島事件の責任を追及するとして、日本の使節(黒田清隆)が軍艦を引き連れて江華島に乗り込み、圧力を加えて締結―不平等条約―治外法権を認めさせ、朝鮮側には自主権がない一方的な関税自主権を認めさせる―日本の貨幣は朝鮮で自由に通用ようにし、日本の貿易輸出品については関税をかけない―日本が欧米によって強いられた不平等条約を、さらに上回る(不平等)
1894年、日清戦争―朝鮮で起きた農民反乱(東学党の乱)に乗ず―清国が朝鮮政府の要請に応じて出兵、それに対して日本も出兵(清国側の数倍の大軍)―朝鮮政府は東学党と和解して日清両軍に撤兵を求めるも、日本軍は、朝鮮政府に難問を突き付け朝鮮王宮を占領(朝鮮政府に清国軍を国境外に追い出すことを日本軍に委託させ、それに応じて清国軍を攻撃(開戦)―「宣戦の詔勅」には「清国が朝鮮を属国扱いしている・・・・日本は朝鮮
の独立のためにかうのだ」と―豊島沖の海戦→日本軍は清国領に侵入、東学党の農民軍が日本軍に抗戦(抗日闘争へ)―朝鮮政府と日本軍により弾圧
1895年4月、日本軍が勝利して日清講和条約(下関条約)―清国側が日本に巨額の賠償金を払い、台湾と遼東半島を割譲(遼東半島の方はロシアなどの三国干渉で放棄)
    10月、閔妃殺害事件―朝鮮国王(高宗)の妃(閔氏)、高宗の実父で摂政として実権を握ってきた大院君を失脚させ、ロシアに接近、親日派を追放して政権を握るも、日本軍が王宮を取り囲み、そこへ日本刀を振りかざした壮士らが侵入して殺害さる(朝鮮人同士の争い―「魯国党」対「日本党」―に偽装)、大院君が政権に復帰。
1897年、高宗が朝鮮王国を「大韓帝国」(韓国)と改称して皇帝を称す(清国や日本との対等を表現)
1904年、韓国、日露両国に対する中立宣言―日本はそれを無視。
  2月、旅順港のロシア艦隊を奇襲して日露戦争・開戦、仁川港からソウルに進入・占領、日韓議定書を強要―朝鮮半島での日本軍の軍事行動の自由を確保し、韓国の内政に介入できるようにする。
  5月、韓国全土を占領、韓国を保護国化(外交・軍事・財政権と経済利権を剥奪)―韓国は主権を喪失、事実上の植民地化。
  8月、第1次日韓協約―日本政府の推薦者を韓国政府の財政・外交の顧問に任命しなければならないことにし、韓国の外交の重要案件は日本政府と協議することを認めさせる。
   韓国の貨幣制度を日本の貨幣制度に従属させる。
   ソウル―釜山間、ソウル―新義州間鉄道を開通。
   日韓通信機関協定―韓国の郵便・電信・電話を委託経営の名の下に日本政府の管理下に。
1905年以降、反日武装闘争が朝鮮半島各地で(義兵闘争)。
  4月、韓国保護国化の方針―米英など列強から承認を取り付ける。
  9月、ポーツマス条約で日露戦争・終結―日本は韓国に対する保護権をロシアに認めさせる。
  11月、伊藤博文が特派大使として高宗(皇帝)に謁見し、保護条約案を変更の余地のない確定案として突きつけ「もし韓国がこれに応じなければ、いっそう困難な境遇に陥ることを覚悟されたい」と威嚇、韓国政府の会議に臨席し、条約案への賛否を問い、反対意思の表示が不徹底なものは賛成とみなし、賛成多数であるとして調印させる→第2次日韓協約―韓国の外交権をほぼ日本が接収―韓国は事実上日本の保護国に。漢城(現在のソウル)に日本政府代表機関(統監府)―伊藤博文が初代統監に。韓国政府の首班には李完用が就任
1907年、ハーグ密使事件―オランダのハーグでの万国平和会議に韓国皇帝が主権回復を提訴しようと使節を派遣するも、会議参加は拒絶される。
             皇帝(高宗)は伊藤統監と李完用首相によって譲位させられ退位。
   第3次日韓協約―統監府の統治権限を強化(内政権も掌握、中央・地方の要職に日本人官吏が任命)、韓国の軍隊解散。
   抗日・義兵闘争が半島全土に拡大―全国義兵連合軍が結成。
1909年、安重根(アン・ジュングン)が伊藤博文を暗殺。
