米沢 長南の声なき声


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サザン・オールスターズの歌「ピース&ハイライト」―日韓関係(再々加筆版)
2019年08月14日

(今また、これを歌っている。一人、田んぼ道をウオーキングしながら)
♪ 何げなく見たニュースで お隣の人が怒ってた
 いままでどんなに話しても それぞれの主張は変わらない 
 教科書は現代史を やる前に時間切れ 
 そこが一番知りたいのに なんでそうなっちゃうの  
 希望の苗を植えてこうよ 地上に愛を育てようよ
 未来に平和の花咲くまでは Blue(憂欝)
 絵空事かな お伽噺かな 互いの幸せ 願うことなど

 歴史を照らし合わせて 助け合えたらいいじゃない
 固いこぶし振り上げても 心開かない
 都合のいい解釈で 争いをしかけ
 裸の王様が牛耳る世は Insane(狂気)
 20世紀で懲りたはずでしょう くすぶる火種が燃え上がるだけ

 いろんな事情があるけどさ 知りたいの 互いのいいところ
 希望の苗を植えてこうよ 地上に愛を育てようよ
 この素晴らしいふる里(地球)に 生まれ
 悲しい過去も 愚かな行為も 人は何故に 忘れてしまう
 愛することを ためらわないで ♪

日韓関係の悪化徴用工問題
 発端―2018年10月、韓国の大法院(最高裁)が日本企業(日本製鉄と三菱重工業)に対し、戦時中に朝鮮半島から日本の工場や鉱山に動員された元徴用工らに慰謝料の支払いを命じる判決。
 日本政府は即座に抗議、「元徴用工の補償問題は1965年の日韓請求権協定で『完全かつ最終的に解決済み』と。
 安倍首相は「国家間の約束を守るかどうかという信頼の問題だ。日韓請求権協定に違反する行為を韓国が一方的に行い、国際条約を破っている」と(8月6日、広島での記者会見)。
 国際法が司法を拘束するのは常識だ(日本政府高官)。
 1910年の韓国併合条約は国際法上合法的なもので正当なものだ。
 日本のメディアは韓国大法院判決を、「朝日」が「(日韓の)関係の根幹を揺るがしかねない判決」、「毎日」が「日韓基本条約を覆すような判決」、読売が「(両国関係の)基盤を損ねる不当な判決」と3大紙そろって批判。NHKは安倍首相や河野外相の「日韓請求権協定に違反し、約束を破った韓国」という言い分をそのまま流し、多くの人々に「悪いのは韓国」という印象が振りまかれている。

 それに対して韓国側の言い分(韓国大統領府のウエブサイト投稿)
「請求権協定は、韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を解決するための政治的合意であり、強制動員被害者の個人の損害賠償請求権は生きている」「反人道的不法行為に対する被害者の慰謝料請求権は生きている」。
 「徴用自体の不法性(日本の国家権力が関与した反人道的で、植民地支配と直結した不法行為)に伴う損害賠償請求権は協定によって消滅していない(協定の適用対象に含まれたとはみなしがたい)」
 「08年に施行された韓国政府による強制動員被害者支援金は、人道的レベルの慰労金であり、『日本企業の不法行為に関する損害賠償責任』とは無関係だ」と。
 韓国併合条約は形式的に合法的な装いをしているが、実態は力による一方的な併合であり、不当な植民地支配であった。
 三権分立で政府は司法判断に介入できない。大法院の判断は尊重しなければならない。
 というのが韓国政府の言い分。

●諸見解
<評論家・田原総一郎氏の見解>
 「日本政府はなにかと1965年の日韓基本条約を持ち出すが、当時、韓国は国力が弱く貧しく、日本に頼らざるを得なかった。(韓国が世界に通用する自信を持ったのは金大中以後でまだ20年も経っていない。)」
 「日本の方が、もしかすると感情的にエスカレートしている風に僕には見える。」
 「テレビは韓国をけしからんと言った方が視聴率が取れるんだったら、そっちの方に流れる。それが国民の感情をあおっている。」
 「日本では中学でも高校でも大学でも、近代史というものをまともに教えていない。たとえば、以前、韓国の学生と日本の学生が討論会をやった時に、韓国の学生は『一番嫌いな人物は伊藤博文だ』というのに対し、日本の学生は『千円札のおじさん』という知識しかない。」

