米沢 長南の声なき声


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映画「マルクス・エンゲルス」を見て―改訂版
2018年07月21日

 福島の映画館で見てきた。監督はラウル・ペック(ハイチ生まれ)で、ドイツ・フランス・ベルギーの合作映画だ。
 女房から「わざわざ映画見さなのえがんたて、本で読めばええんでないの」といわれたが、難しい思想や学説よりも生き様の方に興味があった。
 映画は二人の若い時(マルクスが30歳、エンゲルスが28歳になるあたりまで)の生き様を描いたものだ。マルクスは(大学で哲学博士号をとっていたが)ジャーナリストになって、貴族出の妻と暮らしていた。エンゲルスは父が紡績工場の経営者でその後継ぎの身でありながら、工員の扱いに反発し、一女子工員を愛した。二人は共に哲学者ヘーゲルの流れを汲むグループに属していたが、反骨精神旺盛で彼らを批判して袂を分かち、独自の路線に向かって意気投合した。二人は学者か資本家として体制側に身を置いて安住するよりも、アンフェアで不条理な社会の有様を見るに見かねて、その実態の解明と変革の運動に身を投じ、敢えて苦難の道を選んだのだ。
 二人は志を同じくする他の仲間と共に活動するために加入した「正義者同盟」をズバリ「共産主義者同盟」と改称し、「万国の労働者、団結せよ!」と謳ってその綱領として世に出したのが「共産党宣言」であった。映画はそのあたりまでだが、友情と夫婦愛(内助)に支えられながら苦闘する若き革命家・思想家の生き様が描かれる。
 「共産党宣言」、この年(170年前)、ヨーロッパ各地で革命や政変が巻き起こったが、労働者が政権を樹立するには至らず、共産主義者同盟も間もなく解散した。その後は、マルクスは以前から国外追放で、エンゲルスも共に移住生活、どの国でも政治活動の自由はなく結社の自由もなかったので、「第1インターナショナル」などの国際組織は存在したものの、各国に共産党が結成されたのは彼ら亡き後(「共産党宣言」からおよそ70年後)のことだった。
 ただ、「資本論」の大著は、1巻はマルクス存命中に、2・3巻はエンゲルス存命中に完成した。
 二人が生きた時代は日本では西郷隆盛の時代と重なるが、二人は西郷よりも7~9年早く生まれ、西郷が(自刃して早く)亡くなった後も、ずうっと生きていたんだな。
 彼らのその生き様は、人生に何か「いいこと」を期待して栄達や安楽な生活を求めて生きるより、自らに使命を課されたとの信念から敢て苦難に挑み、「革命」のロマンに生きる、といった人生の生き方なのだろう。
 但し、二人が目指した革命は、西郷ら士族による士族のための「革命」とは全く異なり、働く民衆の、民衆による、民衆のための革命であった。
 劇映画なので、史実にフィクションが加えられて作られているが、美化されているわけではない。マルクスが就職しようと思い立って会社を訪ね、書類を書いたところ、その字の汚さで採用を断られるとか、原稿は妻から清書してもらっていたとか、現実的な人間味ある生き様が見て取れたように思う。


 


 


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