米沢 長南の声なき声


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心情から発想(再加筆修正版)
2019年01月16日

 人々の知識・技術・言動・意見・選択や教育者・宗教者の教え、学者の言説・知識・理論や政治家の政策・法案など、それらの発想は各人の心情(思い・感情)から発するものと考えられる。つまり、まずは心情(思い)があって、それを実現するツール(手段)として言葉・知識・理論・技術・方策が知性によって考え出される。知性に優れた才智があれば心情(思い・願望・欲望)は達成しやすい(昨今では、才智はなくとも人工知能AIを利活用できるようになりつつある)。
 心情には、愛憎・好き嫌い・快苦・喜怒哀楽の感情・不安・恐怖心があり、願望・欲望もあり、好奇心・探究心・協力心・教育心(教え育てたい心)・公徳心・良心・正義感・慈愛(思いやり)・博愛心・義侠心・アイデンティテーに対する心情もあれば欲心・邪心(よこしまな心)・野心・野望・慢心・対抗心・闘争心・功名心・嫉妬心もある。それらの心情は物事を見・聴き・触れ・読み・知ることによって心に生じる。その場合、対象を生で見、聴き、触れ、実体験・見聞して認知する他に、人(親や教師など)から教え聞かせられたり、メディア(テレビ・ラジオ・新聞・書籍・インターネットなど)を通じて認知する。その点で教師やメディアの伝えようによって心情は大きく影響される。
 それらの心情は、その人の境遇(人間関係・生業など生活環境の中での生まれ育ち)から生成され、生まれ育った土地や時代・世代によって心情に差異・特異性があるものと考えられる。
 このブログの評論も、当方の境遇からくる心情から発想され(考え出され)ているのだろう。(当方のその境遇とは―祖父は戦前憲兵をしたことがあり、戦後は自分で考案した農機具の行商で貧しい借家暮らし。父は警察官で戦争末期には兵隊にもなって、その留守中母子は母の実家の防空壕に隠れたりして過ごし、乳飲み子の弟は栄養失調で死に、叔父2人は戦死したが、父は終戦で無事帰還し、警察官に復帰。あちこち転勤し、その度に子らは転校させられ、よそ者の悲哀も味わった。占領期間中は進駐軍の米兵が公会堂に来て聖書の話をしたり、ジープにパンパンガール(売春婦)を乗せて通り過ぎるのをよく目にした。夏休みともなれば祖父が出た庄内の家にリュックサックを背負って米もらいに行ったりもした。父は病気で早逝し、母子家庭ながら奨学金で大学まで進学できた。その時、祖父からは大学に入ったら「アカになるからやめろ」と云われたりしたが、実際、折からの「安保闘争」で連日デモ、教授も参加して授業は休講といった日々が幾度かあった。どうにか卒業し、私学の教員になり、社会科を担当した。その学校の「建学の精神」―創設者の言葉―は「古の教育は心情を重んじ、現今は一般に才智を重んず。才智より出でたる行為は軽薄なり、心情より出でたる行為は篤実なり。人間処世の要訣は身体知識と共に心情の積極的性質を存分に鍛錬するにあり。」というものだった。同校で教職に精一杯取り組んでどうにか定年まで勤めた―あらまし、このような境遇の下で暮らしたせいで、どちらかといえば競争や強者を嫌い、張り合うことを避け、弱い方を味方したがり、「ジャイアン(ガキ大将)とスネ夫(腰ぎんちゃく)」タイプを嫌い、権威・権力・差別・不正を嫌い、戦争を嫌う心情をもつようになったのでは?)

 マルクスとエンゲルの例―マルクスはユダヤ人弁護士のせがれ。大学の法学部に入学したものの、詩作も法学も挫折、哲学博士号は取得したが、教授職は断念。新聞記者になったが、折からの「木材窃盗取締法」制定で、それまで慣習で森に入って薪を拾い集めていた貧しき人々の群れを官憲が馬上からサーベルを振り上げて追い散らす有様を紙上で告発・批判、新聞は発禁となった。そこから経済・政治批判に踏み込むようになった。一方エンゲルスは父が紡績工場の経営者でその後継ぎの身でありながら、工員の扱いに反発し、一女子工員を愛した。マルクス・エンゲルス共に哲学者ヘーゲルの流れを汲むグループに属していたが、そこから袂を分かち、独自の路線に向かって意気投合した。二人は学者か資本家として体制側に身を置いて安住するよりも、アンフェアで不条理な社会の有様を見るに見かねて、その実態の解明と変革の運動に身を投じ、敢えて苦難の道を選んだのだ。妻は貴族の出だったが、赤貧に甘んじて夫を支えた。
 二人は志を同じくする他の仲間と共に活動するために加入した「正義者同盟」を「共産主義者同盟」と改称し、「万国の労働者、団結せよ!」と謳ってその綱領として世に出したのが「共産党宣言」であった。 この年ヨーロッパ各地で革命や政変が巻き起こったが、労働者が政権を樹立するには至らず、共産主義者同盟も間もなく解散した。その後は、マルクスは以前から国外追放で、エンゲルスも共に移住生活を余儀なくされ、政治活動は封じられ、哲学・経済学の研究と著作に専念。大著「資本論」に取り組み、マルクス亡き後はエンゲルスが引き継いで、それを完成させた。
 要するに所謂「科学的社会主義」も資本主義経済システムの本質を解明した『資本論』も、マルクスとエンゲルス二人の境遇からくる心情に発したものと考えられる。