<元日本弁護士連合会会長・宇都宮健児氏の見解>
 国民主権の民主主義国家においては立法・行政・司法の三権は分立。その下での司法の中心的役割は、国民・市民の基本的人権を守るという立場から、立法・行政をチェックするところにある。元徴用工の人権を守るため韓国大法院が仮に韓国政府の立場と異なる判断をしたとしても、民主主義社会における司法のあり方として全然おかしいことではない。
 元徴用工等の個人の損害賠償請求権を国家間の協定によって消滅させることができないことは、今や国際人権法上の常識となっている。
 これまで日本政府や日本の最高裁においても、日韓請求権協定によっても実体的な
個人の損害賠償請求権は消滅していないと解釈されてきたもの。
 安倍首相の日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決した」という国会答弁が、元徴用工個人の賠償請求権は完全に消滅したという意味であれば、日本政府のこれまでの見解や日本の最高裁判所の判決への理解を欠いた答弁であり、完全に誤っているといねばならない。
 新日鉄住金を訴えた元徴用工は、賃金が支払われずに、感電死する危険があるなかで溶鉱炉にコークスを投入するなどの過酷で危険な労働を強いられてきた。提供される食料もわずかで粗末なものであり、外出も許されず、逃亡を企てたとして体罰を科せられるなど、極めて劣悪な環境に置かれていた。これは強制労働(ILO第9号条約)や奴隷制(1926年奴隷条約)に当たるものであり、重大な人権侵害。
 徴用工訴訟は、その人権侵害を受けた被害者が救済を求めて提訴した事案であり、社会的にも解決が求められている事案。
 徴用工問題の本質が人権侵害問題である以上、なによりも、被害者個人の被害が回復されなければならない。そのためには、新日鉄住金など日本企業が韓国大法院判決を受け容れるとともに、自発的に人権侵害の事実と責任を認め、その証として謝罪と賠償を含めて被害者及び社会が受け入れることができるような行動をとることが必要。
 日本政府は新日鉄住金をはじめとする日本企業の任意かつ自発的な解決に向けての取り組みに対して、日韓請求権協定を持ち出してそれを抑さえるのではなく、むしろ自らの責任をも自覚した上で、徴用工問題の真の解決に向けた取り組みを支援すべき。
 1965年の日韓請求権協定の完全最終解決条項の内容と範囲に関する両国政府の一貫性がない解釈・対応が、被害者らへの正当な権利救済を妨げ、被害者の不信感を助長してきた。このような事態を解消するために、日韓基本条約等の締結過程に関する関係文書を完全に公開して認識を共有し、実現可能な解決案の策定を目指すべきであり、韓国政府と同様に、日本政府も自発的に関係文書を全面的に公開すべきことが重要。
 日韓両国政府は、相互に非難しあうのではなく、何よりも人権侵害を受けた元徴用工の被害回復の一点で協力すべきである。

<元外務省国際情報局長・孫崎亨氏の見解>
 日韓基本条約は、植民地化など日本の戦前の行動に対する反省も、謝罪も、償いも、何もしないという前提でできている。
 ところが現在は、「慰安婦」への反省とお詫びを示した河野談話、北東アジアへの侵略に反省を示した村山談話があり、戦前における日本の行動を反省する姿勢が出ている。だから、65年の基本条約ですべて処理したというのは、韓国の人々の理解は得られず、外交に
臨む姿勢として正しくない。
 また当時は、経済的に大きな力の差があって日本と韓国で、韓国政府が日本の謝罪を求めずに経済援助を受けて手を打ったが、それでよかったということにはならないと言う意見が韓国内にはある。
 こうした状況で、解決のあるべき姿について真摯に話し合う姿勢を見せないから韓国の人たちは怒っている。
 日韓基本条約だけで日韓関係を処理できないという認識をもち、新たな関係を構築する姿勢で臨むこと。そして加害者には被害者の気持ちが理解できないとすれば、ひとまず被害者から問題解決の方向を出してもらい、そのうえで話し合うことも現実的な道ではないか。