1910年、日韓併合条約―寺内統監(日本の陸軍大臣)と李完用首相が調印、「大韓帝国」滅亡、朝鮮は日本帝国の一地方と見なされ、ソウルに朝鮮総督府―天皇直属で行政・立法・司法・軍事など全権力を行使―寺内が初代総督に。
    軍人である憲兵隊が警察署を指揮下に置く憲兵警察制度で「武断政治」(強権支配)。
1910~18年土地調査事業―多くの農民が書類の提出ができず、土地の所有権を失う。取り上げた土地は日本人に安く払い下げられ、農民の80%が小作人となる。
1911年、朝鮮教育令―朝鮮人の「皇民」化教育―教師が剣(サーベル)をぶら下げる。
1912年、朝鮮民事令・朝鮮刑事令
1919年、3.1独立運動―朝鮮全土で110万人参加―弾圧・虐殺(教会に閉じ込めて焼き殺すなど)・拷問で多数の犠牲者(死者7500人、負傷者1万6000人)。
 第3代総督・斉藤実―それまでの武断政治から「文化政治」に転換―憲兵警察制度は廃止されるも普通警察を増員・強化。治安維持法を朝鮮にも適用。
            日本人に協力する「親日派」を養成・利用(独立運動を分断)。
1923年、日本で関東大震災の混乱下、朝鮮人が暴動を起こすなどのデマが飛び、住民の「自警団」や軍・警察によって朝鮮人が数千人殺害される。
1937年、「皇国臣民の誓詞」制定―学校・会社・工場などで毎日唱和へ。
1938年、陸軍特別志願兵令
    朝鮮教育令改定―朝鮮語教育を廃止(日本語だけで教育)、
1939年、朝鮮総督府が労務動員計画を施行―朝鮮から労働者が日本へ渡るようになる(募集方式でも行政・警察当局により強力な勧誘)。
1940年、「創氏改名」(姓名を日本名に)
1940年、陸軍特別志願兵臨時採用施行規則で学徒出陣を定める。
1942年、「朝鮮人内地移入斡旋要綱」―官斡旋方式による徴用。
1943年、朝鮮に徴兵制を適用(日本軍兵士として徴兵)
     軍需会社法―軍需工場に指定された会社に勤めている朝鮮人労働者を(「募集」であれ「官斡旋」であれ)徴用された身分で働かせることに。
1944年、国民徴用令の適用(日本の工場や鉱山で徴用。動員は企業による募集、時には威嚇や物理的な暴力を伴った)、女子挺身隊勤務令
1945年8月、日本政府、連合国のポツダム宣言(「カイロ宣言」の「履行」うたう)を受諾。
     15日、日本の無条件降伏により朝鮮が解放―「光復節」として祝う。
   9月、米ソが朝鮮を南北分割占領。
1948年4月、南朝鮮だけで単独選挙
    8月、大韓民国を樹立(李承晩政権)、これに反対して済州島で武装蜂起、米軍と警察により鎮圧(数万人虐殺―4.3事件)。
   9月、北朝鮮に朝鮮民主主義人民共和国が樹立
1949~50年に、日本政府が、後(51年)のサンフランシスコ講和条約にむけた準備対策として作成した文書に、朝鮮など「これら地域はいずれも最も未開発な地域であって、各地域の経済的・社会的・文化的向上と近代化は専ら日本側の貢献によるもの」「日本のこれら地域の統治は(補助金や資金注入で)『持ち出し』になっていたといえる」と記す。
1950年、朝鮮戦争
1953年、休戦協定
1965年、朴(パク)チョンヒ大統領(旧日本軍の関東軍中尉だった人物、軍部独裁政権)と佐藤栄作首相との間で日韓基本条約・締結―日韓両国間の外交関係・樹立(国交正常化)。1910年の韓国併合条約(それが合法だったのか不法だったのか、交渉段階で日本側代表は「朝鮮36年間の統治は、いい部面もあった」「日本は朝鮮を支配したというけれども、我が国はいいことをしようとしたのだ」などと発言して争われたが決着つかず)は失効(「もはや無効である」)という表現で折り合った。(その対立が現在に至るまで尾を引いている)
  日韓請求権協定も→日本が韓国に「経済協力金」として5億ドル(内無償が3億ドル、有償が2億ドル)支払う。(日本政府はこれに基づき徴用工補償問題は「解決済み」としている―無償3億ドルに個人の補償問題の解決金も含まれると。)
