米沢 長南の声なき声


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森友問題とはどんな問題か(再加筆版)
2018年03月22日

 国有地格安払下げ―官僚による特別扱い―政治家・首相・同夫人の関与の有無を巡る疑惑―発覚後、交渉記録・決済文書など公文書改ざん 
 疑惑―事実の全容解明が必要―証人喚問(決まったのは当時の財務省理財局長佐川氏だけで、それ以外、首相夫人の喚問は決まっていない)、その結果どこまで明らかになるかだが、首相・同夫人の直接関与はたとえなかったとしても、首相に対する忖度(配慮)―間接的関与があったことは明らか。
 それらによる国民への実害の程度は?―そこはどう見る(測る)かだが、
 森友学園への国有地払下げは、値引き額が8億円で、タダ同然だったが、学園側の不正(詐欺容疑)と当局側の法令違反(背任・公文書毀棄容疑)がともに疑われ大阪地検により捜査中(学園理事長夫妻は逮捕・勾留中)で、今のところ不成立(用地の行方はストップ)。
 国会審議、改ざんされた文書をもとに質疑応答に長時間費やし(答弁に納得いかない野党の質問・追求は当然)、一年以上にもわたってなお疑惑のまま。この間、担当職員が一人自殺
 それらに対する最終的責任は誰にあるのか。佐川氏で終わるわけではあるまい。首相も夫人も「関与はしていない」と強弁し、たとえ直接関与は(口利きも指示も)していないし、夫人は「小学校の名誉校長」にかつがれて名前が利用されただけ(したがって違法行為による法的責任は問われない)としても、夫人の森友学園との親密な関係とその「首相夫人」の介在が森友側・当局側双方の異常な行為・結果をもたらしたことは紛れもない事実であり、首相にも間接的関与(忖度)があったことは間違いなく(指示も頼みもしないのに勝手に忖度した方が悪いなどという弁解・弁護は通らないし)結果責任・道義的責任は免れず、国政に対する信頼性を損なったその重大性からみて引責辞任も免れまい。
 麻生財務大臣は、文書改ざんは「理財局の一部がやった」とし、最終責任は当時の理財局長佐川にあり、自身の責任は否定。首相は「行政府の最高責任者として責任を痛感している。国民に深くお詫びする」としながらも、「私も妻も一切関わってはいない」し、決裁文書書き換えなど「指示したことは全くない」と繰り返すばかりで、「なぜこんなことが起ったのか」とまるで他人事、「『痛感』と言って責任またスル―」(朝日川柳)。 
 夫人はフェイスブックに、寄せられた野党批判の投稿に「いいね!」と。「反省」など、どこ吹く風のようだ。 

 モリ・カケ事件として並び称されるもう一つに加計学園問題がある。
 安倍政権が始めた国家戦略特区(地域を限定して大胆な規制緩和や税制面の優遇で民間投資を引き出す方法)に愛媛県今治市を指定して加計学園グループの岡山理科大学獣医学部を建設(本年4月から開校)。この学園理事長は安倍首相と親密なの友人、首相夫人は同グループこども園の名誉園長、特区措定、学部建設・開校認可に際して、内閣府から文科省へ首相の意向が働き「加計学園ありき」で進められたのではないか、との疑惑が国会で問題となる。(内閣府が文科省に早期開学を促したとされる文書―「総理のご意向」とか「官邸の最高レベルが言っている」との記述がある文書が省内に存在したと文科省が再調査結果を公表、前川前文科事務次官が同文書は「本物だ」「公平・公正であるべき行政がゆがめられた」と証言。しかし、内閣府側は否定、ヒアリング調査にも誰も「見たことがない」と。)

