今の内閣、どう論評する?と訊かれて、とっさに「フェイク内閣(まやかし内閣)だ」「とはいっても、そんなことには寛大な向きが多いから、支持率は下がらない」と返した。後で「フェイク内閣」なんて言ってはみたものの、そんな呼び方あるのかなと、その文字でネット検索してみたら、やはりその用語が出ていて、そこに安倍政権に関する評も出ていた。その一つには「もはや#フェイク内閣という呼称がふさわしいまでに国会や会見で・・・・事実歪曲を繰り返す官邸」などの指摘が見られた。
朝日「声」欄の川柳には「よくもまあ不正不祥事あるもんだ」、それに「何しても許される国許す民」などと詠んだものもあった。同欄の『かたえくぼ』には「『計算違い』加計と統計―安倍首相」とも。
ことほど左様に、この政権には公文書やデータの改ざん・捏造・隠ぺい・偽装・ごまかし答弁が多く付きまとう。子供になら「嘘は泥棒の始まり」と諭し、当方が在職した学校では校長先生が「善悪に潔癖になろう」と生徒に訓辞していたものだが、国の政権に対しては、有権者の多くは何故か寛容。「何しても許される国許す国」となってしまっては、この国の子供・若者たちの心情も歪んだものになってしまうのではと、モラル・ハザード(倫理崩壊)に憂国の情を禁じえないのだが、如何なものだろうか。ようやく始まった通常国会本会議の代表質問に対する首相の答弁。「ああ言えば、こう言う」(相手の言うことに素直に答えず、理屈をつけて言い返したり、態度を曖昧にしてやり過ごす)というやり方。
政府が消費税増税の根拠としていた「賃金上昇」は「毎月勤労統計調査」の不正問題を受けて実質賃金は下方修正され、伸び率がマイナスになる可能性が明らかになっており、政府の言う「賃金上昇」は虚構だったではないか、と問われると、「毎月勤労統計の数字のみを示したことはない」として、労働組合の「連合」による調査をもち出して、「5年連続で今世紀に入って最高水準の賃上げが継続している」と答弁。
しかし、これは物価上昇を度外視した名目の賃上げ率であり、物価上昇分を差し引いた実質の賃上げ率では1%程度に過ぎず、むしろ今世紀最低のレベルとなっているのが事実。なのに「所得環境は改善しているとの判断に変更はありません」と答弁。
また実質賃金が落ち込んでいるとの質問に対し、首相は「国民みんなの稼ぎである総雇用者所得は実質でも名目でも増えている」とも答弁。しかし、総雇用者所得は毎月勤労統計の一人当りの現金給与総額に雇用者数をかけたもので、その勤労統計に不正があっては、それも成り立たないのでは。
そもそも総雇用者所得には大企業の正社員から非正社員、パトや日雇い労働者(非正規雇用は6割近い)、それに賃金労働者だけでなく会社の役員報酬、議員歳費まで含まれているのでは?そんな総雇用者所得が増えても1人当たりの所得が減っていれば、経済が拡大しても個人の所得は減っている可能性があるのであって、大事なのは一人あたりの給与所得が増えること。また給与が上がっても、それ以上に物価が上がれば購買力は下がるので、物価上昇率に相応した賃金(実質賃金)のアップが必要。実質賃金は安倍政権がスタートしてから一貫して下がっている。だから「戦後最長の景気回復」などといっても、庶民にはそんな生活実感は全くないわけである。2014年の消費税8%増税を契機に、家計調査の実質家計消費支出は年額25万円も落ち込んでいる。また一国全体の消費を捉えるGDP(国内総生産)ベースでみても実質家計消費支出(帰属家賃を除く)は落ち込んでいて、日本経済は深刻な消費不況に陥っている。こんな状況下で5兆円もの大増税を強行すればどうなるのか、と問われると、「GDPベースでは16年後半以降増加傾向で推移し持ち直している」と答弁。
しかし、そのGDP統計の数字は帰属家賃が除かれておらず、その家計最終消費支出には架空の消費である帰属家賃(持ち家の所有者が、家賃を払っていると想定して計算された家賃)が含まれていて、その分を除くなら実際の消費は3兆円減っているのが事実で、質問者は「フェイク答弁だ」と批判している。2月4日付け朝日新聞の「政治断簡」で佐藤武嗣・編集委員が「『統計でウソをつく法』を知る」と題して書いていた中で次のように指摘していた。
「首相は施政方針演説で、統計数字をいくつも登場させた。例えば、『新三本の矢』の成果として『児童扶養手当の増額、給付型奨学金の創設を進める中で、ひとり親家庭の大学進学率は24%から42%に上昇した』という。しかし、『全国ひとり親世帯等調査』データはあるも、その中で『進学率』データは見当たらない。また調査自体は約4千世帯対象だが、『進学率』算出元のサンプル数は260弱で、統計的意味が薄い『アンケート』だ。しかも調査時点では『給付型奨学金』は支給されていないし、『扶養手当増額』も調査の3か月前に始まったばかりで、これらが進学率を押し上げたとは言えない。統計もどきでデータをねじ曲げれば、どんな結果でもひねり出せる。都合のよい数字が独り歩きし、人を欺ける」(概略)と。政権が「何をしても許される国許す国」といえば、この国の民は権力者のフェイクに対して、そもそも寛容なのか、それとも騙されやすいのかだ。後者の方だとすると、それにはメディアを利用した政権による印象操作によるところが大なのでは。
メディア(新聞社や放送局)には、営利企業としての商業主義的側面と社会の公器としての「権力の監視役」という両面があるが、安倍政権の圧力と統制あるいは懐柔によって一部のメディア(読売・産経など)は「権力の監視役」という役割を捨て、自ら権力にすり寄り(各新聞や放送局の幹部や論説委員が安倍首相との会食や懇談を重ね)政権の広報機関・御用新聞に化し、「公共放送」のNHKは「国営放送」に化したかの感がある。
(国会論戦では首相は野党の厳しい追及にまともに答えられていないのに、NHKニュースでは質問と答弁のそれぞれ切り取った部分だけをつなげる報じ方で、あたかも首相が卒なく論破しているかのように見せるなど、政権の意向を忖度したかのようなニュース報道が際立つ。NHKの籾井前会長は「政府が右というものを左ということはできない」と発言したことがあったが、上田現会長は朝日新聞のインタビューで、公共放送と政権との距離は適切かどうか訊かれ、「それ(答え)は控えさせていただきたい」とのこと。このインタビューで上田会長は、元NHK記者が出版した著書で森友学園問題を報道する際に「おかしな介入」があったと指摘していることについて尋ねた質問にも「私の立場からは答えを控えさせていただきたい」。また「日曜討論」に際して録画した安倍首相へのインタビューで、辺野古基地建設に伴う埋め立て土砂投入に当たって安倍首相が「あそこのサンゴは移している(移植)」と事実と異なる発言をしたのをそのまま放送したことについて見解を尋ねられた質問に対しても「お答えは差し控えさせていただきたい」と、いずれも「ゼロメ回答」だったという―2月4日付け朝日)
『アベノメディアに抗う』という本がでているが、これらマスコミはまさに「アベノメディア」。こういったことがフェイク政権を許す原因となっているのではあるまいか。