1979年、朴大統領・暗殺
1980年、全(チョン)ドゥファン、クーデタで実権にぎって大統領に就任(軍部独裁政権)―キム・デジュンら有力政治家を逮捕・追放。
    光州事件―学生・市民が民主化を要求
1987年、韓国、民主化―金(キム)ヨンサム大統領
1991年、日本では参院予算委員会での「請求権」問題に関する質疑で、柳井外務省条約局長が次のように答弁―「日韓請求権・経済協力協定の2条1項におきましては、日韓両国及び両国民間の財産・請求権の問題が完全かつ最終的に解決したことを確認しておりまして、また第3項におきましては、いわゆる請求権放棄についても規定しているわけでございます。これらの規定は、両国民間の財産・請求権問題につきましては、日韓両国が国家として有している外交保護権(外国において自国民が身体や財産を侵害され損害をうけた場合に、国がその侵害を自国に対する侵害として相手国に対して国家責任を追及し外交的手続きを通して適切な救済を求める国際法上の権利)を相互に放棄したことを確認するものでございまして、いわゆる個人の財産・請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではないということは今までも御答弁申し上げたとおりでございます。これはいわゆる条約上の処理の問題でございます。また、日韓のみならず、ほかの国との関係におきましても同様の処理を条約上行ったということはご案内の通りでございます」と。
1991年3月26日、参院内閣委員会でのシベリア抑留者に関する質疑で、高島有終外務大臣官房審議官が、1956年の日ソ共同宣言で日本の国家自身が持つ請求権は「放棄」となっていても、国民個人(抑留者)からソ連またはソ連国民に対する請求権までも放棄したものではないと答弁。
   8月14日、「慰安婦」だった人物(金学順)が実名で体験を公表。
1992年、韓国で「慰安婦」問題解決のための「(毎週)水曜日行動」開始。
1993年、河野官房長官談話―日本軍「慰安婦」問題について、軍の強制を認め、「心からのお詫びと反省」を表明。
1995年8月15日(戦後50周年)、村山首相談話(閣議決定に基づく)で「国策を誤り」「植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と公式に植民地支配を認め、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明。同首相は「韓国併合条約」について、国会答弁で「対等平等の立場で結ばれた条約とは考えておりません」と。
    9月、元徴用工・韓国人の遺族11人、新日鉄(釜石)と日本政府に遺骨返還と損害賠償を求め東京地裁に提訴。
1997年9月、元徴用工訴訟、原告(遺族)が訴えを取り下げ和解(新日鉄が行った人道的な見地からの積極的な遺骨調査と慰霊のための協力の申し入れ等を高く評価)―慰霊祭のための費用として一人当たり計200万円支払われる。
   12月、元徴用工2人が戦時中そこで働いた新日本製鉄・現新日鉄住金に対して補償を求めて日本の裁判所(大阪地裁)に訴訟を起こした、その際の判決は「日韓請求権協定で個人請求権は消滅した」として敗訴。
1998年、金(キム)デジュン大統領・就任
 「日韓パートナー宣言」―キム・デジュン大統領が来日して小渕首相と―朝鮮半島の日本による植民地支配について、日本が「過去の一次期、韓国国民に対し、植民地支配により多大な損害と苦痛を与えた歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し痛切な反省とお詫び」を表明(日本の韓国に対する植民地支配への反省」という表明が、日韓両国の公式文書で初めて盛り込まれた)。