 1928年、戦争を違法化した不戦条約の例―それは米国務長官ケロッグと仏外相ブリアンの合意で作られたが、それを発想したのはシカゴの一弁護士で、彼の「米国が戦争に巻き込まれないでほしい」「自分の子どもを戦地に送りたくない」という思い(心情)から発想されたものだといわれる(米国の国際法学者オーナ・ハサウェイが指摘―朝日1月10日付オピニオン欄)。
 
 日本国憲法の例―第二次世界大戦後、その制定に関わったマッカーサーや幣原喜十郎をはじめ、GHQ民生局のホイットニーやケーディスやベアテ・シロタら、それに鈴木安蔵ら憲法研究会の学者たち、帝国議会委員会の芦田均・鈴木義男ら議員、連合国極東委員会の各国代表、彼らの思い(心情)から新憲法が作られ、制定された。(マッカーサー回顧録によればマッカーサーを訪れた幣原首相は「新憲法を起草する際、戦争と戦力の維持を永久に放棄する条項を含めてはどうかと提案した。日本はそうすることによって、軍国主義と警察による恐怖政治の再発を防ぎ、同時に日本は将来、平和の道を進むつもりだということを、自由世界の最も懐疑的な連中にも納得させるだけの確かな証拠を示すことができる、というのが首相の説明だった。----私は腰がぬけるほど驚いた。----首相は----顔をくしゃくしゃにしながら、私の方を向いて『世界は私たちを非現実的な夢想家と笑いあざけるかもしれない。しかし百年後には私たちは予言者と呼ばれますよ』といった」という。)
 彼らの心情は、当時それを支持した大多数の国民(1946年5月27日付けの毎日新聞の世論調査では「象徴天皇制」支持85%、「戦争放棄条項」必要が70%)にも共有されていたものと思われる。
 当方は、当時は幼く、世の中が暗闇から青空に変ったぐらいの思いしかなかったが、長ずるに及んで学んだ憲法の前文・条文に共感し、最近、制定当時の人々と心情を共有している気になって、その気持ちで憲法を歌にして、日頃歌っているわけだ。

 安倍政権の改憲案、安保法制、消費税増税、アベノミクス、辺野古基地建設強行、原発再稼働等々の政策の例―これらは安倍首相をはじめとする自民党とそれを支持する財界・米国政府の思い(心情)から発想されている。とりわけ改憲は安倍首相の祖父岸信介の思いを引き継いでおり、その情念(執念)に発していると思われる。
 辺野古基地建設に対しては、沖縄県民(ウチナンチュー)の思い(琉球の島々が二度と標的にされ戦場にされることなく、平和な美らの海に戻ることをひたすら願う心情)あるも、ヤマトンチュー(本土)の政府には従わなければならず、ヤンキー(米軍)に守ってもらうしかないのだから辺野古も「やむを得ない」として賛成する向きもあるし、県民投票の結果はどうなるかだ。
 辺野古沿岸埋め立て基地建設の賛否を問う県民投票を求めて仲間と署名を集めて投票実施決定にこぎつけたものの、実施を拒否している市町の首長・議会に抗議して一人ハンストをぶっている(宜野湾市庁舎前テント内で断食、夜は寝袋で眠る)若者の心情(思い)と、それを無視し突っぱねている首長らの心情・思惑があるわけである。

 心情とは心に思っている「本音」でもあるが、欲心・野心・下心などそれをそのまま言葉や行動に表すと倫理や法に触れる違法・脱法行為となって人々の非難を被る恐れがある場合、それを才智(悪知恵)によって巧妙に理屈を付け、法解釈をねじ曲げて合理化・正当化するか、或は本音を隠して心にもない正論を振りまく―つまりフェイク(欺瞞・嘘・ごまかし)で繕う(安倍首相の言う「一点の曇りもない」とか「心に寄り添う」とか)。
 トランプ大統領の例でいえば、彼自身の心情(邪心?)から発するアメリカ・ファスト政策とともにフェイク手法がある。(ワシントン・ポスト紙の調査によれば)トランプ大統領の「うそ」(裏付ける事実のない)主張は、政権発足2年間で8,000回以上だとか。
 先日(1月7日)新聞に意見広告が大きく見開きで出ていた。油まみれと思われる一羽の海鳥の写真に「嘘つきは、戦争の始まり」との見出しで「『イラクが油田の油を海に流した』その証拠とされ、湾岸戦争本格化のきっかけとなった一枚の写真。しかしその真偽ははいまだ定かではない。・・・・・」と短文が付されていた。これを出した宝島社の広告意図をネットで調べてみると次のように記されていた。「気が付くと、世界中に嘘が蔓延しています。連日メディアを賑わせている隠蔽・陰謀・収賄・改ざん、それらはすべて、つまり嘘です。それを伝えるニュースでさえ、フェイクニュースが飛び交い、何が真実なのか見えにくい時代になってしまい、怒ることを忘れているように見えます。いま生きる人々に、嘘についてあらためて考えてほしい。そして嘘に立ち向かってほしい。そんな思いを込めて製作しました。」と。これは広告主(宝島社)の心情を表した文であるわけで、これにはつくづく共感。