<明治学院大学国際学部 阿部浩巳教授の見解>
 1965年、日韓基本条約・請求権協定―日本側は植民地支配については「当時は合法」と主張。韓国側は「当初から無効」と訴えたが、うやむやにされ、その後も、植民地支配が合法か不法かの問題は平行線のまま。
  90年代に日本軍「慰安婦」や徴用工の問題が浮上。
 2012年・18年、韓国の大法院(最高裁)判決は「慰安婦」・徴用工問題とも、根本に植民地支配の不法性があることを認める―日韓請求権協定の交渉過程で日本政府は植民地支配の不法性を認めなかったので、同協定で放棄した請求権には、植民地支配の不法性に基づく被害への慰謝料請求権は含まれていないと踏み込んだ判断。
 これに対して日本政府は引き続き植民地支配の不法性には触れず、日韓請求権協定で「解決済み」との立場に固執。(日韓請求権協定第2条は、両国とその国民の間の請求権問題は「完全かつ最終的に解決」したと定めているが、そのことをもって仮に将来、問題が生じても一切合切終わりという主張は、典型的な強者の論理で、いまの国際秩序のなかでは通用しない。)
 条約の解釈の仕方について国際司法裁判所は71年、人権問題に関するナミビア事件で「国際文書は、解釈の時点において支配的な法体系全体の枠内で解釈適用されなければならない」と勧告的意見を出している。それを日韓請求権協定に置き換えれば、現時点において支配的な法体系=こぼれ落ちてきた被害者の声を聞きとるという、国際法のあり方に照らして解釈しなくてはいけない、ということ。現在の国際法は個人の救済を求めているとされる。
 日韓両国の政府と最高裁は、日韓請求権協力協定で被害者個人の請求権は残っていると認めている。
 なぜ今になって韓国の被害者が声を上げているのか
 時代―それまでは世界や個々の国内は強者優先の社会で、被害者の声は押し潰された。韓国では軍事独裁体制で声を挙げられない状況が長く続いた。 
 ところが1980~90年代、人権を中心に据えた公正な社会を求める考え方が広がり、歴史や法律研究も強者優先(英雄中心・男性中心)を反省。社会からこぼれ落ちてきた声が「人権」をキーワードに拾いあげられていくようになり、韓国でも80年代後半、民主化して、ものを言える土壌で高齢化した被害者がやっと声をあげられるようになったからだろう。
 
 <2019年8月11日、「徴用工問題の解決を求める日韓弁護士や支援団体声明」では>
 そもそも徴用工・勤労挺身隊被害者(原告)は、意に反して日本に動員され、被告企業の工場等で賃金も支払われず過酷な労働を強いられた人権侵害の被害者。この被害者に対して日本企業も日韓両国政府もこれまで救済の手を差し伸べてこなかった。
 被害者・原告が日本で最初に裁判を始めてから20年以上を経て、韓国大法院・判決で自らの権利の主張が認められた。
 韓国大法院は、日韓請求権協定を否定したわけではなく、その協定が維持され守られている前提で、その法解釈を行ったのであって、
 昨年(18年)11月14日、衆院外務委員会で、河野外務大臣は、個人の賠償請求権は消滅していないことを認めている。
 法の支配と三権分立の国では、政治分野での救済が得られない少数者の個人の人権を守る役割を期待されているのが司法権の担い手である裁判所であり、最終的にはその司法判断が尊重されなければならない。
 何よりも問題なのは、人権侵害を行った日本企業や、それに関与した日本政府が、自らの加害責任を棚に上げて韓国大法院判決を非難していることである。
 当事者間(被害者と日本企業との間)で、(自主的に)問題解決の協議・和解の必要性―
両政府はそれを尊重し、実現に協力すべき、と。
 
