米沢 長南の声なき声


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アベ改憲阻止は容易でない
2018年02月28日

 安倍首相が9条を2項とも維持した自衛隊追記案を持ち出し、石破元自民党幹事長が2項削除案を主張し、朝日新聞は阪田元内閣法制局長官の<2項とも維持したうえで限定的な集団的自衛権行使まで容認した>改正私案を載せたりしている。メディアの世論調査によっては、「9条に自衛隊を盛り込むなら」として「2項を維持して明記」か「2項を削除して明記」か「明記する必要なし」か、と選択肢を示して選ばせたりもしている(回答は「2項維持して明記」が一番多い)。
 <注―毎日新聞1月20・21日調査(9条に自衛隊を盛り込むなら)「1・2項そのままに自衛隊明記」31%、「2項削除」12%、「明記する必要なし」21%
  時事通信2月16日発表「2項そのままに自衛隊明記」35.2%、「2項削除して自衛隊の目的・性格をより明確化」24.6%、「改正必要なし」28%
  日経1月29日発表「9条2項維持して明記」47%、「2項削除して明記」15%、「明記必要なし」24%
  NHK2月13日発表、自衛隊明記に賛成33%、反対20%、どちらともいえない37%>
 しかし、そもそも国民はこんな改憲を今切実に求めているのだろうか。この憲法下で70年もの間、米ソ冷戦、中国の動乱(国共内戦など)、朝鮮戦争等々あり、自衛隊は創設され定着はしても、我が国では国民の間から改憲を求める声が上がることはなかった。このところ中国の脅威、とりわけ北朝鮮の脅威がかつてなく増してはいる。だからといって、自衛隊に存分に戦ってもらえるように改憲がどうしても必要だなんて思っている国民はそんなにいるのだろうか。(かねてより改憲を求めてやまないのは安倍自民党とその支援団体の日本会議なのであって、彼らは「この際」とばかり「国難」に乗じて9条改憲を煽っているのだ。)
 それに、自衛隊が憲法に明記されてしまうとどうなるのか。首相は自衛隊を、これまで憲法学者などの間では違憲だとみなす向きが多かったので、そうした異論や疑念をもたれないように合憲存在として明確化するだけで、自衛隊の現状はこれまでと何ら変わらないと強弁しているが、それはそのような現状追認には留まらなくなる。なぜなら、自衛隊が憲法に明記されることによって憲法のお墨付き(保証)を与えられるだけでなく、憲法で国が自衛隊という実力組織を保持してもよいと認められるだけでなく、これまで控えめだったその軍事運用がむしろ政府に課せられる義務として求められることによって、(2項にいう「戦力」には当たらない自衛のための)「必要最小限の実力」とはいえ、その最大限発揮が求められ、人員・装備・予算など必要最大限確保が容認されるようになる。
 2項は維持しても、その後に追加明記すれば、一般に「後からつくった法律は前の法律に優先する」という原則があり、2項の方は事実上空文化してしまう。その結果、後に追記された自衛隊は2項による縛りから解放され、無制限に海外での武力行使に道が開かれることになる。
 国は今までは自衛隊員に職務として命令できることが限定されて海外での戦闘行為などは禁じられ、隊員は派遣・出動命令を受けても違憲を理由に拒否し、国を相手に訴訟もできたが、それが、憲法が自衛隊の運用を認めた国の命令となれば、拒否も違憲訴訟もできなくなる。そればかりか自衛隊員に対して職務の実施に伴う命令違反など新たな罪が課せられ軍事法廷・軍法会議のようなものが設けられて裁かれるようにもなる。
 つまり自衛隊というもののあり方が大きく変質してしまうことになる。そういったことを意味し、憲法の(非戦非軍事的)平和主義ががらりと(「軍事による平和」へと)後退してしまうことになる。

 とはいっても、そういったことはなかなか解ってはもらえず、一般にはそう難しく考えない向きが多いだろう。多くの人は、まず「自衛隊は災害や隣国の脅威に備えて有った方がよいにきまっているし、それに平和憲法の9条も大事だ」と考え、安倍首相のいうように、その条項を維持しながら、そこに自衛隊の必要性を明記するようにした方がよい(それは欺瞞だというなら、自衛隊を違憲だと言いつつ「在るものは利用する」などと事実上容認している方が欺瞞だ)と考えがちなのでは。
 このように考える人々を、「いや、それは違うよ」と説得するのは容易なことではあるまい。(なにしろ、自民党支持率は最多で、安倍内閣支持率も不支持より多い。ということは、安倍・自民党のいうことは、不信・不安はある程度あっても、「他よりまし」で、反安倍・反自民野党のいうことと比べてどちらに信を置くかといえば、安倍・自民党の方、ということになるだろうから。)


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