米沢 長南の声なき声


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改憲問題 これこそが最大争点
2017年10月17日

 安倍首相は北朝鮮の脅威を「国難」として、それへの政府の対応を信任するか否かを問うための選挙だとしてとしているが、実はそのことは(北朝鮮の脅威への対応)はそれを利用して9条改憲を果たすことこそが、安倍首相にとって「本願」であり本来の目的なのであって、北朝鮮の脅威は、それへの絶好のチャンス提供にほかならない。
 安倍首相の提案している9条に1・2項をそのままにして自衛隊について追記するというものだが、その是非を国民に訊いてみるのがこの選挙なのだ。このような9条改憲案についてはこれまでも問題点を指摘してきたが、これらにさらに新たな論法で問題点の指摘が加えられている。
 それは憲法学者の山内敏弘教授(一橋大名誉教授)が提起しているところであるが、「後法は前法を廃する」という法律の一般原則があり、後からつくられた法規範が直近の立法者の意思と見なされ、優先される、だから、たとえ2項「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」という条項を残したとしても、後からつくった別の独立した項目で自衛隊を書き込んでしまったら、2項は(それこそが9条の「命」なのに)空文化・死文化してしまうということである。以下、同教授が論じている諸点を紹介したい。
 2項が条文として残れば、法的にそれがまるっきり効力がなくなるわけではないが、2項を解釈する場合にも、追記された3項を優先して2項が再解釈されることになる。それは、自衛隊は、従来の「必要最小限の実力」(自衛力)ではなく、結局、自衛の戦力として認められることになる。3項の自衛隊規定を優先することは、2項の「戦力不保持」の規定の方を限定することになるからである。だから、安保法制(戦争法)の憲法解釈を認知するのはもちろんだが、それにとどまらず、自衛隊を戦力として認知する。具体的には、自衛隊の任務として「自衛権」が書き込まれれば、日本の防衛(個別的自衛権)だけでなく、集団的自衛権を含むものとされる。これは安保法制で認められた「存立危機事態」における限定的集団的自衛権の行使だけでなく、フルスペックの、つまり包括的な集団的自衛権の行使にならざるを得ない。この改憲が実現した時には、専守防衛の枠を踏み越え、それ以上の全面的な集団的自衛権の行使が実現することは間違いない。
 それに、自衛隊が3項に明記されることで、自衛隊の存在が憲法的な公共性を付与されることから波及効果が生じる。これまでは憲法が軍事的価値を全く認めず、そのため、これまで違憲とされたことが(自衛隊が憲法に書き込まれたら、それが)認められるようになり、保有できる戦力の拡大(従来は保有できないとされた他国に脅威を与えるような兵器が長距離戦略爆撃機や空母、核兵器までも保有可能になっていく)や徴兵制の導入(自衛隊のための役務は公共的な役務になり、そのために国民が徴兵あるいは徴用も可能とされるようになる)など、国民生活にも大変な影響が出てくる。さらに軍事的な土地の接収・収容が可能になる。基地の騒音・震動による被害は我慢せよということにもなる。特定秘密保護法など自衛隊に関する軍事機密が合憲化され、南スーダンPKOの日報についても「秘密」にされて出てこないことになる。自衛隊員の敵前逃亡を、死刑などの極刑で処罰する「軍法」導入も。財政面でも軍事費に対する制約は取り払われ、社会保障関連予算を圧迫するようにもなる。これまで学術会議で「軍事研究は控えるべきだ」という決議が危うくなり、軍産学共同が進み、社会全体が軍事化されていくことにもなる。
 自衛隊を憲法に書くことは、単に自衛隊を追認するだけでは済まない、「非軍事による平和」から「軍事による平和」へ、また軍事大国化と社会の軍事化など大変動をもたらすことになる、ということだ。

 又、憲法というものは、いったん変えてしまったら、元へは戻せなくなるという問題もある。憲法に不再戦を誓って戦力の不保持を定めた9条に自衛隊を明記して軍事を容認してしまったら、第3次大戦が起きて再び戦争の惨禍を味わって懲りでもしない限り、元へ戻せなくなる、ということだ。


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