米沢 長南の声なき声


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北朝鮮対応の争点―圧力重視か対話重視か
2017年10月13日

 安倍首相―北朝鮮に対して何が何でも核・ミサイルを放棄させるという強硬政策。
そのために最大限の圧力をかける圧力一辺倒。対話は、北朝鮮が「政策を換えます」つまり核・ミサイルを放棄しますと言ってきたら応じる、それがないかぎり対話はないと。
 トランプ大統領―北朝鮮に対して「挑発(核実験・ミサイル発射など)を続けているかぎり、今が彼らと交渉する時ではない」、「全ての選択肢がテーブルの上にある(軍事行動も)」、「軍事的解決策の準備は完全に整った。装填完了だ」、「25年間、北朝鮮と対話して、恐喝されてカネを払ってきた」(?)、「交渉は時間の無駄」―安倍首相はトランプ大統領と100%共に有ると(軍事対応も容認)。

 日本のマスメディアは、北朝鮮の核実験・ミサイル発射映像とともに北朝鮮国営放送のアナウンサーによる政府の声明や談話映像を「挑発」行為と解説して報じているが、これを目にする庶民には、北朝鮮は「いったい何を考えているのか」「何をするか分からない怖い国だ」「ならず者国家」「狂人国家」、(トランプ氏のいう)「チビのロケットマン」「あちこちにミサイルを発射する狂った男」といった言葉に「そうだ、そうだ」「こんな国の為政者には『最大限の圧力』でゆくしかない」と頭っから悪者と決めつけて、安倍首相やトランプ大統領に同調する向きが多いだろう。

 それに対して、否!「あくまで対話による平和的解決に知恵を尽くすべきだ」と反論するには、どういう論建て(アプローチ・着眼点)が考えられるか。
 彼の国とその指導者がやっていることには、彼らなりの正当な理由があるはずで、そのあたりに考えを及ぼす必要がある。
  すなわち、そもそも朝鮮半島は日本の植民地支配から脱したものの米ソによって分断、南の韓国と北朝鮮が分立し、統一を巡って戦争、韓国軍をアメリカが支援、北朝鮮を中国が支援―朝鮮戦争、休戦協定が結ばれはしたものの未だに和平協定は結ばれてはおらず終結していない。米韓軍と北朝鮮軍が軍事境界線を挟んで対峙し、米軍は日本に出撃基地を置いている、その状態が未だに続いていて、いつ戦争再開されるか分からないという朝鮮戦争の延長線上にあるのだという根本問題がある。(この間、日本は韓国とは日韓基本条約で「朝鮮半島唯一の政権」として国交正常化、過去―日本領時代―の清算、経済援助・協力を行うも、北朝鮮に対してはそれらを行わず、拉致問題が引き起こされた。)
 米ソ冷戦終結後、1990年代に入って韓国がソ連・中国と国交して、北朝鮮は後ろ盾を失った形となる。その一方、韓国には米軍が基地を構え、米韓合同軍事演習を繰り返し続け、それに対して北朝鮮側は通常兵器では遥かに劣勢なのを核・ミサイルでカバーしようとやっきとなり、その開発・実験を繰り返し、それをやめるにやめられないできている。だとすれば、朝鮮戦争を正式に終結して、以後互いに攻撃をし合わないことを確約する協定(平和協定)を締結することが先決なのではあるまいか。そうすれば核もミサイルも不要になり、朝鮮半島非核化も可能になるはずなのでは。
 和田春樹東大名誉教授は「米朝の対立の根本は、朝鮮戦争の締めくくりが、64年前の休戦協定のままだという点にある。平和条約がなく、米朝の軍事的対峙が続いた。」「戦争が再開されれば、確実に日本は巻き込まれ、ミサイル攻撃が現実のものとなる」と指摘している。
 またカーター元大統領(1994年の第一次核危機の際、民間人として訪朝、金日成絵主席と会談、危機打開に導いた人物)9月12日アトランタで演説して、米国は北朝鮮の指導者と直接話し合い、朝鮮戦争の休戦協定に代わる平和条約を議論するべきだとし、「北朝鮮が望んでいるのは、北朝鮮が米国あるいはその同盟国が攻撃をしない限り、米国は北朝鮮を攻撃しないということを保証する平和条約だが、米国はそれを拒否してきた」と指摘。「米国が北朝鮮に話しかけ、彼らを人間として尊重して扱わない限り、我々はいかなる前進もつくれないだろう」と。カーター氏は10月5日にも、米紙ワシントン・ポストに寄稿して、「北朝鮮と対話すべき時だ」、「和平協議に向けた高いレベルの代表を派遣、或いは南北朝鮮と米国・中国の参加する国際会議を米朝双方が受け入れ可能な場所で開催することを支持するよう提案すべきだ」、「北朝鮮側の要求は恒常的な和平協定に結びつく米国との直接対話であり、最終的には米朝間、国際社会での関係正常化だ」、「米朝両政府がエスカレートする緊張を緩和し、永続的な和平協定で合意する方策を見出すこと急がれる」と指摘している。
 ジャーナリストの平井久志氏は「世界4月号『ドキュメント激動の南北朝鮮』」で次のように指摘している。
 日本は朝鮮戦争の当事者ではないが、02年小泉訪朝の際、北朝鮮首脳と交わした「日朝ピョンヤン宣言」を活用すべきで、拉致問題も話し合うべく日朝二国間協議を開催して然るべきだ。安倍首相は「対話と圧力」といいながら、実際は圧力をかけ続けてきて、うまくいかなかった。「一方的な制裁強化だけでは『挑発と制裁、さらなる挑発と制裁』という悪循環を繰り返し、危険の水準を高めていくだけだ」と。

