米沢 長南の声なき声


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戦争はどうして起こるのか―3つのポイント(加筆版)
2018年03月14日

 そもそも戦争が起きるのには、まずそれを必要とする理由・紛争要因など動機があること、それに、それ(武力攻撃・戦争)をやっても損にならない(費用対効果がある)こと、そしてその意志があって(その気になって)攻撃能力(兵器・兵力など軍備)を持つこと、これら3つの要因がある。その3つともなければ戦争は起きない。
 (1)武力攻撃・戦争の必要性―ある国または国々(或は勢力)に対してどうしても攻撃・戦争を交えずにはおかない然るべき理由があること。
 紛争要因(争いの種)など動機―いくら交渉し、話し合っても埒が明かず、戦争に訴え、力で決着を付ける(相手を屈服させ、要求に応じさせる)しかない、といった動機があること。
 しかし、この点については、現代世界では第一次大戦後、「国際紛争を解決する手段として戦争に訴えることは違法とされ、国連憲章で、侵略行為に対する自衛と平和破壊行為に対する国連による集団的措置以外には、いかなる理由があろうと武力行使は禁止されている。したがって武力行使に必要な理由といえば、それは「自衛」と国連による集団的制裁措置だけで、それ以外にはどの国も戦争・武力行使する理由をもつ国はないということになる。
 また、その相手に交戦・抗戦する意志がなく、その手段(戦力)も持たないならば、戦争にはならないわけである。(力に訴えず、あくまで対話・交渉でやるしかない、ということになる。国連憲章はそれを義務付けている―「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって・・・・解決しなければならない」とし、その手段として「交渉・審査・仲介・調停・司法的解決」などを挙げている。)
 (2)費用対効果―戦争しても、人的・物的資源の損失(コスト)を上回る利益(メリット)が得られる(勝算がある)こと。
 (3)攻撃能力―兵器・兵力など軍備を保有すること。それを持つのは、その国にとって戦わなければならない(或は戦わなければならなくなるかもしれない)理由(1)のある相手(「敵」)があってのことであり、その相手国(または勢力)に対しては攻撃・戦争をする意志があってのことだろう。
 しかし、(1)で指摘したごとく、現代では正当化される武力行使の理由は「自衛」もしくは国連の集団的制裁措置だけである。(国連の集団的措置といっても、正式の―憲章41条に基づく―国連軍は未だかつて編成されたことはなく、便宜的にPKOの平和維持軍とか有志連合の多国籍軍の形で行われている。)ということは今、軍備(攻撃能力)を持つ国は、基本的には全て「自衛」のためという名目(理由)でそれを保有している、ということになる。日本の自衛隊は勿論のこと、アメリカもロシアも中国そして北朝鮮もである。ということは、どの国の軍備も自衛目的で「抑止力」なのだ、ということになる
 どの国の軍備もそうだとすれば(核・ミサイルなどは脅威といえば脅威かもしれないが、それを保有しているからといって)それだけでは戦争にはならない。つまり、たとえ核・ミサイルなどの攻撃能力を保有する国であっても、それは自衛目的であって攻撃目的・戦争目的ではないというのであれば、こっちは軍備を持たなくても(戦力不保持でも)攻撃され戦争をしかけられる心配はないということでもあるわけか
 日本国憲法は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しよう(つまり世界中の人々を味方にし敵をつくらない―引用者)と決意して」「国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は永久にこれを放棄し」「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」としている。ところが、それにもかかわらず「信頼」出来ない国があるというので、そのような国の不正な侵害に備えて、自衛隊を保持し、「信頼」できる国アメリカと同盟を結んでいる、というわけだ。しかし、国によって敵(信頼できない国)と味方(信頼できる国)を分け、敵性国家に対する「自衛のため」を理由に軍備を持ち合い、核・ミサイルを持ち合って互いに脅威・恐怖を及ぼし合って戦々恐々としていなければならない(日本は北朝鮮の核・ミサイルに脅威をもつが、北朝鮮は米韓軍の圧倒的な戦力と斬首作戦などの作戦計画に脅威・恐怖を感じているのでは)。いつまでも、そのような世界であってよいはずはあるまい。
 日本国憲法は、日本国民が、自国の引き起こした戦争が世界にもたらした未曾有の惨害に対する反省から「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」、名誉挽回、「国際社会において名誉ある地位を占め」るべく、「正義と秩序を基調とする国際平和を希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使」を率先して放棄し、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を認めないこととしたはず。それなのに、自衛隊は「必要最小限の実力組織」として憲法で禁ずる「戦力」には当たらないと称しながら、世界の軍事力ランキングでは、今や133ヵ国中7位(出典によっては4位とも)で、米ロ中などには及ばないが韓国(12位)をしのぎ、北朝鮮(23位)を凌駕している。しかも最大の核軍事大国のアメリカと同盟を結んでその基地を置いているのだ。
 兵器・武器には次のような問題もある。その開発・製造・売買によって経済効果が得られるということだ。兵器産業・武器メーカーや商社(「死の商人」)は、それによって金儲けができ、政府の経済政策上もそれによって軍需景気・雇用や税収等の効果をはかろうとする。アメリカでは「軍産複合体」と称され、軍需産業から利益を得る経済構造が形成されている。日本では戦後、武器輸出は禁止されてきたが、安倍政権になって、その「三原則」は撤廃され、「防衛装備移転三原則」のもとに武器輸出推進に切り換えられ、それがアベノミクスの成長戦略の一環にもなっている。兵器や武器は、戦争をしなければならないから必要とされるのではなく、それを名目にして、戦争はしなくても経済目的で開発・製造し、売ったり買ったりしている。しかし、それ(兵器・武器)を保有・装備することによって、戦闘・戦争に走りやすくなり(なければ対話・交渉を尽くそうとするが、武器があると、話すより先に、いきなり発砲・発射してしまいがちになり)、偶発的軍事衝突から戦争が起きやすくなる。そういう問題があるということだ。