 これら森友・加計問題には、幾つかの問題点が考えられる。
 ① 政官の関係のあり方―ゆがみ
   日本の官僚は公務員採用試験で合格した知的レベルの高く見識を備えた人材が任用されており、公務員は戦後憲法上の原則で国民「全体」の奉仕者として公正・中立の立場で(政権・政治家の言いなりにはならずに法令遵守を心がけて)行政事務に当たり、政権が変り大臣が変わっても(法律を作成し予算を編成する等の)実務は滞ることなく継続性をもって行われてきた。
   それに対して総理大臣と各省の大臣は主として選挙で(有権者の好み・判断で)当選した議員から選任される。
   以前は、各省庁の幹部人事は大臣には人事権がなく全て省内の事務方トップ(事務次官)が作成する人事案をそのまま承認するしかなく、各省の大臣よりも事務方の官僚に実権を握られがちで、縦割り行政の弊害もあった。そこで2014年から内閣人事局が設けられ、総理大臣を中心とする内閣(官房長官・副長官ら)によって各省庁の上級幹部(事務次官・局長・部長・審議官など計600人)が一括任命されるようになり、官僚主導から政治主導(官邸主導)へと変わった。その結果官僚たちは任命権者である総理大臣や大臣の意向を汲んで(忖度して)事に当たる傾向が強まった。また官僚に対して官邸や与党政治家の圧力が加えられる(官邸に批判的な前川前事務次官が名古屋市立中学校で行った講演について自民党議員が文科省に問い合わせが行ない、それに応じて文科省官房長が市教委と中学校長に報告を求めた、といったこと等)。
 公僕(国民・全体の奉仕者)たる官僚が大臣や与党政治家の下僕に化するといった、そのような弊害が今回、安倍「一強」政権下で顕著に表れることになったと考えられる。(今、佐川氏に替わって答弁の矢面に立たされている太田理財局長だが、自民党議員からの質問で、彼が旧民主党の野田首相の秘書官だったことから「安倍政権を貶めるために意図的に変な答弁をしてるんじゃないか」と言われて「それはいくらなんでも~私は公務員として、お仕えした方に一生懸命お仕えするのが仕事」と答えたが、それを言うなら「国民全体にお仕えするのが私の仕事」というべきだったろう。)
 「忖度」とは、相手から言葉で求められなくても、その意を慮って(気をきかせて)事を為すことであるが、相手が組織の上司だったり権力者であったりする場合は、言葉で指示・命令されなくても圧力を感じてそうせざるを得なくてやってしまう、ということもあるわけであり、それが不正であれば、不本意ながらもそれをやってしまう。そしてそれに耐えきれずに自殺に追い込まれる、といったことも生じる。今回それで一人犠牲者が出た、というわけである。そのような事態(忖度の弊害)をなくすためには、権力者にはその地位・役職から退いてもらうしかないことになる。
 ところで、自民党が今まとめつつある改憲案のように「内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」などと憲法に明記したら、幹部自衛官が首相の意向を忖度して「敵基地攻撃」にはしる、といったことが起きかねず、非常に危険なことになろうというもの。
  
 ② 公文書管理と情報公開―隠ぺい・改ざん
   公文書―国などの活動や歴史的事実の記録。それは「国民(現在~将来の国民)共有の知的資源」であり、国民(主権者として主体的に利用し得る「知る権利」)の請求に応じて開示さるべきもので、民主主義の根幹を支えるもの。
  政権の都合によって(不都合なことが)隠ぺい・廃棄・改ざん(あったことが、なかったことにされる)
  戦時中の公文書・記録が降伏時のどさくさに紛れ多くが焼却廃棄され、戦争犯罪の証拠隠滅、軍部や政府にとって不都合な真実が闇に葬られ、歴史の真相解明を不可能にしたという苦い経験がある。
  その保存管理の重要性。

 そこで求められるのは、これらの点で不合理・不都合・不当性を、森友問題の全容解明とともに明らかにして、事件の再発を防止することだろう。
 首相の職務は「行政各部を指揮監督する」こととされ(憲法72条)、内閣は「行政権の行使について国会に対し連帯して責任を負う」ものとされる(同66条)。
 首相は「行政の長として最終的な監督責任は私にあり」、「なぜこのようなことが起きたのか、徹底的に調査を行い、全容解明に努めてまいりたい。二度とこうしたことが起こらないよう組織を根本から立て直す必要がある」などと述べているが、自身に関わる案件にについて省庁の組織の調査を自らの指揮監督の下に組織内でやらせる、要するに身内の調査に信頼性はなく、それを実行したところで問題の再発防止にはならず、それをもって首相が責任を果たしたことにはなるまい。責任を負うと言うのであれば、自らは辞して替った新首相の指揮の下に調査・立て直しを行うか、或は、調査は検事局などの司法当局による捜査(その場合の刑事訴追は個人に対して行われるが、それ)とは別に(組織を対象とする調査機関として、外部の人も加えた独立した第三者委員会を国会で議決して設けて、それによって行うべきだろう。
 いずれにしろ、この内閣の下では内部調査しても結果はたかが知れており、忖度行政は直らず、首相が責任をとるのであれば内閣総辞職しかないだろう。そして国政の私物化・安倍ファスト政治(「戦後レジームからの脱却」改憲など祖父から受け継いだ個人的な思い・情念・野心に基づく政治)を終わらせることだろう。
 森友・加計問題は単なるスキャンダルとして片付けられるような問題ではなく、安倍内閣の本質に関わり、国会と国民に対する背信、国民にとっては我が国の民主主義のあり方として根幹に関わる問題を内包している、解決すべき(何を差し置いても解決しなければならない)最優先課題なのだ。


 


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