米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


核兵器の脅威と自然災害の脅威
2017年07月17日

 他国の核兵器や武力攻撃は、台風・豪雨や地震・津波の襲来のような自然災害の脅威とは違う。
 自然が相手では、対話・交渉の余地などなく、説得によって思い止まらせることはできないし、又こっち(そこに住んでいる人間、国の憲法や政府)がどうあろうと、そんなことはお構いなしに、自然法則のままに必然的に襲来する。しかし、人間の手による核兵器の開発・維持や他国からの武力攻撃は、人間の意思に基づいており、こっちの対応(あり方、出方)次第で強行されることもあれば、思いとどまることもある。対応を誤って襲来を招いてしまうこともあるが、適切な対応によって回避することはできるのでる。
 北朝鮮にしろ中国にしろ、或はロシア、或は国際テロ組織、或はアメリカにしろ、それらの核兵器その他の武力による威嚇または攻撃の有無は、互いの意思と対応次第なのであって、それらの国や組織が、自然災害のように、国民や国の対応如何に拘わらず、必ず襲来し、攻撃を仕掛けてくるということはあり得ないわけである。
 ところで、そもそも自衛隊の「主たる任務」は、あくまで外国からの侵略に対する防衛出動なのであって、災害出動は(主たる任務に支障のない限度で)「必要に応じ、公共の秩序維持に当たる」治安出動や海上警備行動・領空侵犯措置・在日米軍基地警護・海外における「重要影響事態」に際する米軍等への後方支援・在外邦人輸送・機雷掃海・PKOなどの国際平和協力活動等々とともに)「従たる任務」の一つで、消防隊や警察官にとっては主たる任務である災害救助・救出を支援する立場であり、その災害対応能力(装備や訓練など)も、それなりのレベルで(例えば東京消防庁のハイパーレスキュー隊のような特殊な技術・能力はもとより持ち合わせず)、どちらかといえば、補助的役割をサービス的に引き受けている。
 しかし、近年、頻発・激化している自然災害の現実から見れば、自衛隊に求められるのは、北朝鮮や中国など外国の侵略(その可能性はあっても、自然災害のようにいつか必ず襲来する法則的必然性があるわけでもない、或は「いつ襲ってきてもいいように」などといって機(有事到来)を待つようなことがあってはならず、平時の対応によって予防できるはずのもの)に備えるよりも、自衛隊はむしろ、いつか必ず襲来する災害に、その都度、最大限対応できるように能力と装備を備えたレスキュウー隊として活躍することを「主たる任務」として体制整備を行う(服装も迷彩服ではなく目立つものを着用する)ことの方が現実的であり、賢明なのではあるまいか。

 核兵器や軍事的脅威に対する対応には軍事的対応と非軍事的外交的対応とがある。前者(軍事的対応)は交戦(戦争)もしくは、それを覚悟した軍事的相互抑止(核開発・維持、ミサイル防衛、ミサイル実験や軍事演習の応酬)であり、後者(非軍事的外交的対応)は対話・協議・交渉・説得などだが、前者と後者の間には軍事的または非軍事的(外交的・経済的)圧力がある。この圧力を背景にして交渉・説得するやり方である。
 我が国の現行憲法(前文と9条)は、後者(非軍事的外交的方法)に徹することを要請しているのである。
 我が国・日本が、これまで、武力攻撃されずに済んでいるのはどうしてか、或はこれから武力攻撃されるとすれば、どうしてか、その訳(原因・理由)は?
 まず、我が国が武力攻撃をされずに済んできたのはどうしてかといえば、それには次の二つが考えられる。①憲法によって、我が国が戦争を放棄し、国に武力行使を禁じていて、国民にもその意思がないと見なされているから。②米国との安保条約によって米軍が基地に駐留し、自衛隊と軍事協力体制をとっていて他国からの攻撃が抑止されてきたから、とも見られている。
 この二つの内どっちなのか、それとも両方のお蔭かなのか、それは簡単には決めつけられないが、いずれにしろ、どの国にも我が国に対して攻撃意思がなかったからであることは確かだろう。
 それでは、これから我が国が武力攻撃されるとすれば、それはどうしてか、を考えた場合、
①のような憲法の定めによって、我が国が戦争を放棄し、国に武力行使を禁じていて、国民にもその意思がなく、武力侵攻しても応戦・反撃してくることはないだろうとの安易感(何をしても大丈夫だという安易感)からか。それとも②のように、米国との安保条約によって米軍が基地に駐留し、自衛隊と軍事協力体制をとって対峙している「敵国」と見てとられるからか。
 この二つが考えられるが、日本に武力侵攻しても、①のように、日本は応戦も反撃も、何もしてこないだろうから、た易く事が運べる、などと、それだけの理由で武力侵攻を仕掛けてくるなどとは、戦国時代や帝国主義時代のような優勝劣敗の弱肉強食の時代じゃあるまいし、自衛と制裁戦争以外には戦争が違法化されている現代にはあり得ない話しだろう。
 ②はどうかといえば、そのほうには可能性があるだろう。なぜなら、軍事で対峙して、緊張が激化して一触即発といった事態に達した場合、どちらかからの先制攻撃・敵基地攻撃あるいは同時発射で軍事衝突が起こる可能性は、①に比べればはるかに高いだろう。(現に北朝鮮は、アメリカとの間でそのような事態になった場合には、日本を攻撃する可能性があることを、在日米軍基地の存在を理由にして、公然と示唆している。アメリカは、北朝鮮の核を搭載したICBMの開発がアメリカ本土に達するレベルにまで進歩したと見られれば、「レッドライン」を超えたと見なして軍事行動に踏み切るだろうと言われている。)
 これらのことを勘案すれば、①の憲法上抗戦出来ないことよりも②の日米軍事協力体制を敷いていることのほうが、どちらかといえば我が国が武力攻撃を受ける可能性が高いと考えられよう。
 しからば、今この時点で、北朝鮮(その核・ミサイル実験の強行)などに対して我々日本国民はどのような対応をとればよいのか。その対応も二つあり、一つは、現在休戦状態にある朝鮮戦争が再開して、北朝鮮からミサイルが飛んで来ることを既定のこととして想定して、現政府の呼びかけに応じて避難訓練し、戦争に協力する心構えを持つこと(1)、もう一つは、軍事対応・戦争の用意に反対の声を上げること、即ち米朝・日韓・中ロ・国連安保理事国などの為政者たちに任せて、それに黙って従うのではなく、「どの国も(核保有国も非核保有国も)核兵器禁止条約に応じよ!どの国とも戦争するな!」と反核・反戦を叫び、米朝あるいは6ヵ国協議などの協議を、あれこれ条件を付けずに無条件に開催して話し合い、朝鮮半島の非核化(核兵器の不使用)と朝鮮戦争の正式終結(平和協定の締結)にこぎ付けるようにせよ、と声を上げること(2)、この(1)か(2)かのどちらかだろう。


ホームへ戻る