米沢 長南の声なき声


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森友問題その3(加筆版)
2018年04月09日

 4月6日付け朝日新聞(佐伯教授の「異論のススメ」)に「重要政策論の不在 残念―森友問題一色の国会」と題した論評があった。それは次のようなものだ。
 森友問題、それは「今日の日本を揺るがすそれほどの問題」ではないということ。この問題で「現時点で確かなことは、ただ財務省内部での改ざんの事実であり、官邸の関与はなかったと佐川氏が発言したことであり、森友問題は現在、検察が捜査中、ということだけである。」「(官邸の関与を示す)証拠がないから、野党は、財務省も官邸も『真相』を隠そうとしている、と主張する。多くのメディアもそれに同調、連日のテレビや新聞報道を通してそれが世論となる。(ひとたび世論となれば、国民は『真相解明』を求めているということになる。)」
 この問題で「野党や多くのメディアもまた多くの『識者』も、官僚行政が政治に歪められたことは民主主義の破壊だ、と言っている。だが、私には、現時点でいえば、この構造そのものが、(その時その時の不安定なイメージや情緒によって政治が右に左に揺れ動く)大衆化した民主政治そのものの姿にみえる。」
 「今日、国会で論じるべき重要テーマは(トランプ氏の保護主義への対応、アベノミクスの成果、朝鮮半島をめぐる問題・・・・TPP等々)いくらでもあるのに、そのことからわれわれの目がそらされてしまう」。「こうした問題について安倍首相は、ひとつの方向を打ち出して」いる。問題は、野党が、まったく対案を打ち出せない点にこそある。だから結果として『安倍一強』になっているのだ。」というわけである。
 はたしてそうか?

 そもそもこの問題は、財務省(理財局と近畿財務局)が森友学園に国有地払下げに際して(不当に―8億円値引きを合理化するために地中ゴミの撤去費用がその分かかったということにして、理財局の職員が学園側に「トラック何千台も使ってゴミを撤去したと言ってほしい」などとウソの説明するよう求める「口裏合わせ」を依頼したことが発覚)破格の安値で売却したこと(背任行為)と、それに関する文書記録を改竄したことで、それを誰が、誰の指示で、なぜ行ったのか、ということだ。
 誰が行なったか、直接実行したのはそれぞれの局内の担当者たちだが、それは誰の指示・関与の下に行われたのかについては、佐川氏は官邸の関与はなかったと証言し(但し根拠は示さず)、自らの関与は証言拒否(したがって現時点では官邸が関与した証拠はない、というわけだ)。ならば、担当した局長以下の職員たちは何故それらの犯罪行為を敢えて(リスクを冒してまで)行ったのか、官邸からの指示・働きかけはないとすれば、忖度(学園への格安払下げについては首相の夫人に関わる私的事情を忖度、文書改竄については政権擁護)か、それとも彼ら局内の局長か部下の職員たち誰かが個人的な利益(リベートなどの報酬ー賄賂)を得るためか、いずれにしても犯行の動機がなければならない。これら3つ(①官邸の指示、②首相らの意向を忖度、③職員の個人的な利益)のうち、どれなのか、検察の捜査結果も待たなければならないが、③の可能性は低いだろう(犯罪行為を冒してまで得られるメリットなどあり得ないから。保身のためならば、公務員ならむしろ公正・法令順守にこだわるはず)。①については証拠がなければ、首相ら官邸に対する法的責任が問われることはないが、②(首相らへの忖度)があれば首相らには道義的責任は問われる(直接かかわったのは部下の職員たちではあっても、その違法行為を犯した動機が「忖度」にあったとすれば、忖度された者<首相や大臣>に責任が及ぶのは当然だろう。「そんなのは、勝手に忖度したやつが悪い」では済まされまい。首相や大臣に対する官僚・職員の忖度は「忠義だて」。職員に自殺者も一人だしている。そこには官邸の指示・関与を示す物的な証拠があろうとなかろうと、状況証拠<忖度や間接的関与>が認められるならば、法的罪には問われなくても道義的責任は免れない。)それに、この間1年以上にもわたって、野党の「執拗」な追及と「重要政策の不在」を招いてきた、その政治的責任もある(追及する野党の方が悪いかのように言うのはおかしいだろう)。いずれにしても内閣退陣は免れまい。なぜなら、彼らが政権の座に就いていなければ、そんなことは起きなかったはずであり、退陣せずにそのままでいられたら、彼らの政権下でまた同様なことが起きてしまうからだ。
 3つのうちいずれかは、現時点では不明だが、うやむやでは済まされない疑惑であり、徹底解明が必要不可欠である。
 ところが、佐伯教授は「今日の日本を揺るがすそれほどの問題」ではないと軽視。
 しかし、国民はそんなふうに大したことはないと思っているいるのだろうか―9億円から8億円を値引きして払下げた程度でたいした損害とは思っておらず、またその程度の公文書改竄など、そんなにたいしたこととは思わない、それより国民の多くは、麻生大臣が言うようにTPPなどの方が気になるとでもいうのだろうか。
 佐伯教授は、野党もメディアも森友問題をことさら大げさに取り上げ、そればかりに囚われて「真相の徹底解明」が必要だなどと言い立て、国会で論ずべきもっと重要なテーマがあるのに、それらをそっちのけにし、目をそらしてしまう、と批判。野党や新聞等の役割は(政権の政策に対して対案を打ち出すことにあるのであって)政権を徹底追及することなんかにはないのだ、と思っているようだが、そういうものだろうか。

