米沢 長南の声なき声


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諸国民の友愛に頼るか、力に頼るか、現実的な選択の問題(修正版)
2017年06月30日

 6月13日の朝日「声」投稿『自衛隊 改憲で位置づけ明確に』について(その2)。
 現行憲法で日本国民は(前文で)「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想(それは友愛―筆者)を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」として、(9条に)戦力を保持せず、国の交戦権を認めないと定めた。それに対して、投稿者は「善意にばかり頼っていられない時代」なのに、それは「理想主義に過ぎる」として、憲法で自衛隊の保持と交戦権を認め、「9条は現実に即応できるように改めるべきだ」と。
 それは、現行憲法のいわば「諸国民の友愛(投稿者は「善意」というが)に頼るやり方」に対して、自衛隊の戦力、いわば「力に頼る」ことも必要だというもの。
 しかし、そこで、「平和を愛する諸国民の公正と信義」なんてユートピアを信じて「友愛に頼る」とか「善意に頼る」などという、そんなやり方は非現実的で、「力に頼る」やり方のほうが現実的なのだと思いがちだろう。世界の歴史的現実には、優勝劣敗の抗争・力の支配(覇権主義)、権謀術数(謀略)など「力と知恵に頼るやり方」がほとんどで、「友愛・善意に頼るやり方」(「仁愛・徳治政治」)など教説としてしか存在しないというのが事実だが、だからといって、「力に頼る」やり方で不安・恐怖のない平和・安全保障を実現・維持できた国など現実に存在するだろうか。むしろ軍事力に頼っている国ほど危険で不安な国となっているのが現実なのでは(国際シンクタンクIEP経済平和研究所が出している「世界平和度指数ランキング」では、2017年は1位がアイスランドで、日本は10位、北朝鮮150位、南スーダン160位、イラク161位、アフガニスタン162位、最下位の163位がシリアだが、アメリカは114位、中国が116位、ロシアが151位)。その意味では力に頼れば、平和・安全保障が得られるという方が、むしろ非現実的なのでは。
 日本国憲法の平和主義というのは、単なる理念だけではなく、平和・安全保障の方法論として、軍事的安全保障などに比してより有効・確実な方法だという現実的な選択の問題であろう。
 北朝鮮の核・ミサイル開発や拉致問題、中国の海洋進出や尖閣問題、或は国際テロなどの現実には、わざわざ改憲して自衛隊の保持と交戦権を認めて軍事対応する(軍事的即応体制をとる)というのは一つの選択肢ではある。しかし、そのやり方は戦争やテロが起こることを覚悟し、それを前提とした対応であり、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにする」(憲法前文)という決意に反して、(それは戦争の抑止にはならずに)むしろそれを呼び込み「再び戦争の惨禍」を招く結果にもなりかねないという危険がそれには伴う。だからそのような方法は控えて、あくまで非軍事的・外交的方法で対応するという当初からの路線を貫く、そのほうが現実的な選択なのだ、ということだろう。
 尚、軍事ジャーナリストでリアリストの田岡俊次氏は『日本の安全保障はここが間違っている!』(朝日新聞出版)で次のように論じている。
 「安全保障は軍事力だけではなく、外交や情報、経済関係、信頼醸成など多くの要素が加わって確保」、「一国が軍事力を増強すれば、それと対抗関係にある他国も増強して軍備競争になりがちで、相手も強くなれば金はかかるが安全性は一向に高まらず、互いの破壊力が増すから、かえって危険にもなりかねない。」「『安全保障の第1目標は抑止力強化』とか『安全保障とは国の安全を軍隊で守ること』というのは幼稚な論であり、日本が国力に不相応な軍事力を持ち、第2次世界大戦で320万人の死者を出し、疲弊して降伏した教訓を忘れた説」、「安全保障の要諦は、敵になりそうな国はできるだけ懐柔して敵意を和らげ、中立的な国はなるべく親日的にして、敵を減らすこと」だと。
 これらの語句のうち最後の「安全保障の要諦・・・云々」は、要するに、どの国も敵とせず、どの国からも敵視されず、どの国とも友好的な信頼関係を築く、ということは即ち「諸国民との友愛」にある、ということでもあろう。憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持」という言葉はきれいごとのように思われるが、それは砕けた言い方をすればこのこと(「どの国も敵とせず・・・・」)を指すもの解され、それは単なる理想主義ではなく、それこそが平和・安全保障を得るのに現実的で確かな方法なのだ、と思われるのだが、如何なものだろうか。


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