1999年、一韓国人・元徴用工の日本鋼管に対する訴訟が東京高裁(控訴審)で和解(解決金410万円)。
2000年、韓国人・元女子勤労挺身隊員ら8名の富山市の機械メーカー(当時は軍需工場)・不二越に対する訴訟が最高裁(上告審)で和解(解決金―8人と1団体に計3000万円)。
2003年、元徴用工訴訟(1997年12月提訴)の日本での裁判は最高裁で敗訴確定。
      廬(ノ)ムヒョン大統領
2005年、韓国国会「真実・和解のための過去整理基本法」可決―「日帝植民地支配と南韓の独裁政権における反民族行為と人権侵害・不法行為の真相糾明―被害の実態、責任の所在などの解明へ。
    韓国政府、1965年の日韓請求権協定で日本から得た経済協力金の3億ドルのなかに「強制動員被害の補償問題の解決」も含まれるとの見解を発表、元徴用工の補償は韓国政府が取り組むべき課題とした―自国の予算で元徴用工や遺族を支援へ、約22万6千人を被害者と認定し、約6200億ゥォン(約620億円)を支給。 
 しかし、こうした支援策に不満な元徴用工やその遺族は訴訟に向かった。
 1997~2007年日本の裁判所で敗訴した2人は、他の2人と同社・新日鉄住金を相手どって韓国の裁判所に提訴。韓国の裁判所は、1審(ソウル中央地裁)・2審(ソウル高裁)で、日本の裁判所が出した判決は韓国でも効力を持つと指摘。原告の主張を退けた。これは韓国政府の見解にも沿った判断だった。
2007年4月、中国人強制連行被害者が西松建設に対して起こした訴訟で日本の最高裁は、1972年の日中共同声明(その中で中国政府の外交保護権は放棄)によって個人が「裁判上訴求する権利は失った」としながらも、それは「個人の請求権を実体的に消滅させることまで意味するものではない」として、日本政府や企業による被害の回復に向けた自発的対応を促す判断を下す(西松建設は被害者に謝罪し、和解金を支払っている)。
2008年2月、李(イ)ミヨンバク大統領、就任。
   6月韓国政府「太平洋戦争前後国外強制動員犠牲者支援委員会」設立―犠牲者に「慰労金」(本人や遺族から申請のあった8万3829名を認定、死者・行け不明者に対しては一人約200万円支給)
2010年(日韓併合100年)、菅直人首相談話―村山談話を踏襲して、過去の植民地支配に対する「反省とお詫び」を表明。
2011年、韓国の憲法裁判所が、韓国政府が日本軍慰安婦と原爆被害者らの賠償請求権問題(1965年の日韓請求権協定と関連した紛争)を解決するために具体的な努力をつくさない(「不作為」)を違憲と判断。
2012年、 韓国大法院(最高裁)が元徴用工に個人請求権を認定(1997~2003年の「日本の判決は、植民地時代の強制動員そのものを違法とみなしている韓国の憲法の核心的価値と衝突する」と認定。当時の労働実態は「不法な植民地支配に直結した反人道的な不法行為」だと指摘し、請求権協定によって個人請求権は消滅したとは見なせないとして)、1審・2審破棄、控訴審に差し戻し。
2013年、ソウル高裁は差し戻し控訴審で新日鉄住金に原告の請求通り計4億ウォン(1人1億ウォン)の賠償を命じたが、新日鉄住金は不服として上告した。
2013年2月、朴(パク)クネ大統領、就任
2014年、韓国で「日帝強制動員被害者支援財団」設立。
2015年8月14日(戦後70年)、安倍首相談話―河野談話・村山談話・日韓パートナーシップ宣言・菅談話に比べて大きく後退―「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫び」の4つのキーワードは入っているものの、一般論か第三者的な表現で(「我が国が」「私は」という主語がなく)主体的な責任意識が示されていない―「日露戦争は、植民地支配にあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と美化。
