米沢 長南の声なき声


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改元で改憲―政治利用(加筆版)
2019年04月16日

 元号は、もともと古代中国に起源をもち、「君主が空間だけでなく時間まで支配する」という思想に基づき、統治権の正統性をアピールする政治的な道具として用いられたもの。それが日本にも取り入れられて、「大化」改新当時以来元号が付けられ始めたが、天皇一代とは限らず、災いや吉事があった時にも(リセット効果―人々の気分を一新する政治的効果を狙って)改元が行われた。中国では明・清の時代に皇帝一代に一元(一世一元の制)というふうに固定されるようになり、それが日本でも「明治」天皇の時からそうなった。
 現在の憲法になって、天皇主権が廃されて国民主権の民主主義(国民が国の主人公)の時代になっている今、そのような元号制(天皇即位から退位までの間を元号によって時代を画するやり方)を国民に押し付けるようなやり方には、国民は違和感を持たざるを得ず、望ましくはあるまい。
 その元号法は平成改元(1989年)に先立つ1979年に制定されたが、どのような元号に改元するかの決定は政府の裁量にゆだねられている。今回の「令和」決定は国文学者で国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏ら複数の専門家に候補名の考案を委嘱、その候補名(6案)から有識者懇談会(NHK会長・民放連会長・新聞協会長・経団連前会長・元最高裁長官・私大連合会長・作家の林真理子・ノーベル賞受賞者の山中教授ら9人)での検討、衆参両院正副議長の意見聴取、全閣僚会議での協議を経て最終的には「総理に一任され」安倍首相が決定
 そのような元号を我が国の伝統文化として価値付け、現代世界では類例のない我が国独自の年号として誇るべきものと受け取る向き(ナショナルプライド)もあり、しかも、「令和」という新元号の二文字は、今までのような典拠が中国の古典(漢籍)ではなく、初めて国書である万葉集から採ったものだからと言って独自性を強調する向きがある。
 しかし、その二文字「令和」は(万葉集でも「梅花の歌三十二首」の漢文で書かれた序文から採られた)漢字であり、中国文字であることには変りなく、万葉集(8世紀末)に先立つ6世紀(六朝時代)中国の詩文集『文選』にも見られるという。
 「令」という漢字には「戒める」という意味で、上から下へ指図する命令の令と、命令を聞く民がきちんと並ぶ様から「姿・形がよい」の二つの意味があるのだという。(「令和」元号を考案したとされる万葉研究者の中西氏は「令」の原義は善で、善いことを他人にさせようとすれば『命令』になるが、「整っている美しさ」のことで「令」に一番近い日本語は『うるわしい』という言葉に当たると。)又「和」という漢字は「穏やかで角が立たない、なごやか」という意味であるが、聖徳太子が制定したと言われる「十七条憲法」(これも論語や文選など中国の書籍から引用されて記さている)の第一条「和を以て貴しとなし、さからうることなきを宗とせよ」は、第三条の「詔を承りては必ず謹め、君をば天とす、民をば地とす」(天皇の命令にはしっかり従いなさい)という定めとセットをなしている。(中西氏は「国と国との間に和がある状態、それが平和。だから「令和」には平和への祈りも込められているのだ」と。)
 万葉集そのものは日本文学としての文化的価値はすばらしい(尤も品田悦一・東大教授によれば、安倍首相の談話では「天皇や皇族・貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が納められ」と述べているが、「貴族など一部上流層にとどまったというのが現在の研究では通説」となっており、身分の低い人が詠んだとされる東歌なども彼ら自身の言葉で詠んだとは考えにくいという。また大伴家持作の「海行かば」は、日中戦争当時、信時潔によって曲がつけられ軍国歌謡として利用された)。又漢字や中国伝来の古典の文化的価値も認めないわけにはいかない。しかし、そのような文化的価値はともかく、当方など庶民にとって元号は実用的価値が乏しく不便であるばかりか、「文化的価値があるから」と称して為政者がそれを用い国民に使わせることによって政治的に都合よく利用されはしても、庶民にとってはそんなに有用性があるとは思えない。 
 庶民にとっては、元号の年を西暦の年に換算しなければならず、そのほうが厄介だ。昭和の年には25を足して西暦何年とし、平成の年には88を足して(平成12年以後は12を引いて)西暦何年、令和の年には18を足して西暦何年というふうに、いちいち換算しなければならない。例えば「1947年生まれの人は、2020年には何歳になるか」と訊かれれば、すんなり数えられるものを、「昭和22年生まれの人は令和4年には何歳になるか」なんて訊かれたら、数えられやしない。(現行憲法施行など)「あれは今から何年前」というときに(「昭和22年の5月3日施行で今年は平成31年、5月からは令和元年だから」なんていわれても)元号年では計算がやっかい。