 年配者と若者など世代間で心情的にギャップがあり、習熟し身に付けている知識・技術にもギャップがある(年配者は昭和の時代を生き、社会的経験を積んでいて新聞・放送から情報を得ているのに対して若者は平成しか知らないが、スマホを駆使してあらゆる情報をキャッチ・発信できる)。互いに「そんなことも知らないのか」「そんなこともできないのか」「ボーっと生きてんじゃないよ!」などといらだち、上から目線で教え込もうとしたり、突き離したりしがちである(いわゆる世代間対立)。そうならないように気を付けて、というよりかむしろ互いに刺激を得て新鮮な対話を楽しむ感覚で相互的寛容と自制心を持ち合い、聞く耳を持って対話・意見交換に努めなければならない。とりわけ普遍的な道徳や歴史認識・憲法理解などについては互いの心情の共通点・相違点を認め理解し合って、可能な限り(といっても当方と安倍首相などとではそれは不可能かもしれないが)共通理解に近づき共通意識を持てるようにしなければならないだろう。

 人それぞれ(特有)の心情(思い)があり、それに応じた(相異なる)考え(人生観・世界観・価値観・思想・信条・ポリシー・政策・意見)をもち、理屈(論理的正当性)を付けて主張する。そして対立・論争したりする。論争して打ち勝つ(相手を論駁する)には説得力(言説に相手を納得させる力)をもたなければならず、説得力を持つには言説に論理的正当性と実現可能性(確実性)を備えなければならない説得し相手を納得させるためには、先ず相手と会し、対話・論議をしなければならない。そして互いに相手の意見・主張の理非(正当性・確実性)を引き比べ、相互に調整(修正・譲歩)を重ねて合意に近づくように努めなければならないのだ。
 但し、各人の心情(思い)・意見・ポリシーがどうあろうと、一般に世の中で確定している事実認識・科学的知識・学問的真理・倫理・道徳・人権・法(憲法・国際法・法律・条例など)は社会の構成員(国際社会や国民・県民)全員に対して適用・拘束し尊重・順守されなければならず、それらに対して心情的に気にくわないからと言って無視したり、逆らったりすることはできないそれらに異論をもち、改変を求めるならば社会の構成員全員を納得させられるだけの説得力(論理的正当性と実現可能性)のある対案、或は異説を打ち出さなければならない
 安倍政権の改憲策動や諸政策・政治姿勢・諸問題への対応は、この点で如何なものだろうか。
 憲法問題では、集団的自衛権の行使容認の解釈改憲から自衛隊明記の明文改憲、それに立憲主義の踏みはずしも問題。
 沖縄の辺野古基地建設の問題では、埋め立ての沖縄県による承認撤回を、行政不服審査法を悪用して(防衛省の申し立てを国交大臣が審査するというやり方で)執行停止させたとか、辺野古基地建設に関して県民投票で賛否を問う沖縄県議会の決定に対して一部の市町が投開票事務処理を拒否していることにも問題がある。
 原発問題では未曾有の事故が起きたにもかかわらず、性懲りもなく原発にしがみついて再稼働。
 経済政策では、日本経済の実体と多くの国民の実感ともかけ離れた経済認識に基づくアベノにクスと消費税増税問題。
 外交政策では、過去における朝鮮半島の植民地支配と戦後その清算をめぐる歴史認識、ロシア・中国との領土問題をめぐる歴史認識でも相手国との隔たりがあり、友好協力関係が損なわれている。
 森友・加計問題では、国政の私物化に問題があり、それに伴う公文書の改竄・隠ぺい、虚偽答弁、その他の問題でもデータのねつ造、統計の偽装などモラル・ハザードの問題もある。

 安倍政権のこれらの政治・政策が成功することはないだろう。これらの政治は首相はじめ政権に関わる人たちの心情から発したものであり、そこに欲心・功名心・野心など邪心があるかぎり、いかに才智を弄しても、国民の大多数が納得し受け入れられるだけの十分な(論理的正当性・公正性と目的実現の確実性・信頼性を必要とする)説得力を持ち得ないからである。


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