核実験やミサイル発射実験、大規模砲撃訓練、それに対する米韓合同軍事演習、THAAD(迎撃ミサイル・システムで「高高度防衛ミサイル」)の配備、カールビンソン空母打撃群と自衛隊護衛艦の共同訓練、ICBMの発射試験。
政治家やメディアはとかく、北朝鮮がやっていることを「挑発」「威嚇」といい、自国・同盟国側がやっていることは「けん制」「抑止」という言い方をするが、客観的な立場から見れば、「威嚇と挑発の応酬」にほかならないのだ。オバマ前大統領は北朝鮮に対して戦略的忍耐政策―核開発計画の放棄・非核化措置を実行しない限り対話には応じないで無視し続けるという政策―をとってきたが、この間、北朝鮮の核・ミサイル開発はむしろ進み、それは失敗だったというので、トランプ政権は「忍耐」をやめて行動を起こすこととし、「全ての選択肢を(軍事力行使というオプションをも)テーブルに」載せると言って、空母打撃群の朝鮮半島方面への派遣など軍事的圧力を加える一連の行動を取った。(それに対して安倍首相はいち早く「高く評価する」と言って支持を寄せ、空母打撃群と自衛隊の共同訓練を実施)。それに合わせてトランプ政権は中国に対して(石炭輸出停止だけにとどまらず、石油禁輸その他も制裁強化して役割を果たすように強く求め(「果たさなければ単独行動を同盟国とだけでやる」と迫って)いる。軍事力行使に踏み切るレッドライン(超えてはならない一線)はさらなる核実験と米本土の届くICBM発射実験の成功とみられる。
それらは「あらゆる選択肢をテーブルに」と称して、「斬首(トップ殺害)作戦」や先制攻撃まで含めた軍事的圧力を加えるもの。そうすれば、北朝鮮はその圧力に耐え切れず、終には音をあげて屈服、核もミサイルも放棄するものとトランプ大統領は思い込んでいるのだろうか。そして、それでもし北朝鮮は屈服せず、核放棄せずに、苦し紛れに暴発すれば、その時は一気に反撃して殲滅、国家体制崩壊に至らしめるまでのことだ、との計算なのか。
しかし、このような計算にはアメリカ以外の国々、当の北朝鮮国民はもとよりその隣国(韓国・中国・ロシア・日本)とりわけ韓国における深刻なダメージ(経済的・人的な甚大な被害)は考慮はされている
としても、それも「しかたない」やむを得ざる犠牲として処理される、とすれば、甚大な被害を被る朝鮮半島の両国民と直接国境を接する中ロなど近隣の国民にとっては、とても受け容れ難いものだろう。過去に(1994年クリントン政権当時、北朝鮮がNPTを脱退、核施設で燃料棒を再処理する動きを見せたのに対して)核施設などを先制攻撃する作戦計画が検討されたが、そのシュミレーションでは、死者が90日間で米軍5万人、韓国軍49万人、一般市民100万人以上と計算され、実行はされなかった。北朝鮮は、当時は、核兵器は一発も保有しておらず、ミサイルも旧ソ連製のスカッド・ミサイル程度の短距離ミサイルしかなかったが、今は全く違い、米本土まで届くICBM(テポドン)は未だだとしても、日本などには裕に届く中距離弾道ミサイル(ノドン・ムスダンなど)を含め1,000基以上ものミサイルを保有しており、核兵器も(30発?)保有している。通常兵器でも38度線に沿う韓国との軍事境界線に沿ってソウル等を射程におさめるロケット砲など長距離砲を含む数千門もの火砲陣地が配備されており、それらがソウルに向けて一斉に火を噴けば首都は「火の海」ともなる。
ミサイル基地などに対して敵基地先制攻撃をやるにしても、それらが山中のどこの地下や洞窟にあるのか、しかも移動式発射機で、どこから撃ってくるかも分からない(偵察衛星は北朝鮮上空を一日一回一分程度で通過してしまい、目に留まるのはほんの一瞬、静止衛星は赤道上空3万6,000キロも上空、いずれにしろ移動式で動くミサイル発射機を衛星で見つけることは不可能)。「ミサイル防衛」の迎撃ミサイルで撃ち落とすといっても、これまた当てにはならない。「命中率が高い」とはいっても、実戦では、野球のシートノックのように一発づつ発射予告してくれるわけでもない。先日、4発同時発射して秋田・能登半島沖に飛んできた時は飛翔時間10分、ところが日本船舶に注意報が届いたのは海に着弾してから13分後。発射速報・避難指示があったとしても避難しようがないわけである(参考―YouTubeに放映の「デモクラシー・タイムス」に4月15日放映された「田岡俊次―軍事ジャーナリスト―の目からウロコ」)。
