反自民の受け皿は「○○ファーストの会」?
東京都議会選挙では小池知事に同調する「都民ファーストの会」が自民党批判票の受け皿となって圧勝したが、その会が全国的な政党となり得るかといえば、それは疑問だ。
小池氏自身が、ニュースキャスターから政界入りして日本新党→新進党→自由党→保守党→自民党へと渡り歩き、自民党では大臣や総務会長にもなったが、都知事になって自民党は離党した。風見鶏のようにも見えるが、日本会議には(距離を置いているとはいえ)親和性をもった右派系改憲派であることは間違いない(ジャーナリストの青木理氏によれば)。また都議選が終わって直後に彼女からバトンタッチを受けて会の代表に返り咲いた野田数氏は、現行憲法は無効で「大日本帝国憲法は現存する」という考えの持ち主で、石原慎太郎や「維新の会」の考えに近いとのことだ(Wikipediaによれば)。今のところ「都民ファーストの会」は地域政党で、小池氏に共鳴して都知事与党として結成された小池新党であること以外には、「都民ファースト」とか「東京大改革」などの抽象的なスローガンを掲げた「綱領」と都政の大まかな構想・プランがあるだけで、国政レベルでの政治理念や基本政策が明確にあるわけではなく、不透明。これから国政選挙ひいては改憲国民投票を展望して、「国民ファーストの会」などの名で全国政党として再編されて国政に進出する可能性はあるが、その場合は結局「第2自民党」になるか、いずれにしろ公明・維新とともに改憲勢力3分の2確保の補完勢力となるだろう。
このような新党を自民批判票の受け皿としていいものだろうか。「ごうまんな一強」に対して「やり過ぎ」に「灸をすえる」(ブレーキをかける)ためだけの受け皿で、結局は右傾改憲あるいは新自由主義(規制緩和・市場競争主義)など、行き着く先は自民党と同じ所へと連れて行かれてしまう、というのが関の山。働く生活者・市民の受け皿として、それ(○○ファーストの会)が相応しいのかといえば、とてもそうは思えまい。働く生活者・市民が求めてやまないのは、皆が恐怖と欠乏から免れ自由で安心して暮らせる世の中であり、その求めに応ずるのに真に相応しい受け皿だ。
今後の大争点は憲法(アベ改憲を許すか否か)であり、戦争法・特定秘密保護法・共謀罪法・原発再稼働など、それらを今後とも許すか否かである。
だとすれば、既に踏み出している「立憲野党連合」こそが、反アベ自民党の受け皿として、それ以外にはないのだということで、市民連合は立憲野党各党(民進・共産・社民・自由)とともに総力を挙げて、それに取り組まなければなるまい。「国民ファーストの会」などに負けないように。
とりわけ、メディアに対してはアピールが必要だ。これまでのところ野党共闘(立憲野党連合)に対するメディアからの注目度・期待度は、いたって低く、「頼りない野党」「バラバラな野党」としてしか見られていない向きが多い。
マスメディアは、これまで、二大政党の政権交代を期待して小選挙区制導入の選挙制度改革にマスコミ自らが同調して以来、自民党に対峙する政党として「反自民非共産」の二大政党もしくは「新党・第三極」にこだわるきらい(傾向)があって、新聞・テレビなどの取り上げ方も第1党(自民)、第2党(新進党とか民主党、現在の民進党)、第3極(みんなの党とか維新の会)の順にウエイトが置かれスペースが割かれてきて、その他は泡沫政党でもあるかのように小さく、或は全く無視されることがほとんど。立憲野党と市民連合による共闘の動きに対しても、それに寄せる期待は、いたって乏しく、それを歓迎し激励する論調はほとんど見られない。
しかし、マスコミ等が期待した「反自民非共産」の新党や連合はほとんど成功しておらず、結局、自民一強体制を許す結果になってきたことを考えれば、マスコミも国民も、小池新党たる「国民ファーストの会」などへの幻想とらわれることのないように、立憲野党・市民連合は自らが反自民の受け皿となるべく戦略(方策)をよく練って精一杯の運動を展開し、マスコミから肯定的・積極的に取り上げられるように、最大限工夫・努力を傾注しなければなるまい。
そこで、一つ提案だが、野党共闘とか立憲野党・市民連合とか、これといった名称がなく、例えば世論調査の支持政党の選択肢には、個々の政党名が挙げられているだけで、それらの中から選ぶしかない状態だが、今後この共闘連合組織を一つの選択肢として取り上げてもらって選べるようにネーミングして名称を付けたら如何なものだろうか。イタリアの「オリーブの木」(ベルルスコーニュが率いた右派連合に対抗して政権をとったことのある中道左派連合で、小沢一郎が日本版「オリーブの木」として提唱)のように。(「オリーブ」とか「木」とかでなくともいいから、何か適当なネーミングがあって然るべきなのでは。「○○○の○」と。
それにつけても不安材料は、都議選でも惨敗した民進党に動揺が生じ、分断されてしまうことだ(民進党内に反共意識にとらわれ、離党して「都民ファーストの会」に走った者もいたし)、分断されればこの党は益々、力を失うことになるだろう(旧社会党にように)。民進党は「第2自民党」か「第2公明党」になりはててしまうようなことになってはならず、あくまで立憲主義、平和主義、自由と民主主義を守る党として、即ち民進党というネーミングに相応しく自分たちこそが真の市民ファーストの党であり立憲野党連合の中核なのだという立場と気概を持たなければならず、さもなければ潰れるという危機感を持って自ら奮起するとともに、市民の側も、市民連合や立憲デモクラシーの会に結集して、それ(民進党)に喝を入れて激励し立憲野党連合を盛り上げる、今こそ、その正念場(頑張りどころ)なのではあるまいか。
いずれにしても、自公連合に対する我々市民の求める受け皿としての立憲野党共闘市民連合を、そのネーミング「○○○の○」とともに、早急に創り上げなければなるまい、ということではないでしょうか。