<弁護士・川上 詩朗氏の見解>
 そもそも、徴用工問題は、朝鮮半島から意に反して動員され日本企業で賃金も支払われず過酷な労働を強いられた人権侵害被害者に対する謝罪と補償の問題。人権侵害である以上、国家間でいかなる合意をしようとも、被害者の納得を得るものでなければ最終的な解決にはならない。
 問題の根本には朝鮮半島に対する植民地支配の不法性の問題がある(韓国の大法院判決もそれを大きく問うている)が、仮にその(植民地支配の)不法性を確認しなくとも、強制労働の違法性は確認することができる。被害者の救済を最優先に、植民地支配の不法性とは切り離して、解決を協議することはできる。
 被害者らは何度も企業との協議を求めてきた。
 中国人の強制動員被害に対しては、日本企業(西松建設や三菱マテリアル)は資金を拠出して基金・財団を作り、協定文書に、被害の事実と人権侵害を認め、謝罪を盛り込んだ。
 日本政府は韓国人徴用工に対しても、当事者・日本企業が財団による解決を図ろうとすることに対して協力し支援することが望ましく、少なくとも、日本企業の解決に向けた動きを妨害しないことだ。また韓国政府の協力もあってしかるべき。日韓請求権協定で曖昧な決着し、被害者を放置してきたことへの政治的な責任があるのだから、と。

<放送作家の石井彰氏>
 日韓基本条約・請求権協定について―韓国が朴(パク・チョンヒ)大統領という事実上の軍事独裁政権下にあった時代に結ばれた条約は、選挙によって民主的に選ばれた政権になっても未来永劫に有効なのか、また国際条約は国内法より無条件に優先するという考え方も疑問だ、と。

<19年20日、日本弁護士連合会主催の国際シンポジウム「戦争及び植民地支配下の人権侵害の回復と平和構築に向けて」> 
 国際法は強国の支配を正当化する役割を果たしてきたが、現在は「人権」を中心に抑圧された側の声を反映する方向に発展しつつある。過去の植民地支配を国際法上も問題だとする機運も生まれ、植民地支配下での重大な人権侵害に対して旧植民地宗主国が被害者に謝罪し補償する事例が生まれている。「この流れを東アジアではっきり示したのが大法院判決だ。」日韓の最高裁が被害の実態を事実認定し、「反人道的であったことは間違いない。当時も強制労働・強制連行は国際法上禁止されていた」、まずは「植民地支配の合法性・違法性を問わず、きちんと損害賠償し、謝罪するという合意をすべきだ」。(阿部浩己明治学院大教授)
 「日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は一貫して植民地支配が不法で賠償責任に値すると認めていない」。そのため、被害者の慰謝料請求権が請求権協定の「範囲外」だとした大法院判決の判断が「出てくる余地」があった。(吉澤文寿新潟国際情報大教授)
 歴史問題の解決には加害者側が「加害の事実を認め謝罪する、謝罪の証しとして和解金を支給する、将来に再び過ちを繰り返さないために歴史教育として未来に伝え続ける。この三つの原則が必要だ。(内田雅敏弁護士)

<東北アジア歴史財団・韓日歴史問題研究所長 南 相九>
日本は95年の村山談話、98年の日韓パートナーシップ宣言、2010年の菅談話で、植民地支配を「不法」とは言わないまでも、「不当だった」としてきた。「不当だった」というのは韓国からするとまだ物足りないのだが、安倍首相にはその認識すらない。15年の戦後70年談話では、(「韓国併合条約」で朝鮮を植民地としたのは1910年であり)世界が帝国主義の時代だったので日本だけが間違ったわけではない(過ちが始まったのは1930年代からだ)と。
 日本政府は2015年12月、「慰安婦」被害という歴史の事実があり、被害者が心の傷を受けたと認め、「お詫びと反省の気持ち」を表明したが、その一方で、今後は謝罪する必要はない、もう忘れようという態度。謝罪や反省は一度で終わるものではなく、それをどう守っていくかが大切。
 安倍首相は、韓国がゴールポストを動かしたと言うが、1965年当時は国家と経済のフィールド、今は個人の人権が加わってフィールドが広くなっており、ゴールポストが動くのは当然。

