米沢 長南の声なき声


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棄権せずに怒りの一票を
2017年10月20日

 「どうせ投票しても死票になるだけで意味がない」からといって棄権してしまったら、それこそ意味がない。なぜなら、投票率が低いほど固定票の多い大政党・政権与党が有利で、投票総数の過半数以上かそれを大きく上回ればそれだけ信任されたものと見なされ(棄権は白紙委任されたものと見なされて)、かれらにはかえって有利な結果となってしまうからである。それならば、かれら(政権党)の対極にある(最も鋭く対決してきた)政党・人物に投票して、それが批判票となれば、意味のある一票―「怒りの一票」ともなる。たとえそれが政権与党の得票には下回っても、多ければ多いほど政権に対してプレッシャーとなり得るわけである。
 また、今回は総選挙で、最高裁判所裁判官の国民審査があるが、これなども、審査するその裁判官一人ひとりについて略歴と在任中関与した主な裁判とそこでの意見を概略だけ記した公報が選管から一回届くだけ、新聞には朝日の場合1回とちょっと掲載があるだけで、ほとんどの人はよく分からず、投票しても罷免させたい場合だけ×印を記入するというやり方で、分からないからといって白票を投じれば信任と見なされる。白紙委任を避け、よく分からないまでも批判票を投じたいのであれば全員にでも×を付けて投じるか(分からないのは判断材料をきちんと伝える努力を怠っている側の責任で、全員×とされてもおかしくはない)、それとも、国民審査の投票用紙だけ受け取らずに棄権するしかないわけである。


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