 それにもかかわらず、様々な証書や申込書・届け書の日付を「大正・昭和・平成・令和」の内のどれかを選んで○で囲んだうえで、何年何月何日と記入させるという元号にこだわったやり方で記入させられたり、当方の免許証などの有効期限が「平成34年」などと、ありもしない元号年が記載されていたりしている。こんな不合理が我が国ではまかり通っている、ということだ。
 中西教授は「元号は年数の数字の羅列を区分するもので、文化的な装置だ」とも述べているが、元号は、それによって時代を画し、改元によって時代を「一新する」ための道具立てにもなるということだろう。そして教授は、今の時代を明確なポリシーも目標もない「野放図な時代」だとして「令和」つまり「うるわしさ」とか「平和」とかを目標としてみては、との思いから、この元号が考案されたのだろうと述べ、次のように語っている。「終戦から約70年、日本人は自国の軍国化を何とか防ぎ、おかげで平和が保たれてきた。しかし今、難しい局面が立ち現れ、政治リーダーは苦労する立場にあるのだろうが、そこには決して越えてはいけない一線、軍国化をしてはいけないという一線があるのだ」と(安倍首相は、その一線をもう超えようとしているのではないか?―引用者)。その元号は「個人ではなく天が決めるもの」(天命―それは民主国家では「国民が決める」もの―引用者)で、首相その他の少数者だけで決めれば済むというものではない。ところが「今回、候補になった元号案を検討したのは、『懇談会』の識者9人と衆参両院の正副議長、閣僚。これでは、検討の機会が少なすぎる。多数が議論しなければいけない」と中西教授は語っている。
 安倍首相は新元号発表の後の記者会見で「一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲せることができる。そうした日本でありたい、との願いを込めた」と述べたが、そこには為政者である彼にとっては「令和」改元で「新時代」なるものを国民の前に用意(「新時代の到来」を演出)して見せ、人々に、「新時代」を期してそれぞれの夢や希望の花を咲かせるのだという気分を駆り立て、その気分に乗じて自らの野望(オリンピック開催等とともに改憲)を達成しようとする作為が織り込まれている、そう思えてならない。
 マスコミはマスコミで、それに迎合して特集を組み、テレビは首相談話の中継や録画以外に、ワイドニュースのスタジオに首相を招いて「歴史的決定を行ったこの方に来ていただきました」(NHK「ニュースウオッチ9」)とか、「令和何年まで国を引っ張りたいですか」(日テレ「news zero」)などとインタビューして長々と語らせている。このように、首相による改元フィーバーの政治利用に手を貸しているメディアの存在もあるわけだ。
 元号は天皇の即位から退位までの天皇自身の人生・ライフサイクルに関わって用いられるもので、庶民各人の人生・ライフサイクルとは全く異なる。庶民(それぞれの人生)にとっては、元号が変わったからといって、「希望の花が咲く新時代が訪れる」なんて、そんなことはあり得ず、人生(自分史)は自ら切り開くものであり、希望の花を咲かせるのは自らの努力の結果なのであって、その元号の時代が咲かせるわけではないのだ。当方などにとっては「令和」に改元されたからといって、それを期して何かやろうとか、新たな人生が始まるとか、そんなことはないわけであり、唯やるべきこと、やれることを精一杯やって人生を終わるだけのこと。
 我々庶民にとっては、戦争の惨禍の跡に現行憲法によって植えられた平和と民主主義の花をその手で育て咲かせることができるようになったのだが、改憲によってその花を散らすことのないように切望し、改元に乗じて策する改憲はあくまで阻止すべく不断の努力を続ける以外にはないのである。
 
 4月23日、改憲派国会議員らでつくる新憲法制定議員同盟が開いた「新しい憲法を制定する推進大会」に安倍首相がメッセージを送り、「令和元年という新しい時代のスタートラインに立って国の未来像について真正面から議論を行うべきときにきている」と。また自民党改憲推進本部長の下村元文科省も「令和の時代が始まる。このときこそ、国民と憲法改正のうねりをつくるときだ」と。そして会場で採択された決議には「令和の憲法大改正を切に願う」などと唱っている。

 「令和」新元号は5月1日新天皇即位当日の午前零時に施行される。カウントダウンが始まり、改元フィーバー。それが改憲フィーバーへ向けられるのかだ。


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