米沢 長南の声なき声


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日本の司法はどうなってるの?  
2018年10月16日

 日本の司法は「たてまえ」の上では、法に基づき適切に裁定し、社会における法秩序の守り手として「法の番人」とか「憲法の番人」と称される。
 また、社会正義の守り手として「厳正・公平・不偏不党」の立場を堅持。
 そして又「三権分立」の原則にたって、司法権の独立を堅持し、行政権力の横暴と憲法からの逸脱をくい止め、違法な行政をチェックすることに徹する。
 ということになっているが、実際はどうなっているのかだ。

裁判官―国歌公務員
     憲法には76条3項に「全ての裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と。
    判事(約2,000名 )、判事補(約1,000名)、簡易判事(約800名)
    最高裁判所の裁判官は15名、任期はなし(但し最長で定年70歳誕生日の前日まで)、国会に設置された弾劾裁判所で罷免判決を下されるか国民審査で×印が有効票数の過半数に達しないかぎり罷免されることはない。
    最高裁裁判官の任命は、長官だけは内閣が指名して天皇が任命し、それ以外は長官の意見を聞いたうえで、また総理大臣の判断を仰いだうえで内閣が任命(天皇が認証)。それらは閣議決定として行われる。
    戦後間もなく1947年には最高裁判所裁判官任命諮問委員会(衆参院議長・裁判官・検察官・弁護士・法学者・学識経験者など十数名の委員から成る)が設けられ、内閣による最高裁裁判官の任命と長官の指名に際しては、この委員会に諮問したうえで行わなければならなかったが、翌年には廃止された。「内閣の指名・任命権がそれに拘束されて、内閣の責任が曖昧になるから」との理由。70年代には再び委員会(「最高裁判所裁判官任命諮問審議会」等)を設ける法案が野党の社会党などによって提出されるも廃案。
    それ以外の裁判所の裁判官については最高裁が人事権を握っており、任命は内閣が行う形になっているが、それは最高裁が任命した11名の委員からなる下級裁判所裁判官指名諮問委員会が人選した名簿に基づいて行われる。任期はいずれも10年、再任あるも、3~5年で転勤(地方・家庭裁判所と高等裁判所の間で栄転・左遷)、昇進(出世)―判事補から判事、地方・家庭裁判所所長から高等裁判所長官へ等。出世競争も。とかく権力側の意に反した裁判官は左遷されがちだともいわれる。(ジャーナリストの岩瀬達哉氏は大飯原発と高浜原発の運転差し止め訴訟で前後して福井地裁の裁判長を務めた樋口判事と林判事について、前者(樋口裁判長)は差し止めを認めて、その後名古屋家裁に飛ばされ、その後任となった後者(林裁判長)は差し止め判決を取り消して再稼働を認め、その後、最高裁事務総局の「局付」課員に引き上げられたという、好対照の事例を指摘している。)

検察官(検事)―国家公務員
    警察との違い―事件についての捜査を行い、被疑者の身柄と証拠などを検察へ送るのが警察、その被疑者を裁判にかける(起訴する)か否かを判断する権限を持つのが検察。
    特捜検察(東京・大阪・名古屋の3地検特捜部)―重大な贈収賄事件や大型脱税事件・企業犯罪などに際しては、警察を通さず、検察官中心に検察庁職員により独自に捜査をおこなって立件(起訴へ)。 
    検察庁は法務省の機関に属するも独立性を持つ。
    検事総長は法務大臣の直接指示は受けず、法務事務次官より格上。
    法務省の最高幹部や幹部職員はほとんどが検事。
  
弁護人―原則として弁護士(民間人)から選任―私選弁護人は被疑者・被告人またはその親族など関係者が選任・依頼し、もしくは国選弁護人は国(裁判所)が選任・委嘱。費用は選任した者が負担。事に当たっては依頼人の利益を最優先して被疑者・被告人の支援・代弁。