 北朝鮮は何を考えているか分からない、いったい何を求めてあんなことをやっているんだろう、というのであれば、そのあたりのことをよく考え、議論して然るべきなのでは。すなわち、朝鮮戦争は休戦状態にあるが、未だ終結しておらず、その延長線上にあるのだという厳然たる事実、このような状態にある北朝鮮の彼らにしてみれば、核・ミサイルを放棄することは武装放棄して降伏するようなもので、プライドの高い彼らからみれば、かつて太平洋戦争で無条件降伏して未だに米国に従っている日本と重なって見え、それは耐えがたいことだと思われるのだろう。制裁圧力に屈して核・ミサイルを放棄してからの対話・交渉では、彼らにしてみれば全く不利な結果にしかならず、到底応じられない、あくまで対等な立場で和平協定の交渉に臨みたい、という彼らの思い、それらに対する配慮を抜きにして、一方的に核・ミサイルの放棄を迫る圧力(経済的圧力から軍事的圧力)一辺倒のやり方では、北朝鮮問題はけっして解決しないどころか、あげくのはてには軍事衝突から核戦争へと発展し、再び惨禍を招くことにもなるかもしれない。そのような軍事衝突・朝鮮戦争の再開、(北朝鮮の権力者なら、破れかぶれになって、戦争にそうなったらなったでしかたないと言えるのかもしれないが、日本の我々国民ならば)それだけは何としても回避しなければならないと思うのがあたりまえ。そうならないようにするには、米朝双方とも無条件に(「核・ミサイルを放棄してからでないとダメだ」などと条件を付けずに)朝鮮戦争を終結する和平協定を話し合う対話・交渉に入ること、北朝鮮問題解決はこれ以外にあるまい。これが安倍政権の圧力一辺倒政策に対して「あくまで対話による平和的解決に知恵を尽くすべきだ」という対話重視論のキーポイントだろう。
 さて、この争点、北朝鮮に対して圧力重視か対話重視か、どちらが得策なのかだが、安倍首相の圧力重視は、いわば「兵糧攻め」にして相手が音をあげるのを待つやり方だが、相手はそれで白旗をあげて降伏し、核ミサイルを明け渡し(拉致被害者も解放し)てくれればよいが、そうはせずに、苦し紛れに猛然と撃って出る―つまり核ミサイルを韓国・日本に撃ちまくるという挙に出る、その恐れもあるわけである。
 それに対して立憲野党側の対話重視とは、米朝間で朝鮮戦争終結の和平協定などについて交渉を促し、6ヵ国協議を再開して05年の半島の非核化など共同声明に戻る方向で話し合うとともに日朝間協議でピョンヤン宣言に戻る方向で、拉致被害者の解放など諸懸案を包括的に話し合う、というものだ。
 この二つの対応策のどちらを選ぶのかだ。


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