   12月、日韓が慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認(合意)。
     31日「太平洋戦争前後国外強制動員犠牲者支援委員会」の活動終了(委員会解散)―08年設立以来22万件以上強制動員被害申告うち11万件に支援金(「慰労金」)支給。
2016年7月、韓国政府が「和解・癒し財団」設立―そこへ日本政府が10億円拠出(「賠償金」ではなく「支援金」として)―元慰安婦・遺族の多くは現金支給に応じたが、受け取りを拒否して日本政府に加害事実の認定と直接謝罪を求めた要求は満たされておらず。
   12月、釜山の日本総領事館前に市民団体が「少女像」設置。
2017年1月、日本政府が駐韓大使の一時帰国など対抗措置発表。
    5月、文(ムン)ジェイン大統領、就任 
   12月、韓国外相直属の検証チームが慰安婦問題の日韓合意は「不均衡な合意」と公表。
2018年10月、韓国大法院(最高裁)は、上告審で個人の請求権を認めた控訴審判決を支持し、新日鉄住金の上告を退けた。これにより、同社に1人当たり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じた判決が確定。
 韓国最高裁は、日韓請求権協定の交渉過程で日本政府は植民地支配の不法性を認めず、強制動員被害の法的賠償を根本的に否定したと指摘し、そのような状況では慰謝料請求権(未払い賃金や補償金ではなく、植民地支配と侵略戦争の遂行と結びついた日本企業の反人道的な不法行為・強制動員に対する慰謝料)は請求権協定の適用対象に含まれると見なすことはできないとした。
 これに対して日本側が反発。河野外相は「請求権協定に明らかに違反し、両国の法的基盤を根本から覆すものだ」と抗議。安倍首相は「判決は国際法に照らして、あり得ない判断だ」と批判。一方、韓国政府は「司法判断を尊重し、被害者たちの傷が早期に最大限治癒されるよう努力していく」とする政府声明文を発表。
2018年11月14日、日本の衆院外務委員会―日韓請求権協定(第2条)についての1991年参院予算委員会における柳井外務局長答弁(「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない」と答弁したこと)「これは間違いないか」との質問に対する河野外相の答弁―「(請求権協定によって)個人の請求権が消滅したと申し上げるわけではございません」と。(つまり個人の請求権は消滅していない。だとすれば元徴用工が新日鉄住金に賠償請求する実体的な根拠はあるということであり、請求権協定違反には当たらないということになる。)
 また、同質問者が、原告が求めているのは(財産的損害も精神的損害も全ての損害に対する賠償金ではなく反人道的な行為よる精神的苦痛に対する「謝罪」即ち「慰謝料」なのであって)朝鮮半島に対する不法な植民地支配と侵略戦争に直結した不法行為を前提とする強制動員への慰謝料だと指摘。日韓請求権協定の締結に際し韓国側から提出された8項目の「対日要求政綱」の中に「慰謝料請求権は入っているのか」とただし、92年3月の衆院予算委員会で柳井条約局長が「慰謝料等の請求に」は「いわゆる財産的権利というものに該当しない」と言明していたと指摘。日韓請求権協定で個人の慰謝料請求権は消滅していないということではないか」とただした。また、日韓協定と同年に制定された「大韓民国等の財産権に関する措置法」で韓国民の権利等を消滅させる措置をとったことに関連して柳井氏は、「(日韓請求権協定上)『財産、権利及び利益』について、一定のものを消滅させる措置を取ったわけでございますが、そのようなものの中にいわゆる慰謝料請求権というものが入っていたとは記憶しておりません」とも述べており、「個人の請求権は請求権協定の対象に含まれていないことは明らかではないか」との質問に対し、三上国際法局長は「柳井局長の答弁を否定するつもりはまったくない」「権利自体は消滅していない」と認めた。