 ところで、民主主義の行政は、その事務処理に携わる公務員・官僚は主権者・納税者である国民・市民全体の利益と意向(民意)に対してのみ忠実でなければならず、党派的に中立・公正でなければならない。民意によって選ばれた「代表者」といっても選挙で相対的に最大多数を制した党派を中心に組織された内閣の首相や大臣に対しては、その指示・命令には、少数派も含めた全体の利益や憲法に反したことまで、なんでもかんでも従わなければならないとか、その意向を忖度しなければならないという筋合いのものではあるまい。忖度するなら、それはあくまで国民全体の民意に対してでなければならない。(特定の学校法人への公有地払下げ、校舎建設、開校認可などにしても、首相や夫人と個人的私的に親密な関係にある人物だからといって特別扱いをするようなことは、けっしてあってはならないのだ。)

 政権の政策や法案は省庁から上がった情報・資料・データを基にして立案されるが、それら(情報・資料・データ)は政権(省庁を統括する内閣)によって握られていて、野党はそれらを取り寄せることができても「黒塗り」だったり、なにかと不利であり、対案を打ち出すにも政権与党とはハンデキャップがある。いわんや、取り寄せた文書資料・データが隠ぺい・改竄・捏造されていれば、まともな対案は立案できないし、まともな法案審議・予算審議・政策論議も成り立たず、TPPの交渉記録や外交文書・自衛隊の海外派遣日報が黒塗りだったり隠ぺいされていれば、これらについて審議しても実があがらないことになる。それだけに、このような政権の姿勢・法案・行政事務処理などの「あら探し」をして(というと語弊があるが、問題点を見つけて)その問題点追及に意を注がなかればならないわけである。それはけっして余計なことではなく、必要なことであり、むしろそれ(政権追及)こそが野党の使命・役割であろう。
 その際、提出・開示を求めた公文書が改竄されていたとか、隠ぺいが横行するような状態ではまともな国会審議は成り立たず、国民の知る権利(情報開示請求)も成り立たず、民主主義の前提が成り立たないことになる。佐伯教授は「官僚行政が政治に歪められたことは民主主義の破壊だ」という野党や識者の指摘を「大衆民主政治」の問題にすりかえ、矮小化している。
 森友問題に象徴される公文書の隠ぺい・改竄問題は、国政の私物化(地位利用)の問題とともに、TPPなどの諸々の政策論議以前の、日本の政治のあり方そのものが問われる民主主義の根幹に関わる根本問題として最重要の大問題なのだ、と思うのだが如何なものだろうか。


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