米沢 長南の声なき声


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誠実さ・公正さで選ぶモラル対決選挙(再加筆版)
2017年10月17日

 「狡猾が愚直でござると唾(つば)飛ばす」(朝日川柳)
 選挙で政党や候補者を選ぶ際に、政策以外にもう一つ大事なことを挙げるならば、公正と信義の点で信頼性はどうかだ。その党や候補者が掲げる政策や公約がいかに良くても、また耳触りの良い話しぶりや見かけ(映像)がどんなに良くても、庶民に対する公正さと信義の点でいい加減で、信頼できない政党・人物ならばダメだ。
 今回の選挙は、首相は衆院解散にあたって少子高齢化と北朝鮮の脅威を国難と称し、それへの対応と消費税増税の使途変更を国民に問うための選挙だとし、マスコミは様々な争点をあげ、世論調査では投票先を選ぶに際して重視する政策課題を経済・財政政策、外交・安全保障、社会保障、憲法改正、原子力政策などを挙げて問うているが、結局最大の争点はこの5年間の安倍政治の是非(安倍政権継続の是非)とされている。そこにはアベノミクスと称する金融・経済政策や外交・安保政策など諸政策に対する評価もあるが、圧倒的な数の力で強引に法案を押し通す政治運営・手法とともに、首相の森友・加計疑惑逃れのための自己都合と野党の体制が整わないうちにと強行に及んだ今回の解散・総選挙自体に見られる党利党略と個利個略に対する審判がある。党利党略・個利個略は首相や政府与党だけでなく、そのご都合主義は小池新党(希望の党)とそれに「合流」した民進党前原派などにも顕著に見られる。これらの政党や政治家・候補者には主義・主張や政策以前に、或はその才知や力量以前に、そもそも国民の代表者として相応しい人格・道徳的信頼性がはたしてどれだけそなわっているのか甚だ疑わしく、不誠実・欺瞞・狡さがかつてなく見て取れる。その点も投票先を選ぶうえでむしろ最重要なキーポイントの一つとして最大限考慮しなければならない判断材料だろう。
 憲法学者(日大大学院)の蟻川恒正教授は今回の解散劇をはじめ共謀罪法案の国会ルール無視の強行採決など安倍政権の際立つ不誠実を指摘して、「目標としての護憲か改憲か以上に、政権を担う者を評価する上で本質的なのは、憲法に対して誠実であるか不誠実であるかの対立軸である」と説いているが、政権党に限らず立憲野党と市民連合の共闘を分断するようにして急に出てきた新党「希望の党」とそれに合流した民進党前原派の節操の無さ・いい加減さ、これら政権党とその補完政党の不誠実・いい加減さに対して誠実・公正を貫き共闘する市民連合と共産党・社民党、そして彼らとの信義を守ろうとして民進党リベラル派が新たに立ち上げた立憲民主党、その立憲野党プラス市民連合の対決、これが今回の選挙の対決軸なのだ、というべきだろう。その争点は国民に対して嘘・ごまかしのない誠実さ、誰にでも平等な公正さ、信義を大切にする道徳的信頼性・ヒューマニズムなど。すなわち政党・政治家としてのモラルのあり方が問われる、それが今回の選挙なのではあるまいか。

 不誠実で傲慢あるいは狡賢い、そのような政党や候補者にはけっして投票しないという潔癖さ・毅然たる態度が有権者にはあって然るべきだ。しかし、「こんなやつらに投票しても意味がない」からといって棄権してしまったら、それこそ意味がない。なぜなら、投票率が低いほど固定票の多い大政党・政権与党が有利で、投票総数の過半数以上かそれを大きく上回ればそれだけ信任されたものと見なされ(棄権は白紙委任されたものと見なされ)、かれらにはかえって有利な結果となってしまうからである。それならば、かれら(有力者層の支持で支えられて権力を握ってきた政権党)の対極にある(歴史的に最も鋭く対決して目の敵にされてきた)誠実で真面目な政党・人物に投票して、それが批判票となれば、意味のある一票―「怒りの一票」ともなる。たとえそれが政権与党の得票には下回っても、多ければ多いほど政権に対してプレッシャーとなり得るわけである。

 今回の選挙は、いわばモラル・ハザード政党Vsモラル政党の対決で、そのどちらを選ぶかの選挙でもあるということだ。
 愚直(バカ正直)な当方としては、その党や候補者は、政策(狡知を弄して庶民に気に入られそうなことを並べ立て、尤もらしくあげつらう)とか力があるとかやり手だとか以前に、そもそも人間的にどうなのか、信頼のおける党なのかどうか、いわば「政策よりも人柄」で選ぶ、ということになろう。
 尤も、「人柄がよさそう」などと表面上の印象の良さだけで判断するのではなく、「世のため人のために」との信念、私利私欲や野心、誠実・公正・信義など、そういう点で実相を見抜くとなると、その党、その人物について、過去に遡って言行や生き様がどうだったかをある程熟知しなければならず、そうなると新聞・テレビやネット情報だけでは、なかなか解りかね、政策や公約などを知るよりもかえって難しいのかもしれない。ところが、今回に限ってみれば、このところの政治動向(国会審議・強行採決・解散劇・希望の党と民進党の合流、そしてこの選挙戦における党首と候補者の弁舌など)からそのあたり(党や政治家の性向・道徳的信頼性)が歴然とし、あからさまなので、かなり分かりやすいのだ。どの党、どの候補者が誠実・公正・信義の点で真ともか、真ともでないのか、というそのことが。

 <再加筆>投票日、朝日朝刊から
 社説「棄権なんてしていられない」に―米国の評論家リップマンの著書から引用して「仕事や家事で忙しいのに、複雑な政治課題への見聞を深め合理的な判断を下すなんて教科書だけの世界だ。有権者にできるのは、政治家が世の中のルールと己の欲望のどちらに従っているかを判断することだ」。
 声欄「後悔しないため一票投じる」に―「今回の衆院選。私は5年間の非民主的な政治手法と憲法への考え方を判断基準に投票します」とあった。


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