アメリカのシンクタンク研究所の上級国防アナリストのブルース・ベネット氏(4月22日ヤフー・ニュースに出た時事通信の記事)によれば、北朝鮮に対してアメリカが武力行使(一か所に先制攻撃)に踏み切った場合、北朝鮮はソウルにむけて一斉反撃に出、たちまち全面戦争、終結まで数か月かかるだろう、と。また、「斬首作戦」(特殊部隊による暗殺作戦をやるにしても)、姿をくらませて1万か所もあるといわれる地下施設のどこに潜んでいるかもわからないのを(サダム・フセインやビン・ラディンのように)見つけ出すのは不可能で、それら地下施設を破壊するのも非常に難しいだろう、とも。
また、北朝鮮軍の総兵力は100数十万人(フセイン政権下のイラク軍約40万人の3倍、秘密警察や予備役を含めれば10倍)、政権と司令部は崩壊しても、部隊のすべてが大人しく降伏するわけではなく、ゲリラによる抗戦はイラクやアフガニスタン同様あるいはそれ以上に続くだろう。上記の1994年クリントン政権下、対北攻撃作戦を計画して断念した当時国防長官であったペリー氏は、今、限定的にせよ攻撃作戦を実行すれば全面戦争・核戦争にもなる可能性があり、このようなやり方で北朝鮮から核を奪おうと思っても、その選択肢はあり得まい。それに、彼ら(「北」の指導者)は正気なのであって、彼らのやっていることは、ひとえに体制を維持しようとしているだけなのだ、とも述べている(4月28日NHKニュースウオッチ9でインタビュー)。
いずれにしても、北朝鮮・米側双方とも先制攻撃・武力行使を選択肢とするのは、あってはならない選択というものだろう。
それでも「あらゆる方法を選択肢としてテーブルに」などと言って武力行使・先制攻撃もあり得るようなことを臭わせておいて、「挑発には挑発、威嚇には威嚇」という応酬にとどめ、実際、武力行使に踏み切って戦争に突入することは避けるのだろう。とはいっても、北朝鮮側は、それに耐えられなくなって暴走・暴発にはしる危険はある。
それに、圧力・威嚇・挑発の応酬にとどめるにしても、終わりのない悪循環になり、テロリストやテロ国家を再生産するばかりで、なんの解決にもならない。軍事圧力を背景にして話し合い・外交的解決をはかる、といっても、そのような(威嚇圧力を背景にした)やり方では相手は腹を割って話そうと思っても話す気にはなれないわけである。それに威嚇・圧力を背景にして「話し合いのテーブルにつけ」と促されても、それに応じてしまったら、その圧力・脅しに屈したことになり、そのような屈辱には耐えるくらいなら「打って出る」となるからである。
これに関連して国際政治学者の藤原帰一(4月22日付け朝日新聞『時事小言』)は次のようなことを指摘している。
「戦争の瀬戸際まで相手を圧迫する政策」「瀬戸際政策をとる相手に対して妥協すれば不当な圧力に屈したことになるが、妥協を拒むときには全面戦争を覚悟しなければならない。」「ここで怖いのは、相手が全面戦争を覚悟しているのにこちらにはそのような意思がないとき、軍事的圧力を強めて瀬戸際政策に対抗しても効果が乏しいことである。特に、相手が権力の拡大ではなく体制の存続を目的として行動するときには、圧力を加えても相手の行動を変えることは難しい。」「これまで以上に圧迫すれば相手が屈するとは期待できないのである。アメリカが軍事的圧力を強め、中国がこれまでの微温的な経済制裁を実効性のある制裁に変えたとしても、金正恩政権が方針を転換する保証はない。」「体制の存続のためにあらゆる手段をとる相手を前にするとき、どれほど米軍の力が圧倒的であったとしても、限定的武力行使の効用は乏しい」と。北朝鮮の核・ミサイル開発に対して、オバマ政権では戦略的忍耐政策で、経済制裁を続け、対話には応じないという政策をとってきた。それが失敗に終わったとして、トランプ政権は経済制裁に加えて軍事的圧力へ乗り出し、レッドラインを超えれば限定的武力行使、(レッドラインを)超えなければ、それは控える(対話に応じることもありか?)。
藤原帰一教授は、トランプ政権のそのやり方を、北朝鮮側の全面戦争を覚悟した瀬戸際政策に対して、そのような意思(全面戦争まで覚悟)のない中途半端な瀬戸際政策では効果はあげられず、北朝鮮の核・ミサイル開発を止めることはできまい、と。