 これらの質問によって①1965年の日韓請求権協定で個人の請求権は消滅していないこと、②韓国の「対日要求政綱・8項目」に対応する請求権協定には個人の慰謝料請求権は含まれておらず、慰謝料請求権まで同協定によって消滅したとはいえないこと、③日本国内で韓国国民の財産権を消滅させた措置法も、慰謝料請求権を対象とせず、措置法によって慰謝料請求権は消滅していないことが確認。
 同質問者が、河野外相に「日韓基本条約及び日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府が植民地支配の不当性を認めた事実はあるか」とただしたのに対しては、外相は「ないと思います」と答弁。(ということは韓国最高裁が指摘した「植民地支配と侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為・強制動員に対する慰謝料請求権は請求権協定の適用対象には含まれると見なすことはできない」としたことに反論はできないことになる。なぜなら、慰謝料は生命・自由・名誉などを侵された時、その精神的損害(苦痛)に対して(それを金銭的に評価して)支払われる賠償であり、謝罪を前提として支払われるべきものであって、何ら誠意ある謝罪の意志もなく、いわば「こっち(日本政府)は何も悪くないが、そっち(韓国政府)がカネを求めているから、それを『経済協力金』として『供与』した」などと、政府間ではチャラに済まされるとしても、当の被害者にとっては、それで済まされてはかなわない、となるだろうからだ。)
2018年11月21日、慰安婦問題「財団」解散、発表
2019年1月、日本政府が韓国政府に対して請求権協定に基づく2国間協議を要請―韓国側は応じず。
   5月、日本政府が韓国政府に対して請求権協定に基づく仲裁委員会(委員―日韓から各1名、第3国から1名」)の設置を要請―韓国側に委員の任命を求めるも応じず。
   6月、日本政府が韓国政府に仲裁委員会の委員3名とも第三国に選定を委ねることを通告も、韓国側は応じず― 日本政府は国際司法裁判所に提訴、検討へ 。
     (韓国政府関係者は、仲裁委員会設置に慎重になっている理由について「その手続きに入れば、植民地支配は不法だったと主張する韓国と、それは国際法上合法だったとする日本の立場がぶつかり合い、両国関係は双方の国民感情を巻き込んで制御不能になるとの認識がある」と説明)
      韓国側が「日本と韓国の企業が資金を出し合い、原告らに賠償金に相当する額を払う」という案を発表―日本側は拒否。
   7月、日本政府が韓国への半導体材料の輸出規制を決定。
   8月2日、日本政府が韓国に対して安全保障上の輸出管理で優遇対象国から除外を決定。
    22日、韓国政府が日韓軍事情報協定の破棄を決定。23日、大統領府の国家安保室第2次長が記者会見・その決定に至った経過説明の中で、「われわれとしては心から偏見なしで日本と強制徴用問題を外交的に解決するために、すべての方策について肯定的に検討する用意があり、そのような立場を日本側に伝えてきた。しかし、これに対する日本の対応は単なる『拒否』を超えた私たちの『国家的自尊心』まで毀損するほどの無視で一貫しており、『外交的欠礼』を犯した」と。
    毎日新聞(8月27日)―河野外相の記者会見の記事で、前年10月の韓国最高裁が原告の元徴用工に対して日本企業に賠償を命じた判決に対し、「日本側が韓国政府に賠償の肩代わりなど判決の無効化を要求。韓国政府は日韓企業が元徴用工に金銭を支払う案を提示したが、日本側は『協定違反の是正にならない』として拒否した」と報道。


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