● ♪ なにげなく見たニュースで お隣の人が怒ってた・・・・♪、
 隣国同士でいがみ合い―「反日」に対して「反中」「反韓」。
日本人の場合は、明治以後、福沢諭吉の「脱亜入欧論」(日本は欧米の文明を受け容れ、それを受け容れずに近代化が遅れているアジアを脱し欧米列強の仲間入りを目指すべしという主張)以来、知らず知らずのうちに刷り込まれてきたアジア諸国を一段下に見る優越意識が多かれ少なかれあって、相手が米欧なら黙ってるものを中国や韓国・北朝鮮となると目をむく、それがともすると互いに必要以上にいがみ合う動因になっているのでは<明治大学の山田明教授>。

 ♪ 教科書は現代史をやる前に時間切れ そこが一番知りたいのに・・・・
歴史を照らし合わせて 助け合えたらいいじゃない ♪―歴史認識の共有(共通認識)
 ドイツ・フランスの間では2006年から高校で共通教科書。
 ドイツ・ポーランドの間では共通教科書の構想はあるものの難航。
 バルカン諸国では歴史教材副読本で「両論併記」→それぞれの歴史認識を尊重し、相手の歴史認識と自国の歴史認識との違いや距離感を知り合う(というところにも意味がある)。
 日本と中国・韓国との間では、歴史認識の共有・共同歴史研究は容易ではない。日本国内でさえ個々の研究者(特に「新しい歴史教科書をつくる会」系の歴主修正主義の立場とそうでない立場)の対立があったりして。
 日韓の間では、2001年の日韓首脳会談に基づいて2002から2010年まで2回にわたって日韓双方の学者・専門家から成る共同研究委員会がもたれたが、なかなか噛みあわず、(委員の人選に政治的意図が介在し、教科書問題でぶつかるなど)進展がみられない。
<青山学院大の羽場久美子教授>「歴史教育には『解は一つではなく、複数の解の可能性』を考えさせることが大事で、「異なる歴史認識を容認する」姿勢が大事。「(生々しい歴史の加害者と被害者の歴史認識を共有するのは不可能に近く)未だ歴史の共同認識は得られずとも、共同の歴史教科書作りは可能である」と。
 しかし(それにしても)日本では、歴史教科書に現代史がどう書かれているか以前に、入試を控えて、授業が時間切れでそこがカットされてしまうか、どうせそこ(現代史)からは出題はないので駆け足で流して終わる、ということが問題なのだ。だから今の(経済・文化交流・安全保障など)社会生活に直結する一番肝心なところなのに、そこ(現代史)をろくに知らないままに、18歳になって選挙権が与えられて投票しなければならず、政府与党とそれに対する野党各党の(近隣外交など)外交政策の是非(適切か不適切か)の判断が迫られる。結局、よく解らないからやむなく棄権せざるを得ないか、ろくに解らないまま投票して不本意な結果を招いてしまうということにならざるを得ないということになる。
 つまり、18才高校生にも選挙権が認められるようになりはしたものの、それに相応しい(必要な)知識・情報リテラシイーを身に付ける主権者教育が十分行われていないことが問題なのだ。

 ♪ 悲しい過去も 愚かな行為も 人は何故に忘れてしまう ♪
  足を踏んだ方は(その愚かな行為を)忘れてしまうが、踏まれた方は(その悲しい過去を)忘れはしないのだろう。

♪ 希望の苗を植えてこうよ 地上に愛を育てようよ 未来に平和の花咲く・・・・♪
♪ 愛することをためらわないで ♪ 
 「愛する」ということは敵意を持たないということ。敵意があるかぎり平和はない。「敵意は相手に対する認識を歪め、誤った見方や判断をしてしまう」という。
 「愛する」ことによって「心情としての憎悪や苛立ちから解放されて、その相手に対して自らが責任を負っているということに気づかされる」と。

 


 
    



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