ならば、核・ミサイル開発等に対する経済制裁など非軍事的制裁は続けても、軍事的圧力は控え、とにかく対話に応じる(話し合いのテーブルにつく)ようにすればいいわけである。話し合うテーマは「北朝鮮が核・ミサイルを放棄するか、しないか」だけでなく、北朝鮮にとっては最も切実な「相互不可侵の平和協定の締結―北朝鮮の国家体制存続の保証」でなければなるまい。それ(体制存続の保証)こそがキーポイントなのであって、その保証さえあれば、核・ミサイルは不要になるわけであり、その保証がなければ核・ミサイルは手離すわけにはいかない、北朝鮮国民にとっては生存権と自主権の懸った命綱なのだ、と思い込んでいるのだから)。いずれにしろ、北朝鮮に対しては、核・ミサイルを手離すようにさせるためにと、いくら圧力・威嚇・脅しを加えてみたところで、彼らはけっしてそれらを手離すことはあり得ないということだ。北朝鮮の体制存続保証の話し合いには応じずに、彼らの手から核・ミサイルを除去しようと、あくまで思うなら全面戦争(日本まで巻き込んだ戦争、或は核戦争)覚悟で双方とも瀬戸際政策で対決するしかないだろう。それは不毛かつ危険極まりない選択だ。
双方、互いに挑発・威嚇・圧力の応酬で、どちらが先に「屈する」かという場合、強い方が先に「屈する」ことはあり得ず、強大国アメリカ側が先に屈することはあり得ないことは分かりきったこと。しかし、だからといって、弱い北朝鮮が先に屈することもまたあり得まい(かつての日本のように、屈するくらいなら戦って散る方を選ぼうとするから)。
真の偉大な国家指導者ならば、小国に「屈してなるものか」とか「弱腰と受けとられてなるものか」などといった卑小なプライドやメンツなどにとらわれることなく、あくまで、国民が(自国民のみならず、他国民も共に)将来にわたって安寧・幸福であるようにするには、公正と信義など政治道徳を踏まえつつ、どうやって国を治め他国に対応したらよいか、という観点から選択肢を考え、選ぶだろう。(それは「いずれの国家も自国のことのみに専念して、他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従う」という日本国憲法前文の観点でもあるだろう。)
ところが、軽薄なポピュリスト政治家に限って「強いリーダー」だとか、「グレート」だとか、或いは自国「ファスト」などと卑小なプライド・人気・野心にとらわれ、万民の平和・安全と犠牲の回避に徹する政治道徳にはこだわりがない。
しかし、今、諸国民のリーダー・為政者に必要なのは政治道徳を重ん信念を貫く勇気であり、強大国の真の偉大な為政者・トップリーダーならば、アブノーマルな政権とはいえ国民と共にある弱小国の切なる延命(体制存続)保証(不可侵・平和協定の締結)要求を受け入れる度量と真の勇気があって然るべきだろう。
弱小国の為政者は、そのような心ある強大国の相手が軍事的圧力など強圧的な態度を控えるならば、それに対して無謀にも攻撃を仕掛けるということはあり得ず、話し合い・協議に応じるだろう。また、強大国の圧力にさらされて、それに耐えきれず無抵抗のまま先に屈してしまうということもまたあり得まい。先に屈するくらいなら、戦って自滅する方を選ぶだろう。
いずれにしろ、「こっちの要求に応じないなら、さらに厳しく圧力を加え続けるぞ」といった圧力、少なくとも軍事的圧力は控えてこそ、はじめて真摯な話し合いは成立するというものだろう。
話し合うテーマは、朝鮮戦争が未だに休戦協定に止まっている状態にある、それを正式に終結して、相互不可侵を約する平和協定・条約を結ぶことであり、それと同時の朝鮮半島非核化(核の放棄)である。問題の核心は、北朝鮮国民が求めてやまない朝鮮戦争終結の平和条約・不可侵協定の締結にこそあるのだが、日米の為政者をはじめ、政治家もメディアもその多くは、そこをはずして、単に北朝鮮が愚かにも無謀な核・ミサイル開発・実験を重ねて、「挑発」を繰り返しいる、「脅威だ」「新たな段階の脅威だ」などしか論評せずに、北朝鮮の真意―平和協定・条約の締結交渉を求めている、その肝心のことは記事やニュースにはほとんど取り上げられることがない。したがって、庶民・善良な市民には事の真相や北朝鮮の真の意図がいったいどこにあるのかよく分からず、単なる愚かで非道な独裁権力者が核・ミサイルを手にしている、それが、あたかも「気違いに刃物」で「刃物」を手離そうとしない相手に手をやいているかのようにしか思われない、という向きが多いだろう。
朝鮮半島の歴史、戦前・戦後史、それに政治道徳に、どうも無知だったり、無反省だったり、無頓着だったり、といったような人物が首相だったり大統領だったりしている、それが問題なのだ。