米沢 長南の声なき声


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2018年11月03日

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長野市 松代地区   右側に連なる丘陵 その下に地下壕
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左下の説明板―「松代大本営地下壕は、舞鶴山(略)を中心として皆神山、象山に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は、十キロメートル余りに及んでいます。
 第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和十九年十一月十一日から翌二十年八月十五日の終戦の日まで、およそ九箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全行程の八割が完成しました。
 この建設には、当時の金額で一億円とも二億円とも言われる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。
なお・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 工事は、一日に二交替から三交替で進められました。食糧事情が悪く工法も旧式な人海作戦を強いられ、正確な数字はわかりませんが犠牲者もでたと言われています。
 戦後・・・・・・・・・・・・・・・・略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」                 
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                  何のために掘られたのだろうか
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                     「大本営」って何?
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              どんな人たちの手で掘られたのだろうか
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「松代 大本営 朝鮮人犠牲者追悼平和記念碑」と刻まれている


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