 いずれも司法試験の合格者で国家資格をもつエリート(とはいってもペーパーテストでの成績優秀者で、しかも司法研修では「人間としての感性・市民感覚や常識を排除、それらに囚われてはならないと教えられ」、「常識に欠け、世間を知らない」と指摘する向きも。裁判官に一般市民も加える裁判員制度は、その改善策として始められたのだろう。但し、裁判員裁判は地裁の刑事裁判に限って認められ、その判決が控訴審で高裁から覆されることもあるわけだ。)
 いずれも「社会正義」をモットーとし、「法と正義の守り手」たることを意識。
 検察官と裁判官は、ともに「正義」(法秩序)の守り手意識が強く、特に検察官は「国法を犯し、国家・社会の秩序を乱す悪人」に対して厳しいあまり、「なんとしても犯人を挙げなければならぬ」と、犯人追求が厳しく、いったん被疑者と見込んだら「なんとしても犯人に仕立て上げ、裁判にかけて有罪にもちこまなければならない」と執着し、人権よりも国家・社会の秩序を優先し、「自白の強要」など行き過ぎた追求にはしりがち。それに対して弁護士は法律事務をビジネスとして行う民間人であり、法律相談に応じたり、裁判に際して被疑者・被告人の弁護し、人権を擁護する立場。
 検察が起訴するか否かの基準は―被疑者を裁判で有罪として立証できるだけの証拠があるかどうかだ。
 否認事件(被疑者が「やってない」と起訴内容を否認)の場合―検察官には「いや、やったはずだ」ということを立証できるだけの証拠が必要―そのためにありとあらゆる証拠捜し(証拠になるものを探り出す)。検察官には強大な国家権力を背景に広範に証拠を収集、証拠になるものは全て押さえてしまい、被疑者に対しては、検察官にとって都合の良いものだけを証拠開示、それ以外は見せない。
 被疑者が否認している限り、「証拠隠滅の恐れがあるから」として拘留し続ける。検察官の取り調べは弁護士など同席させずに密室で行う。録音・録画など可視化は一部の事件で義務化されるも、極く限られたもので、全体の刑事事件の3%程度。(国連の拷問禁止委員会で「日本の刑事司法は未だに中世さながらの状態に置かれている」と酷評されている。)
 それに対して被疑者は、検察の手持ち証拠は捜査段階では(弁護士を付けたとしても)ても、やれることは限られ、主にできることは、取り調べを受けた際に、自身の記憶に従った供述(自白)をし続けること以外にないわけである。検察はそれを記録、文章にして被疑者に読み聞かせ、間違いがなければ指印を押させ署名させる(自分が話したことと。違うところがあれば、訂正を申し出る。訂正に応じなければ署名・押印はしないこと)。署名・押印すれば、それが供述調書として「動かぬ証拠」とも見なされ、後で(裁判になってから)「それは間違いだった、本当はこうだった」と言い立てても、裁判官は聞いてくれない。
 また、自白もヘタにしゃべると自分に不利な結果になりかねない。それを避けるためには黙秘権を行使(しゃべらない)。
 それに対して検察官の方はなんとかしゃべらせようとして「こっちは証拠をつかんでるんだから」とか(証拠があるなら自白など要らないはずなのに)、「共犯者がそういってるんだから」とか(「それならば、その証拠とやらを見せてくれ」「共犯者が言ってるというなら、その調書を見せてくれ」「見せてくれない限り認めない」とば言えば済むのだが)、或は「家族や子どもが苦しめたくなかったら」とか「会社や仲間に迷惑かけたくなかったら」などと、脅迫的な方法や詐欺的な方法で自白を強要する。或は不当に長い抑留・拘禁を続けて、精神的に参らせて自白に追い込むなどの手法を弄する。(本人の意思に基づかない自白は無効ではあるが、そのためには「その自白は不本意に言わされたのであって自分の意思で話したことではない」ということを証明しなければならないことになる。)
 
 裁判官も検事と同様な「社会正義の守り手」意識を共有し、裁判官は検事の証言や証拠を重視―「検事の調書に間違いはない」とか「検察官は絶対有罪になりそうなものしか起訴しない」として検察を疑おうとはしない傾向。(現に日本では起訴されると99.9%有罪判決が下され、否認事件でも99.5%有罪になっている。)
 裁判官は「法服を着た役人」とか「裁判を行っている官僚」などと揶揄する向きもあり、「行政の裁量を広く認めて、国などが被告となる裁判では被告に有利な判断」をくだしがちだとも。
 
 検察(主に特捜検察)は政権の思惑によって(首相や大臣の直接関与がなくても、忖度して)政治的意図や世論の動向に沿って、目を付けたターゲットに対して嫌疑をかけ、正当な根拠を欠いたまま、「まず訴追ありき」で犯罪の筋書を描いて捜査(少しでも証拠になりそうな物件や証言を拾い集めて)有罪にもちこみ、陥れようとする、いわゆる「国策捜査」といったものもあるわけである。
 2006年、当時の福島県知事佐藤栄佐久氏が収賄の罪に問われて辞職に追い込まれた事件。 藤知事は、かねて国や東電の原発事業の推進・運営のやり方やプルサーマル計画に異を称えていたが、弟の会社の土地のゼネコンへの売却にともなう収賄容疑で逮捕・追及を受け、「収賄額0円」なのに有罪という不可解な判決をうけた。
 2009年、当時厚労省の雇用均等・児童家庭局長の村木厚子氏らが障害者団体向け郵便料金割引制度の悪用があったとして郵便法違反・虚偽有印公文書作成容疑に問われた。(このほうは逆に、検察側が強引な見込み捜査と脅迫的な取り調べのうえ証拠偽造で特捜部長らが逮捕・告発され、村木氏は無罪となった。)この間の村木氏勾留は164日にわたった。
 或いは逆に、(市民感覚や常識的には)誰から見ても疑わしく怪しいと思われる事案なのに証拠不十分・嫌疑不十分として済ませ不起訴に持ち込む、という場合もあるわけである。
 森友問題―国有地の格安売却と決裁文書改ざん等で財務省の佐川当時理財局長らを背任と虚偽公文書作成容疑で市民団体が告発したが、大阪地検特捜部は嫌疑不十分として不起訴にした。(神戸学院大学の上脇教授ら告発者側は不服申し立て、検察審議会に審議申し立てを行っている。)
 2016年 甘利当時経産大臣と秘書が建設会社から口利きの見返りに違法献金をうけ金銭授受があったことが週刊紙に報じられ、あっせん利得処罰法違反に問われるも不起訴。(上脇教授らが検察審査会に審査申し立てるも、「不起訴相当」、秘書は「一部不起訴不当」とされた。)

 我が国の司法の実態はいかなるものか、考えずにはいられまい。 
 
 <以上はネットで見られる関連項目の文から大橋正春氏(東啓綜合法律事務所・弁護士)・瀬木比呂志氏(元裁判官・明治大学法学科大学院教授)・木谷明氏(元法政大学院教授・弁護士)など言葉を拾い集めてまとめた。>



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