(1)財産所有については
共産主義というと、辞書などでは次のように説明されている。
広辞苑―「私有財産制の否定と共有財産制の実現によって貧富の差をなくそうとする思想・運動」
ブリタニカ国際百科事典―「私有財産制を廃止して全財産を社会全体の共有にしようとする思想」
山川出版・倫理用語集(1992年版)―「資本主義社会をこえ、生産手段の共有と生産力の高度化により、階級も搾取もない理想社会の実現をめざす思想。」
Wikipedia―「財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざす。その理念・共有化の範囲や形態、あるいは共産主義社会実現のための方法論などには古くから多数の議論があり、このため「共産主義」の定義は多数存在している。」
Wikibooks―「中学校社会 歴史」の「ロシア革命」のところで―共産主義とは「工場などの生産手段を、国などの公共機関が管理することで、地主や工場主などの資本家による労働者への不利なあつかいをふせごうとする経済に関する主義。生産手段を共有するので、『共産主義』という日本語訳なわけである。したがって工場主や社長などは、会社や設備を私有できなくなるので、共産主義は私有財産の否定の思想でもある。だが、ロシア革命などの歴史的な経緯から、社会主義と共産主義とが混同されることがある。社会主義と同様に、天皇制を打倒しようとする思想と混同された。」
以上のような説明がなされている。戦前・戦中の天皇制政府が治安維持法で共産党を禁止した理由は「国体を変革し又は私有財産制度を否認することを目的とする結社」だから、ということだった。
「共産主義は私有財産を取り上げる」という誤解はマルクスの時代からあり、日本でも戦前戦後を通じて、反共主義の側からくり返されてきたわけである。[次は、いずれもネットに出ている04年10月14日付け「しんぶん赤旗」の記事から]
広辞苑などの記述は、「素朴な共産思想(プラトンの『国家論』、トマス・モアの『ユートピア』などのことか?―引用者)には見られても、マルクス・エンゲルスが到達した考えや日本共産党の考えにはあてはまりません。」
マルクス・エンゲルスの共産主義社会における私有財産問題に対する考え―「変革によって社会化されるのは、生産手段だけで、生活手段を社会化する必要はない。生活手段については、私有財産として生産者自身のものとなる権利が保障される」と(『資本論』第1部)。
エンゲルスは(1867年の『資本論』刊行から間もない時期に、インタナショナル<国際労働者協会>に「労働者から財産を奪う」という攻撃が加えられたとき)、「(インタナショナルは)個々人に彼自身の労働の果実を保障する個人的な財産を廃止する意図はなく、反対にそれ(個人的財産)を確立しようと意図しているのである」と(反撃)(全集17、615ページ)。
現在の日本共産党は綱領で「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化」であり、「社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」としている。
要するに共産主義とは、私有財産制を廃止するものではなく、生産手段(機械・道具・生産施設・設備と原材料)に限って共有制にするもので、生活手段(家屋・屋敷・生活用具・趣味用品などの私的生活のための財産)は私有制が維持され保障されるということである。尚、資本主義の現段階
生産力の高度発展―
「第4次産業革命」―機械が自ら考えて動く自律化
↑
第3次 “ ―コンピュータ→自動化(指示を与えれば機械が勝手に作る)
↑
第2次 “ ―電力→大量生産
↑
第1次 “ ―蒸気機関→機械化
機械化・自律自動化(機械・AIロボットが肩代わり)―省力化(人手が少なくて済む)
(単なるロボットは予め決められプログラムされた動作しかできず、自己判断できないが、AI-=人工知能は自ら思考する能力をもち、自己判断でき、自発的に発展していく。)
きつい・汚い・危険な仕事や単調で退屈な仕事だけでなく、人間が「生きるための労働」をAIやロボットが肩代わりしてくれる(人手が要らなくなる)。
需要と供給やユーザー(使用者・顧客)の消費行動はビッグデータ解析によって未来予測(先読み)が可能に。(ビッグデータはAIが管理)
必要労働量の減少→労働時間が短縮―週5日労働(週休2日)から「週3日労働(週休4日)」とかへ
人手が余る―雇用が減り失業増える
労働コスト低下→賃金低下―職種によって格差―労働者(従業員)と資本家(株主・経営者)との所得格差それが、共産主義(生産手段―機械・ロボット・AIも―社会で共有)になると
(「知的財産」もネットワークによって人々がシェアし合うようになり、「個人」に帰属するということがなくなる。)
労働(仕事)が「生きるため、食うため、カネを得るため(嫌でも、しかたなく)」から「自分の生きがい、自己実現のため(好きで)」へ。
また労働が、自由時間に趣味やリクレーションを楽しむのと同様に、或は創造的価値を得る(創造の成果は社会に還元される)、それが「生きがい」となる。
生計費・必要経費は必要に応じて支給(生活に最低限必要な金額が一律に給付=ベーシック・インカムは実験的に導入している国はフィンランド・オランダ・カナダなど既にあり。)(2)現実的運動については
マルクスは『ドイツ・イデオロギー』で次のように書いているという(内田樹・石川康宏『若者よ マルクスを読もう』かもがわ出版)。
「共産主義は、われわれにとって、つくりだされるべき状態(であって―引用者)、現実がしたがわなければならない(であろう)理想ではない。われわれが共産主義とよぶのは、現在の状態を廃棄する現実的運動である。この運動の諸条件は、いま現存する前提から生じる。」
石川氏によれば、それは「つまり共産主義は、理想の国(ユートピア)の手前勝手な設計図から生まれるものではなく、資本主義がもつ問題を一つ一つ解決していったその先に、結果として形をさだめるものとなる。」「未来は、人間が社会に自由に押しつけることができるものではなく、いまある社会の内から生まれ出てくるものだというわけ」(そういう角度から、エンゲルスは自分たちの学説を『空想的社会主義』と区別される『科学的社会主義』だと特徴づけている、と)。
要するに、共産主義で生産手段を共有して行われる労働は、「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る(分配)」という段階から、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という、生産力が最高度に達して生産があり余るほど高まった発展段階が目指されるが、それは、単に理想として思い描くだけのものではなく、現存する資本主義がもつ問題を一つ一つ解決(変革)していったその先に実現する現実的運動なのだ、ということである。