 要するに、今日では、戦争する理由は「自衛のため」という以外にはなく、すべての戦争は自衛戦争だということになり、どの国の軍備も自衛(攻撃抑止)のための軍備(抑止力)だということになるわけである。(アメリカのベトナム戦争、アフガニスタン進攻、イラク戦争などすべてその名目で行われている。)そうだとすれば、戦争が起こるのは、自衛目的に軍備(攻撃能力)を持合う者同士が、誤認・誤算(相手の意図や行動を読み間違え、或いは判断ミス)から生じる偶発的軍事衝突から起こるのであって、それだけが戦争原因ということにもなるわけか。

 さて、この日本に対してだが、憲法に戦力不保持、交戦権否認を定めて不戦の意志を世界に示して(明確にして)いる国である限り、領土・領海問題など紛争要因(1)のある国であっても、どの国とも戦争が起こることは本来あり得ないはず。
 北朝鮮はどうか(日本に武力攻撃・戦争をしかけてくるか)(1)では領土問題など紛争要因も、戦争して得られるメリット(2)もないはず(植民地時代に受けた仕打ちに対する怨みや被害・損害に対する補償・賠償要求はあり得るが―2002年小泉首相訪朝の際のピョンヤン宣言で国交正常化交渉の開始と正常化後の補償問題など過去の清算について約束があったが、拉致問題は、そこでその存在が認められはしたものの、その後進展しなくなり、核・ミサイル問題等の安全保障上の問題も、そこで国際的合意の遵守や関係諸国間で対話・問題解決を図ることを約束したものの、その後、核・ミサイルは開発・実験が強行され、それに対して日米側が経済制裁を強化してきたことなどにより、約束は実行されなくなった。これらの経過から見れば、過去の清算が果たされない責任―負い目―は北朝鮮側にあり、それをもって日本に対して武力攻撃を正当化―合理化―することが到底できない―それは彼らにも解っていよう)。
 ただし、日本は世界有数の軍事力(自衛隊)を保持し、北朝鮮にとってアメリカに対しては戦争理由・動機(1)のある(1950年以来の朝鮮戦争は米朝間で休戦中ではあるが、未だ終結しておらず、再開される蓋然性があり、それに備えて核・ミサイルを開発・保有して対抗している)そのアメリカと日本が同盟し、米軍基地を置いている。北朝鮮にとってはそれが、対米戦争に際して日本に対する攻撃の理由となる。ということは日本の方に攻撃を誘う理由がある、ということになるわけである
 北朝鮮は、アメリカに対しては(戦っても勝ち目はなく、何のメリットもないが)戦わなければならない理由(1)があって(3)の点でも核・ミサイルを手にして(それは「抑止力」のためだといいつつ)対抗意志を示し、それに対してアメリカ側は、それを「挑発」「脅威」と非難して、その放棄を迫って制裁圧力(経済制裁及び軍事圧力)を加え、日本政府はアメリカ側に「最大限の圧力を」と促している。理性的判断からすれば勝ち目がないかぎり、自分の方から先に攻撃を仕掛けることはあり得ないとしても、アメリカの方から(「予防的」とか「限定的」とかの名目で)先制攻撃が仕掛けられる可能性もあり、どちらかの誤算・誤認による偶発的軍事衝突から戦争になったり、圧力に耐えかねて破れかぶれになって暴発(核・ミサイル発射)する危険を招くこともあり得る。(だから日本は、それに備えて軍備に万全を期さなければならないというのではなく、そのような事態を招かないようにしなかればならない、ということだろう。)
  尚、防衛省防衛研究所の元戦史部長の林吉永氏は「日本では、まるで北朝鮮が攻めてくるような大騒ぎをしていますが、北朝鮮は攻撃されれば仕返しをする、火の海にするぞと言ってるだけです。北朝鮮の軍事的・政治的意図を見据えれば、いたずらに脅える話ではなく、政治的に解決すべき事案」と述べており(週刊紙AELA3月19日号)。また柳澤協二(元内閣官房副長官補)は次のように指摘している。「日朝間には戦争しなければならないほどの固有の紛争要因があるわけではない。戦争の動機はむしろ米朝間にある。北朝鮮が日本にミサイルを撃つとすれば、それは日本の基地から発信する米軍戦闘機が自分を破壊することを恐れるからだ。それ故、北朝鮮が抱くアメリカへの恐怖を緩和することが、ミサイル攻撃の動機を減らす方法となる」と(「世界」2月号)。

 中国はどうか。(1)の点では日本との間の紛争要因には尖閣問題がある。そこでは領海侵犯などで睨み合いや小競り合いもあるが、費用対効果(2)の点では、小さな無人島とその海域を奪取するために戦争に持ち込むメリットは中国にはないだろう。それ以外には、日本に対して武力攻撃・戦争を仕掛けなければならない理由・動機は中国にはあるまい。あるのは(3)(軍事力)の増強で、それが海洋進出とともに諸国に脅威を与えてはいるが、それらのことだけでは我が国との間に再び日中戦争が起るかといえば、それはあり得ないだろう

 いずれにしろ、これらの国の「脅威」が増して「安全保障環境が悪化」したからといって、我が国にとってこれらの国との戦争が避けられなくなったというわけではないのであって、これらの国からの武力攻撃と戦争に備えて9条を変えざるを得なくなったかのように論じ、改憲を言い立てるのは見当違いだろう。


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